第五十五話 少女新生活/一つ屋根の下で
...まさか、カイト...ああ、この世界ではアッシュなんだっけ。
彼と共に暮らすことになろうとは。恥ずか死ぬ。
いや、普通好きな人と同じ部屋で同居とか、いろいろと爆発しそうになるもんでしょう。しかも寝室が別なわけでもなく、文字通り同じ部屋で!!
...まあ、当人は気にせず爆睡しているけど。凄く紳士的ではあるのだけど、こういう時は恨めしいというかなんというか。
そこを除けば、新しい異世界生活はおおむね快適だ。たった四日だけだけど、それでもそう思う。
朝起きて、顔を洗って、ちょっとした朝ごはんを食べて、アッシュに付いてちょろちょろとしつつ学校では文字を教えてもらったり、こっそりアッシュに翻訳して貰いながら勉強したりする。
お昼は食堂で時代背景に見合わないほどやたら美味しいご飯を食べ、また勉強して、放課後はカーネリアンというドワーフの女の子とアッシュと三人で色々作ったりする。
あちこちでアイリーンちゃんが乱入しててんやわんやするのも中々に楽しいものだ。
私がこの世界で何年生きたのかはわからない。記憶がないし、ろくでもなさそうなので思い出したくもない。
けどもしかしたら、私も身体に精神が引っ張られているのかもしれない。それともあまり味わえなかった青春っぽい事を出来ているのが嬉しいのかも。
何方にせよ、早く言葉を覚えないといけないな。アッシュの方は転生特典かなんかで言語知識をインストールされたらしいけど。...記憶喪失と言うのは面倒だね。やっぱり。
そんなことを考えながら、私はアッシュたちの工房へと向かう。設定を守るならアッシュにべったりくっついているべきだが、流石に色々とそうはいかない。精神年齢は兎も角人生経験は21歳分。捨てきれないプライドはある。トイレとか。
だから先に行ったアッシュを追いかける形になった。
『来たか、マリア!早速だがちょっとこれを付けてみてくれ!』
工房に入った私を待ち受けていたのは、アッシュの少し興奮気味な声だった。
その声と共に差し出されたのは...
『えっと...イヤーカフ?』
イヤーカフ。耳たぶに挟むイヤリングとは違い、耳の軟骨なんかに引っ掛けるタイプのアクセサリー。
『ああ。ちょっと付けてみてくれ』
そう言うので受け取る。小さめの黄色い宝石が取り付けられたデザイン。...魔石と言ったかな。魔力が込められている石らしい。かなりシンプルなデザインではある。ただ三つのリングに宝石がとりついた様なデザイン。
...あのカイトがただのアクセサリーを作るとは思えない。何かあるのだろう。
耳に手を当ててつけてみようとする。
つけてみようとする。
する。
...
『...どうした?』
『上手く行かない...』
実は前世であまりアクセサリーを買っていなかった(金属は怪我をする恐れが高かったため)ので、耳に何かを付けるというのがうまく行かない。ピアスだったら既に怪我をしていただろう。
『...ちょっと待ってろ』
アッシュが少しかがんで手を伸ばす。この世界のカイトの身長は結構高いらしい。私は...多分、そもそも年下の身体なのだろうが、アッシュよりそこそこ小さかったりする。
14歳、もう大人になり始めた男の子の指が私の耳に触れる。
『ん』
少しだけぞくりとした感覚が背中を走る。
『なんだその声』
私も予想外の声だったので許してほしい。どうも今世の私は耳が弱いらしかった。前世ではそうでもなかったと思うので今世ならではなのだろうが。
『ん...あ、ちょっとくすぐったい』
数秒程耳をこねくり回される。彼も慣れていないのだろうが、声を上げるたびにこねくり回す速度が上がるのでぞくぞくと背筋が暴れる。
『ええい、ちょっと黙ってろ。...あ、上手く行った』
すぽ、とカフがはまる。
ああ、くすぐったかった。
『おほん。...で、これは何?』
既に私とアッシュの事情を知っている(知らせた)というカーネリアンの方を向き、問う。
『...いや、メイン設計俺だから』
...そうだったのか。私にはほかの者を作っていた様に思えたのだが。
『片手間に作ってたのは事実でしょ?間違えても仕方ないんじゃない?』
そう、カーネリアンが言う。それにうんうんと頷こうとして、気付く。
『!?!?!?!?』
英語!?
『...と、まあ、それがそいつの効果だな。要するに自動翻訳機だ』
...ええ。
『剣と魔法の世界で自動翻訳機って割と正気じゃなくない?』
『まあ、私も本気で言ってるのかと思ったけど』
こちらの声も聞こえているらしい。よく見れば、カーネリアンの耳にも同じカフが付いていた。
『ひどい言い草だな。ちゃんと作っただろ』
それは、そうだけど!
『どうやって作ったの?こう、魔道具でコンピュータ的なのつくるのってすごいお金かかるって聞いたし、自動翻訳には大規模言語モデルとかも必要なんじゃなかったっけ』
昔カイト自身が語っていたはず。
そう簡単にAI自動翻訳は作れないと。
『まあ、そうなんだが。これはほぼほぼ前世通りの設計だからな。7割の作動原理が電気回路だ』
...ってことは正真正銘のコンピュータ入りイヤーカフか。...
『いや、そうすると小さくない?前世でアッシュが作ってたナノコンピュータでも機能的にちょっと小さいんじゃ』
『そうだな、流石にこのサイズじゃ無理だ。なのでそれはただの送受信機兼スピーカーマイクだよ。魔石を電池にしているだけの』
あ、なるほど。
『じゃあ、本体はどこなの?』
『これ』
すっと取り出されたのは見覚えしかない板。私の時代にはARデバイスが出て廃れ始めてたけど、まだ使う人はいたモノ。
『スマホじゃん!』
そう、サイズも、見た目も完全にスマホだった。
『そうだ。...画ないから何も映らないけどな』
訂正。
『ただの箱...』
『スマホのプログラムが四日で出来るか』
『翻訳システムは四日で出来るんだ...』
呆れると、カーネリアンがため息を吐く。
『それなんだけどねえ。コイツ曰く、「英語と”統一言語”の文法は全く一緒だ」ってさ。単語辞書インストールは一瞬で終わらしてたわね』
『...そうなの?』
『ああ。俺もちょっと驚いた。あと大規模言語モデルのひな型自体は教科書貰ってたから...あとは単語訳せばどうにかなる状況だったのさ』
それにしてもプログラム組むの早すぎじゃないかな?
『まあ、いろいろと無法が出来るのが俺の魔法なんでな』
【夢想印刷】だったけ。そんなに便利なのかなあ。
『ま、割と簡単に量産できるようになったから、後で必要な分だけ量産しておくさ』
言語問題の解決が早いのはありがたいけど大分無法じゃないだろうか。まあ、便利だからいいか。
『ただし、このマシンを持っていない奴については”言ってることは分かるけど話は通じない”状態になるから注意してな』
あくまで”聞く”ためのものと言うことだろう。
『あと文章翻訳に関しては今鋭意開発中だから待っててな』
『そこまでできるの!?』
『もともと”文章を取り込む”魔道具そのものは完成してるんだ。鎧のプログラムは一から書いてられなかったからな。多すぎて。あとはそれを改良して...みたいな感じなんだけど、むしろ表示側が難航しててな。しばらくはかかりそうだ』
『そ、そうなんだ...』
ああ、忘れてた。この人常識外れの天才なんだった。
彼がア〇ロ・レイだったとしたら魔法はνガン〇ムの様なモノだ。リ・ガズィに乗ってたって一般兵からすれば強いのにガン〇ムに乗られたら手が付けられない。当然の理屈である。
『ま、語学学習もこれで多少は助けになるだろ?』
『ん』
何はともあれ嬉しいものだ。とても便利なモノである以上に好きな相手からのアクセサリーの贈り物である。最高の贈り物だ。
ほくほく顔でカフを触っていると、カーネリアンが進み出て、私に手を差し出した。
『そうね、言葉が通じる状態になったことだし。改めまして、宜しくね、マリア』
『うん、宜しくね。カーネリアン』
差し出されたその手を取る。
握手、か。前世では少し難しかったことだが、こうして自然に出来る、それだけで私は嬉しかった。
そして、新たな友人が出来たことも。
第三章開始です。




