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「えー? 師匠と姉さんって同じ学院のクラスメイトだったんだー? わー、すっごいぐうぜーん」
席に着いたノエルが明らかな棒読みで下手くそな驚きを演じる。コイツのこの反応……さてはクロヴィスと私が知り合いって知ってたな!? 知っててわざと屋敷に連れて来たな!? 裏切り者め!!
ノエルの隣には眉間にシワを寄せて随分と居心地の悪そうにしているクロヴィス・ナイトレイがいる。……何この状況ありえない。私はとりあえずコップに冷たいお茶を注いで出してあげた。だと言うのに、クロヴィスは訝しげな顔でコップを見る。
「……おい。これ、中に変なもの入れてないだろうな」
「はぁ? 初等部の悪ガキじゃないんだからそんなバカなことするわけないでしょ」
「あはは! 師匠が初等部の悪ガキ! それなら俺と同級生だ!」
「う、うるせぇ! こいつならやりかねないんだよ!」
怒鳴るクロヴィスを小馬鹿にしたように軽くあしらう。
……が、実はその通りだった。直前まで棚にあるスパイスかハチミツでも混ぜて出してやろうかと思っていたのだが、さすがに大人げないなと思ってちょうど止めたのだ。危ない危ない。やってたら大恥をかくところだったわ。
「師匠。だからあの時俺に絶対姉には言うなって口止めしたんですか?」
「ばっ……! お前! 余計な事言うな!」
「クラスメイトだから恥ずかしかったんですか? それとも他にバレたくない理由でも?」
「はぁ!? ねーよ!」
「ノエル、あの時って?」
気になるワードが出て来たのでノエルに問いただす。
「え? あーっと、いつだったかな。訓練終わりに師匠と一緒に帰ってたらディオン兄に会って。ディオン兄が俺と師匠に話し掛けてきたんだ」
「それで?」
「そ、それで、ディオン兄と師匠が学院のクラスメイトで、友達だって事を知ったんだよ。ついでに師匠のフルネームも! あの時は二人ともすごくビックリしてたなぁ。それはもちろん俺もだけど! だって師匠ってば秘密主義なのか自分の事まったく教えてくれなかったからさぁ! 同じ学院の先輩だったとは思いもしなかったよ! 学院で会った事なかったし」
クロヴィスは眉間にシワを寄せたままそっぽを向いていた。
そういえば……前にディオン様と会ったって確かに言ってたわね。なるほど。当時の反応を聞く限り、クロヴィス・ナイトレイもその時初めてノエルが私の弟だって知ったみたいね……。さすがに驚いただろうなぁ。ノエルに口止めした気持ちもわかるかも。
「公園で出会った師匠が姉さんの友達だったなんてすごい偶然だよなぁ。だって俺、最初は本当に知らなかったから。偶然っていうかもはや運命じゃない?」
「お前はもう俺の弟子じゃない。破門だ」
「ええっ!?」
「貴方はもう私の弟じゃない。出て行け」
「はあっ!?」
訳がわからないと言った様子のノエルが慌て出す。
「な、なんで!? 二人とも急にどうしたの!?」
「友達? 運命? 気持ち悪いこと言わないで! こんなヤツ知り合いですらないんだから!!」
「そうだ! コイツは知り合い以下だ!」
「ノエルが気持ち悪いこと言うから頭が痛くなってきたじゃない!」
「お前が気色悪いこと言うから全身痒くなってきただろーが!」
ぽかんとした表情で私たちを見ていたノエルがぼそりと言った。
「……ディオン兄から二人は仲悪いって聞いてたけど本当だったんだなぁ」
「なんですって!?」
私の声に、まずいと思ったのかノエルは話題を変えた。
「そ、それより姉さん! 夕飯は? ミートパイちゃんと作ってくれた?」
「……作ったけど」
「じゃあ早く食べようよ! もちろん師匠の分もあるんでしょ?」
「えー……クロヴィス・ナイトレイはスープだけで良いよね?」
「おいコラ。俺、お礼にご馳走するって聞いてここに来たんだけど?」
「は?」
「お前……食わせる気ゼロだな」
ゼロどころかマイナスだ。師匠の正体がクロヴィス・ナイトレイだった時点で私のやる気スイッチは消滅したも同然である。
「いいから早く夕飯にしよう! 俺お腹すいちゃった!」
「……わかったわよ」
ノエルがうるさいので私は渋々立ち上がった。「手伝うよ!」と珍しくノエルもキッチンに来て食器を並べてくれたので、私は切り分けた料理をそのお皿に乗せていく。うん、我ながら綺麗な盛り付けだ。トレーに乗せてテーブルへ運ぶと、無言でクロヴィス・ナイトレイの前に置いた。
「さすが姉さんの手料理! 美味しそう!」
席に着くと、ノエルは一人だけ嬉しそうにはしゃいだ。まったく、こっちの気も知らないで楽しそうだわ。
「それでは! 日頃の師匠への感謝を込めて! いただきまーす!」
「……いただきます」
「……いただきます」
ノエルの元気な号令を合図に、史上最低の夕飯が始まった。まさか自分の家で大嫌いな男と同じ食卓を囲む事になるとは……。青天の霹靂である。一体この状況を誰が想像できただろう?
クロヴィスは眉間のシワそのままに、ナイフとフォークでミートパイを食べやすい大きさに切り始めた。伯爵家の次男というだけあって、無駄に所作が綺麗である。サクッといい音が響くと、ぎっしり詰まったフィリングがさっそく顔を出した。焼きたての香ばしいかおりが食欲をそそる。そのままフォークをゆっくりと口に運び、もぐもぐと咀嚼する。
それにしても……私はこの男のためにわざわざ暑い中急いで買い物に行って一生懸命料理してたってこと? ……信じられない。完全に時間の無駄だわ。あの貴重な時間と労力、そして私のありがとうという感謝の気持ちを返してほしい。
「美味しい!! このサクサク感! 味付け! そしてこのボリューム! やっぱり姉さんのミートパイは絶品だなぁ! ね、 師匠!」
「あ゛ぁ?」
「美味しいでしょ? 姉さんの手作りミートパイ!」
クロヴィスの鋭い睨みに怯むことなく、ノエルはニコニコと笑いながら言った。……いいから。余計な事は言わなくていいから。この男が私を褒める事なんてある訳ないんだから。わかったら黙ってさっさと食べなさい弟よ!!
「……まぁ、不味くはないな」
……は?
えっと、幻聴かしら? どうせ何かと理由をつけて文句を言われるだろうと身構えていた私は自分の耳を疑った。だって、完全に予想外の言葉である。目が点になっている私の事など見向きもせず、クロヴィスはもぐもぐと食べ続けた。
「美味しいなら美味しいって言えばいいのに。まったく! 師匠は素直じゃないんだから!」
自分が作ったわけでもないのに、何故かノエルが誇らしげに答えた。
ハッと我に返った私も、ナイフでミートパイを切り分ける。フォークを刺して一口食べると、口の中にフィリングの旨味が広がった。ごろっとしたひき肉とサクッとしたパイ生地の相性が抜群である。
「ちょっと、これすっごく美味しいじゃない! このサクサク感は中々出せないわよ! ノエルの言う通りよ! 美味しいなら美味しいってちゃんと褒めなさいよね!」
「……だから不味くないって言ってるだろ」
「はぁ? まさかそれで褒めてるつもり? 本気? え、本気で言ってるの?」
「まぁまぁ。ほら、師匠は素直になれないだけなんだって。そういう性格をツンデレって言うらしいよ?」
「はぁ!? お前は俺を何キャラにしたいんだよ!? つーか俺はツンデレじゃない!」
うん、いつもと変わらないやり取りに安心して、私はほっと息をつく。だって、アイツが私を褒めるなんておかしいもの。
なんだかんだ言いつつ野菜スープと合わせてもくもくと食べ続けるクロヴィスをチラリと見る。……今ならサラリと聞けるんじゃないかしら? お茶を一口飲むと、私は思い出したように言った。
「ところで。アリス様とのデートは楽しかった?」
「ぶふっ!! ゲッホゲホゲホゲホ!」
クロヴィス・ナイトレイは盛大に咽せた。貴族の矜持か口の中のものはなんとか外に出さずに堪えたものの、苦しそうにおもいっきり咽せている。その様子は非常に辛そうだ。いやいや、その反応はあまりにも動揺しすぎじゃないかしら?
「ええっ!? デート!? 師匠が!? もしかして恋人!? 婚約者!? え? え? 可愛い? 美人?」
思春期真っ只中でそういう話に興味があるのか、ノエルが勢い良く食い付いた。ようやく咳が落ち着いてきたクロヴィスはグイっとお茶を飲み干すと、血走った目で私を睨む。知らない人が見たら卒倒するんじゃないかしら。顔が怖すぎて。
「なっ、お、お前! なんでそんな事知ってんだよ!? つーかどこで知った!? ストーカーか!?」
「はぁ!? 貴方なんかストーカーするわけないでしょ!? 顔も見たくないし声も聞きたくないわよ!」
「それは俺もだ! ……じゃなくて! どこでその話聞いたんだよ!?」
クロヴィスが予想以上に慌てふためいているのを見て、私は余裕たっぷりに続ける。
「何をそんなに慌ててるのよみっともない。恋人だか婚約者だか知らないけど、そうならそうとハッキリ言えばいいじゃない。まさか照れてるの? 純情ぶった反応はやめてくれる?」
「アリス嬢は恋人でも婚約者でもない!! 大体あれはデートなんかじゃねーよ!!」
あらあらまぁまぁ。あんなに寄り添って楽しそうに歩いてたくせに何を言ってるのかしらこの男は。思わずジロリと睨んでしまう。
「ねぇ、姉さんは師匠の彼女知ってるの? どんな人? 年下? 年上? 同じ年?」
「気になる? 実はね、今私の手元に……あったあった。これ! デート現場の写真があります!!」
「おおー! 見せて見せて!!」
ジェシーから半ば無理矢理渡された写真をポケットから取り出すと、クロヴィスの動揺は更に広がった。
「は、はあああ!? そんなもんなんで持ってるんだよ!? お前やっぱストーカーしてるだろ!? 捨てろ! 燃やせ! 今すぐ消し去れ!!」
「これはとある情報提供者の女性によって撮影された写真よ! 従って、私が捨てても向こうがネガを持ってるから完全に消し去る事は出来ないわ!」
「情報提供者の女性……? あっ、もしかしてジェシカ・ローウェン侯爵令嬢か!?」
クロヴィスがハッとしたように気付くが、ローウェン侯爵家に逆らえるはずもない。
「うわっ!! 彼女めっっっちゃ可愛いじゃん!! 天使!? 女神!?」
「妖精姫って呼ばれてる超絶美少女よ。しかも伯爵家の一人娘なの」
「へぇー、すごい!」
「ノエル! お前も見てんじゃねーよ!! あと、彼女じゃねーって言ってんだろ!!」
クロヴィスの顔が赤い。照れているのか怒りで興奮しているのかは定かではないが、いずれにせよ見ていて不愉快だ。
「あ、これってもしかして急に訓練が休みになったあの日じゃない!?」
「そうよノエル。貴方の慕ってる師匠は貴方との訓練を放り出して美しい彼女とデートに行くような卑劣な人間だったのよ。嫌ねぇ不純。不潔。いやらしい。今後一切私たちに近付かないでくれます?」
「その口調で言うのやめろムカつくから! さっきから何度も言ってるけどあれは違うんだって! その、デ、デートとかそんなんじゃなくて、だな……」
クロヴィスの声は尻すぼみに小さくなっていく。ごにょごにょと何を言っているのかわからない。
「はい? 聞こえないんですけど。もうちょっと大きな声で言って頂けます?」
私は耳に手を当てわざとらしく言った。クロヴィスは舌打ちを鳴らすと、ふっきれたのか叫ぶような大声を出す。
「だーかーらー! あれは……!」
「あれは?」
「あれは……アリス嬢から、従弟の誕生日プレゼントを選ぶの手伝ってほしいって頼まれたんだよ。家に女しかいなくて男の子が何欲しいのか全然わかんないから一緒に選んでくれって言われて……。俺はただその付き添いで行っただけで……ただそれだけだよ」
うわぁ……そんなのクロヴィス・ナイトレイと出掛けるための口実に決まってるじゃない。従弟の誕生日とか絶対嘘よ。下手すれば従弟の存在すら疑わしいっていうのになんで気付かないのかしら。バカなんじゃないの? それとも恋愛の駆け引き的な感じでわざと気付かないフリしてる? いや、ディオン様ならともかく、こんな男にそんな高いスキルがあるはずない。
しかしまぁ、アリス様ってば随分と古典的な手法使っちゃって。わざわざこんな事しなくても、あれほどの美しさなら素直に誘えば皆ホイホイ着いてくるでしょうに。確実性を求めたのかしら? 本命には慎重派とか?
「だからデートじゃないって? カフェでお茶までしてるのに?」
「あ、あれは! ちょっと疲れたから休憩しようって言われて入っただけだ! 令嬢を歩かせるのも申し訳ないし!」
「ふーん?」
「つーかそんな事まで知ってんのかよ。ありえねぇ」
「世間の目からはどうやったって逃れられないのよ。どこで誰が見聞きしてるかわからないんだから。それに、隠し事を隠せないのが貴族社会でしょ?」
クロヴィスは「いやいやふざけんなよ」とぶつぶつ文句を続ける。
「どういう理由だろうと、年頃の男女が二人で出掛けたらそれは世間一般的にはデートって言うんじゃないかしら? 弟子のノエルさんはどう思う?」
「んー、やっぱり男女が二人きりで出掛けたらデートって言うんじゃない? 写真を見る限り仲睦まじい恋人同士に見えたし」
「そうよねぇ?」
「ねぇ?」
「だから! 違うって言ってんだろーが!!」
クロヴィスはイライラしたように再び舌打ちを鳴らす。
「つかなんでこんな事お前に説明しなきゃなんねーんだよ! 浮気した旦那の言い訳みたいでものすごく嫌なんだけど!」
「は!? ものすごく嫌なのはこっちよ! なんで貴方と結婚したことになってんのよ無理すぎる!!」
「ただの例えだろうが! 比喩だよ比喩! 俺だってお前なんかと結婚したくねーっつーの!」
「あっははは! 師匠と姉さん息ピッタリすぎて面白い!!」
ノエルが私たちを見て大きな声で笑った。いやいや。笑われるような事は何一つしてないんですけど。解せぬ。




