第十八話 魔性変成論/悪意の真価は留まらない
「終わってない?」
確かに困惑して、アイリーンが聞き返す。
この場にあるのは三つの死体。
かつて人だっただけの肉の塊。
それが紅い湖に沈む。それだけの光景。
動くものは何もない。
しかし。
確実に。蠢くモノは、そこに居た。
ぱあっ。
まるでホタルイカが海で光を放ったかのように。
ルミノール液を吹きかけたかの様に。
血の湖が、紫色に輝いた。
「....え!?」
驚くアイリーン。
しかし俺に驚愕は無い。
只淡々と、アイリーンにそれを伝えた。魔眼が見せた、哀れな彼らの、その最後を。
「魔物化。それは人為的に...起こせないと思うか?」
「ーーーー!!!」
魔物。それは魔法の力を持つ生物である。
故に基本的には生殖で増える。
当たり前だ。基本そのものは生物であることが多いのだから。
しかし。この世界には生殖器のない魔物が存在する。
それに、そもそも魔物が生物から突如魔物として進化する訳がない。
そこには関連がある。原因がある。
それこそが”魔物化”。
魔物と言うのはその血肉に魔力を通わせた生物である。
故に、高濃度の魔力に長時間晒すか、死ぬ寸前の圧力の魔力に貫かれるか。この二つによって生物は魔物へと変質する。
この話には二つポイントがある。
一つ目は、生物であるならば対象を...人であろうとも問わないこと。
二つ目は...。
どんな手段であれ一定量の魔力を含ませればいいことだ。
「つまりこういう事だ。ガリアスタ・ガリオンは、あと恐らくあの二人も、黒幕に、何らかの手段で...多分薬とかそのあたりで高濃度魔力に曝露した。よってまず魔力酔いに移行したんだ」
ふわり、と血の輝きが強まる。
ゆっくりとアイリーンを扉へと誘導する。
「魔力酔い。それを受けると生物...人間は狂暴的かつ短絡的になるそうだ。まあ、黒幕にささやかれたことで頭がいっぱいになるのは想像に難くない。」
どうせ、俺に復讐しろとか、絶望させるにはアイリーンが有効だ、とかそんなアレだろう。
くだらない。
「かつ、魔物化の進行によって正気を失っていく。...まあ、誘拐という行動に出るのもある意味では当然さ。正気じゃないんだから」
人間は、人間の精神は己がほかの生物と化すことを許容出来はしない。
魔物化の進行と共に、己が己でなくなるのを奴は感じただろう。
そんなことを考えるうちにも状況は進行する。
うぞる。
肉片が、肉塊が。
動かない筈のそれが...。
確実に、動いた。
「きゃっ」
俺の腕にアイリーンがしがみつく。
眼前では一般人なら中々にショッキングな光景が展開されようとしていた。
死体が急速に形を喪っていく。
人型が、不定形へ。
そしてうぞるうしゅると怖気を震う怪音を奏で、三つの死体は寄り集まっていく。
じゅるじゅると、寄り集まった死体は、こびりついたはずの血を吸い上げる。
床から、天井から、壁から、ぶちまけられた液体が消えて行く。
そしてそこに居たのは。
「魔物化でどんな魔物になるかは、環境とその生物の状況に左右される...だったか。なるほど、ある意味ピッタリだな...はは、ミート・スライムとはまた趣味の悪い」
ミート・スライム。
肉で出来た粘性生物の名の通り、それは肉の...挽肉で出来た身体を持つ。
スライムと名がついているものの、その性質から分類は不死性魔物。
死肉を纏い、生物の尊厳を犯し尽くしたその姿から、《最も醜悪な魔物》の異名をとる。それが、ガリアスタ・ガリオンと名も知れぬ男子生徒二名の...末路だった。
人間が魔物化する、そんな事例は皆無ではない。
当然数は少ない、と目されてはいる。ただ、母数が少なくとも、データは時に痛烈に自らの特徴を突き付ける。
”人間の魔物は凶悪だ”。それが常に言われる言葉だった。
人間と単なる動物の違いは何か。
単純だ。
先天的に魔力を保有しているか否か。それに尽きる。
竜種すら、元々魔力を持たない生物ーーー個人的に恐竜だと推測しているーーーの魔物化した姿なのだ。魔力を持っている人間の魔物化など、普通の現象では表せない。
故に殺した。
黒幕...の目的は知らないが、恐らく、巣立てば終わりだった。
だから、言ってしまえば儀式を中断したわけだ。
そういう意味では殺人に躊躇っている時間など存在しなかったのだ。
うぞる、と最早生命を冒涜する何かへと変わり果てた元人間の魔物が蠢く。
ぱきぱきと割れる音は骨だろうか。
不定形の身体に力が蓄えられ...触手の様な何かとして放たれる。
「ひいっ」
悲鳴を上げるアイリーンを無理やり抱きかかえて跳ぶ。からぶった触手はそれでもじゅどん!と湿っぽい衝撃音を残して床を砕く。
よし、回避はやはり問題ない。
アイリーンは...だめか。怯えている。
そもそもこの状況...と言うか、今日の出来事で精神が参らない方がおかしいのだ。これは無理もない。
となると、だ。あのときのことを思い出させてしまうだろうが。
「アイリーン」
努めて優しく囁きかける。
「先生を呼んできてくれ」
顔が悲しみに歪んでいくのが見て取れる。
またお前がそれを言うのかと俺ですら感じ取れるほどに。
だが俺はそれを黙殺する。
余り嫌われていないようで安心したくらいだ。
「こいつは俺が片づける。...行ってくれ」
「~~~~~!!!」
葛藤、そんな言葉を絵に描いたように唸るアイリーン。
だが、判断力は失っていなかったのだろう、すぐに駆け出した。
「...無傷で勝って!!」
そんな激励を残してから。
「ふ、無傷で、ねえ」
にやり。と口に笑みを浮かべる。
かきり、と左の肩口に指をかけるとぼとぼとと追加装備が落ちる。
実はここに駆けつけるときに役に立ったりもしたのだが、そこは欠陥装備。ここから先はついてはこれまい。
「さあ、俺の予測を超えて見せろ。出来るものならな。...演算開始と行こうじゃないか」
ばん!ぶらん!
肉を金属で打ち付ける鈍い音が弾ける。
ああ、くそ、一番まずい行動パターンを引いてしまった。
やつめ、その場を動かない。
基本、俺の戦闘スタイルは【夢想印刷】と【演算仮定】を利用した召喚と跳ね回るモノ。普通の剣術ではアイリーンよりも数段下。
よって俺は閉所よりも開けた場所の方が好みなのだが。
さらに言えばこの場面に限定すれば剣の腕は役に立たない。
奴の再生能力だ。
剣で斬り付けようとも、鉄塊で殴り抉ろうとも、散った肉片が戻ってきて治る。
室内戦闘と言う制約の多い状況じゃクソ強いな。
ここは校舎の端っこ。誰もいない区域でしかない。
壊せば開ける...が、瓦礫はあまり出したくない。足場が不安定になるからな。
一応俺が入ってきた壁から出る選択肢はあるが追ってくるかの賭けになる。突進とかを誘導したいもの。だが。
動きやしないのである。
だが千日手の様相を取る戦場に、イラつきを覚えたのは俺だけではなかった。
唐突に、しかし確実に、戦況は変化する。
「「「『gyirererereeaaa【DEA】!!!』」」」
口がない筈の、声を出す知能すら持たない筈の魔物が、吠えた。
そして。
ばんっ!
衝撃波をまき散らし、ミート・スライムが跳んだ。
「魔法か!!」
ミートスライムは珍しいが、たまに見る程度の魔物。大体の生態は知られている。
その一つで、こいつの凶悪さの一助を担っているのは。
取り込んだ生物の特徴の複製。
そう、つまり、人間を取り込んだ奴の特性は...。
魔法を行使可能な魔物であること、だ。この魔法は以前ガリアスタが使っていた【剛力無双】か。
あれはあくまで筋力上昇能力な筈だが...あれじゃ解釈はどうとでもできるか。
おっと、呑気に分析している場合じゃない。
予測ルートの中で最悪なルートをひた走っている。
とりあえず。
防御せねば、待ち受けるのは死。
座標指定、材質指定、形状指定。
「【夢想印刷】ッ!!」
生み出されるのは鋼鉄の城壁。堅く頑丈な防御兵装。
しかし壁は弾かれる。
がこぉん!とひしゃげ、俺ごと屋外へ放り出される。
俺の、計画通りに。
「ほっ。...10点10点10点~なんて」
すた、と空中で一回転してから着地する。
背後ではべちゃぁっと着地もクソもない奴が地面に叩きつけられた。
「ははっ、それじゃ0点だな」
嗤う。
知能のない奴は理解しないが、まあ戯れだ、許せ。
許す知能もないってか!
「「「GUayayayaeeeuaaiiiiiii!!!『fagaksyaraser【GER】』!!」」」
余りにも奇怪にすぎるほどの奇声を上げ、先端に風を纏った12本の触手が迫り来る。
「はっはっはぁ!遅い遅い遅すぎる!【演算仮定・運動不定式】」
ぼん!ぼん!ぼんぼんぼんぼんぼん!!
触手を足場に、跳ね回って奴の懐へと飛び込む。
「座標指定、材質指定、形状指定。爆ぜて味わえ!!【夢想印刷】!!」
編み上げられたのは金属の杭。
荒く削り出された無骨な大槍。
それは俺の足元に現出した。
「【演算仮定・力量演算式】!!」
ガッ!
蹴りを杭に叩き込む。
何倍にも引き上げられた運動エネルギーを余すことなく注ぎ込む。
名付けて人力パイルバンカー。
じゅぬぶっ。
杭が深々と刺し込まれる。
悲鳴すら上げない粘性体は、俺を捕食せんと身体を広げるが、すでに俺は其処に居ない。
蹴りの反作用で弾かれた俺は、にやり、と奴に笑いかける。
ずどおん!!
杭が爆ぜる。
指向性爆薬。所謂HEAT弾に用いられる爆薬の充填方法。
それを杭に用いただけ。
放射される爆轟は、奴を貫き肉を焼く。
「ははっ、外に出た以上、俺の好きにやらせてもらうぞ!」
焼けた肉を奴が切り離すのを見て、俺は勝利を確信する。
炎だ。
「ふふふふ....はははははは!!!!!正体見たり焼肉パーーーティーーー!!!座標指定、材質指定、形状固定!一人で戦争してやるさ!【夢想印刷】!ふははは!焼夷弾・戦術爆撃ってなあ!」
上空10m。そこにいくつもの爆弾が出現する。
ナパーム弾。ナフサにナパーム剤と呼ばれる増粘剤を添加し、ゼリー状にしたものを充填した油脂焼夷弾。
1000℃を超える高温で燃え、油汚れのように染みついた炎が周りの酸素を奪い取る。水では取れず、消えない炎。
それが一帯にまき散らされる。
「とっとと、あちちち、おっと酸素が持ってかれてる。【夢想印刷】」
ぽん、と酸素ボンベと耐火服を召喚し、さっさと影響範囲外に撤退する。
すると。
「お」
ごお、と風が吹き始める。周囲の空気が吸い上げられ...炎が渦を巻き、天へ向かって舞い上がる。
「狙ったとは言え凄いな」
轟々と渦巻くのは”火災旋風”。炎の竜巻と言うともすれば魔法の様な現象だが、これは地球世界にも存在する現象。
それは命を巻き上げる旋風。
荒れ狂う炎に舞い上げる奴に待つのはその身の崩壊だけだった。
ミート・スライムの元ネタは謎肉です。
あれ、人肉でもばれないですよねぇ(暗黒微笑)




