第十七話 鉄心英雄序曲/人でなしを鎧うは非情の鋼
「アイリーンが...誘拐?」
言葉が入ってこない。違う。聞こえはするが理解ができない。
誘拐、人を騙すなどして連れ去ることを指す言葉。かどわかすなどとも言う。
それを?
アイリーンが?
された?
たしかにいつもならとっくにここにいる時間だ。仲の良いらしいカガミまでいなかったのは少し違和感があったのも確かだ。
だが。
そんな、こと。
「...待って、本当に誘拐だって言えるの?」
カーネリアンがカガミに問う。
カガミはこちらを少し見て、一度呼吸を落ち着けてから冷静に言った。
「...正直、100%とは言えません、カーネリアンさん」
「だったら...」
カーネリアンが反駁しようとするが、先回ってカガミは言った。
「......アッシュさんなら分かると思います」
俺なら分かる?
何を?
断片的な疑問が渦巻くが、そんな俺の混乱を、状況は待ってはくれない。
決定的な言葉が、投下される。
「目撃情報があったんです。ガリアスタ・ガリオン等数人が人らしきモノを運んでいた、と」
「ーっ!!!!!」
それは。
つまり。
間違いなーーー
「待つですわ!それが即ち誘拐とは!」
「金髪、女子、保健室とは逆方向。些末な情報で良ければまだあります。...私だって学園内で、なんて信じたくはないです。ですがーー」
否定するには、状況証拠が揃い過ぎている。
なるほど。
そうか。
一応とは言え見逃してやったのだが。
響くことはなかったと。
「アッシュ...?」
そうか。
「...怖い顔をしていますわ、一旦...」
そうか。
そうか!!!!
「...殺す」
「「「っ」」」
どす黒い感情を溢れさせる。
地獄より昏く、声が流れ出る。
何よりも殺意。
全てが塗りつぶされる。
殺す。殺す。殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す...
「見せろ、 《観測者|》。対象の位置を」
無意識に観測者を起動する。
それは今まで考えもしなかった魔眼の深奥。
この魔眼が観るものは。
視界にすら、寄らなかった。
おれは、公爵家の息子。嫡子であり、家督を継ぐもの。
他人は全ておれに従うべきであり、おれこそが貴きものである。
そう思っていた。あの日までは。
ガリオン家。
トルディアナ王国の貴族の中で最も大きな影響力を持つ公爵家の一つ。
故に、生まれた時から全ての人間が俺にひれ伏した。
会えば皆が「将来私をよろしく」といい、不満があると言えば「お許しください」と許しを請われ、あれが欲しいと言えば皆がそれを用意してくれる。
魔法を使えば絶賛され、出来ることが増えることを誇られる。
挫折無き成長。それがおれの人生だった。
有頂天だった。当然だろう。すべての人間がへりくだる環境、失敗するようなことをさせない環境。中途半端におれが優秀だったこともあるだろうが。
それで図に乗らないわけがない。
そんな俺にとって。
その出来事は強烈に過ぎた。
初めて惚れた女が出来た。
”学園”の試験など簡単だと断じていたおれは試験会場を気怠気に歩いていた。
衝撃だった。
黄金すら霞む金色の髪、サファイアが路傍の石に見える程の透き通った瞳、優し気だが活発そうな顔立ち、均整の取れた体つき、海に居るという人魚の歌の様な声音。全てが完璧な”美”。神がその手で自ら作ったのだと断言できる美しさ。
あれはおれのものだ。
自分こそが頂点だ、そう思う少年がそう考えるのは当然の事。
最初に声をかけた時は逃げられた。
馬車の迎えもあったので追うこともしなかった。
どうせ明日また会えるのだ、少々恥ずかしがっているだけだ。そう思った。
寧ろそれに好感が持てた。
卑しく、浅ましく言い寄ってくる女共とは違う、奥ゆかしさがあるのだと。
どうにか聞き出した名前を何度も反芻しながら寝た。
次の日、態々朝早く試験会場に行ってまで彼女を待っていた。
見つけた瞬間に声を掛けに言った。
そばに居る男に気付かずに。
それは、初めて味わう拒絶だった。
父上に窘められることぐらいはあったが、挫折と言うものを味わってこなかったおれにとって、それは初めての敗北だった。
目の前の、一般よりは多少顔がいいものの、男爵家程度の見窄らしい男にしなだれかかるアイリーン。
怒りに燃えた瞳でおれの神経を逆なですることを並べ立てる男。
許せるものではなかった。
人を斬ったことは一度や二度ではない。
いや、殺したことはないが...気に入らない奴を雑に斬り付けることはままあった。
だからそのときもそう考えた。
一応貴族のようだから決闘を。
泣きわめき、許しを請うまで痛めつける。
それがその時おれが考えた最適解。プライドを守るための安定行動。
だが、それは全てを終わらせた。
父上に初めて殴られた。
王国でも一大イベントの一つである”学園”の実技試験。
それは当然貴族の社交場でもある。
そんな場で、おれの不祥事が耳に入ったのなら。
烈火のごとく怒るのも当然だった。
父上はいい貴族だ。
貴族らしい貴族ではあったが、それでも悪い噂がほとんど存在しない貴族だ。
だからこそ父は真っ当に、そして本気で怒った。
救国の英雄の息子に対する狼藉。それは父上には許されざることだった。
教育を間違えたと言われた。
期待するべきではなかったと言われた。
おれは廃嫡を言い渡された。
聞けば校長に成績に関わらずおれをDクラス以下に居れるように頼んだそうだ。Bクラス相当の成績はあったそうだが、ペナルティとして受け入れられたそうだ。
そしておれは卒業後、不出来として廃嫡されることが決定した。
その日、おれは夜の街を歩いていた。学園にも一応門限は存在するが、実はかなり緩いものだ。
すり抜けて夜の街で遊ぶのは案外容易だった。だからその日も、まだ俺が侯爵家を継ぐと勘違いしている馬鹿どもと共に遊んでいた。
酒を飲み、酔ったまま。たまたま路地裏に踏み込んだ。
不気味な場所だった。
取り巻き含め皆温室育ちの貴族の息子。
汚く、暗く、狭苦しい路地なんて初めての事。
だが酔ったおれたちの足取りは奥へと進む。
怪しい男が立っていた。
商人だというその男は、今思えば異常だった。
黒いコート、黒いズボン。黒い帽子に黒い手袋、黒い髪...眼だけが赤く光るその男は、おれにそっと囁いた。
「復讐は如何?」
と。
奴はペラペラとおれの胸の内を話した。
憎いでしょう、下したいでしょう、殺したいでしょう、と。
そして奴はこう言った。
あなたの殺意を叶えましょう。
俺は持っていたほぼ全ての金で復讐を買った。それは一つの薬瓶だった。
奴はそれをいつの間にか寝ていた取り巻きと俺に飲ませて笑った。
これからは貴方の思い通りにうまく行く。全てがきっとうまく行く、と。
そしてその日は訪れる。
思えば朝から変だった。
視界が妙に灰色で、常に耳鳴りがするような朝。だが何より異常だったのは、復讐しか考えられない事だった。
復讐の事を考えるだけで頭が冴えた。
妙にぼうっとした取り巻き共に出会った瞬間おれは動き出した。
アイリーンを攫うのは思いのほか簡単だった。
のんきに廊下を歩く彼女を、一瞬誰の視界も届かないところに入った瞬間妙に速く動く体で駆け寄って気絶させる。普段の俺では難しいことも、その時はなぜか簡単だった。
そのときでも見つかったら不味い、程度の判断はついた。そそくさとその場を離れ、たまたま見つけていた使っていない教室に運び込んだ。
彼女の目が覚めた時、おれは確かに下卑た笑みを浮かべた。嫌がる彼女を床に押し倒し、指を這わせ、征服せんとずり回す。
その間もおれの頭は復讐だけだった。
彼女を嬲り、嬲り、殺し、あの男をあざ笑う。
そんな未来を妄想し、彼女の嫌がる声に震え、笑っていた。その時。
閃光が、飛び散った。
目が覚めたら知らない教室で椅子に縛られていた。
入学式から一週間、私は冒険科に入っていた。
今日は同じ科に入ったノーノとカガミと一緒に授業を受け、たまたま同じ授業をとっていたネアとも談笑し、教授に質問するために別れていた。
突然、視界が暗転した。
そして起きたらこのありさまだった。
何が起こったかわからず、辺りを見る。
すると、後ろから声がした。
「くきき、お目覚め、かなぁ?」
下品な笑い。
聞き覚えのある声。あの時の爽やかさはどこにもなく、しかしあの時の昏い執着だけはそのままの声。
ゆらゆらと出てきたのは、少しやつれたような顔をした...ガリアスタ・ガリオン。
瞬間、状況を察する。いや、困惑しているのは変わらないが。
ひたすらに捻じくれた、黒いヘドロの様な悪意を見て、不味い状況だと深く思う。
「んぅ」
声を出そうとするが出来なかった。猿轡だ。
思わず顔が歪む。驚愕、困惑の感情が薄れ、心の奥底から恐怖の感情が首をもたげる。
「クハッ、い~い表情だァ!嗚呼、嗚呼。あの時からぁ...その顔が見たかった!!」
怖気を振るうその声に、体をふるりと震わせた。
けれど考える。
なにか、分かることはないかと。
私の矜持がそうさせた。
あの時...普通なら試験の時のあのやり取り。
でも。
何故か違うのではないかと思った。
あの時の彼は傲慢だが、下品ではなかった。
けれど、今の彼はどう見ても...。
「くひ、くひひひひ、ああ、絶望を。絶望を!絶望を!」
まるで糸の切れた人形の様に。
ふらりふらりと近づいてくる。
かくん、と私の傍に膝を降ろす。
そして、ぬぅ、と。私の肌に指を這わせる。
「ん...ぐぅ」
思わず嗚咽が漏れる。
すると彼はニタぁ、と笑う。
「嫌か、嫌だろうなぁ!くひ、くけけけかかかか!絶望した顔を、絶望したかおを見せてくれよぉ!?」
こわい。
こわい。
とても怖い。
けれど。
思い通りになど、なるものかーー!!
キッ!と彼を睨みつける。
アッシュなら中指の一つでも立てただろうか。生憎縛られているが。
あの人はいつもは無感動そうだが、感情が出た時は思いのほか激しい。
ああ、今ここにアッシュが居てくれればいいのに。
そう思うのは仕方がない。彼ほど頼りになる男性を私は知らない。
父も、彼のお父様も、頼りになる強い大人だ。でも、私にとっての騎士様は、只一人。
「ああ~?おいおい、おいおいいおいおいおいいおおいおいいおいおいおいおい」
いきなり、ガッ!と髪を掴まれる。
「んうっ」
がくん、と首を引き上げられ、無理やり顔を正面に向けられる。
「なあんで、絶望の顔じゃあないんだぁ~?ええ、おい...それじゃあよぉ~復讐が出来ないじゃあねえかぁ!!!」
「ーーっ!」
気付く。
私を犯し、嬲るのが目的っだと思っていた。
成程、それは正解だろう。しかし、それは...通過点でしかないのだと。
彼の終着点、それはアッシュだ。
そう、私は確信した。
「ああ、このままヤッちゃうのも良いけどお、僕はおじょうひんだからねえ~~え?」
何処がだ、と頭の片隅で考える。
これの目的がアッシュへの復讐なら、猶更この人の手に堕ちたくはなかった。
けれど、私は失念していた。
人を攫うなんてこと、一人で簡単にできる事じゃないのだと。
「下々の者にも分けないとねェ!入ってこいよ、お前らぁ!」
「「けははははははぁ!!!」」
異常な笑い声をあげ、更に二人の男が入室する。
片方は少し脂の乗った大男。片方はやせぎすの鼠の様な小男だった。
先ほどまで教室の外は静かだったというのに奇声を上げて騒ぐ二人。
彼らを見て、遮音結界でも貼ってあったのかと思い至り、漸く気付く。
魔法の存在に。
自分の心の弱さに嫌になる。
だって気付かなかったのだ。
魔法の存在、ではない。
相手が、私が魔法を使えるなんて分かって居ない筈がないのに魔法を使おうとしたことに。
ぼん!
「んんんうううう!」
魔法が暴発する。
昔一度だけ起こったこと。
発動し損ねた魔法が、代わりに心臓の辺りから小爆発として放出される現象。
今の魔法は完全無詠唱で放とうとしたこともあってそう強力なモノではない。だから体にダメージは負わなかった。けれど、服が弾けたのは言うまでもない。
そして、これはもう一つ作用をもたらした。
意識の混濁と筋肉の弛緩。
最後の抵抗の目さえ潰される。
貴族は初心なモノ、というイメージがあるが、とは言え行為の内容くらいは知っている。
せめてソレを拒もうと緊張させていた筋肉すら、力なく沈んでいく。
「くっ....はははははは!おいおい、自分からはだけてくれたぞォ!」
「「けきゃややややかかかかか!!!!!」」
興奮した三人が私を縛り付けた椅子ごと押し倒す。
「ん...」
声すら満足に出せない。
乱雑に跳ね回り、這いずり回る六の手に不快感を表す事すらできやしない。
「ははははは..........あー」
唐突にガリアスタの声が沈む。
「やっぱ気が変わったわ。最初はぼぼ、おれがヤる。ちょっと立って見てろ」
そんな命令が下されると、二人の男は唐突に笑いを止めて立ち上がる。
するすると後ろに二人が下がると、ガリアスタはまた壊れたように笑い出す。
「さあて、さあてさてさて!!!!!いただくとしようか!!お前のソレはァ!僕が貰い受けるさぁ!!けかかかかかかかか!!!!!」
ず、とソレを露出するために、腰に手が掛けられる。
ぴきり。
心に罅が入る音がする。
ああ、此処で私は奪われるのか、と少しづつ表情が歪んでいく。
するまいと思った、絶望の形に歪んでいく。
ああ、ごめんなさい...。
誰にともわからず、心の内で謝った...その時。
視界が、爆ぜた。
もうもうと埃が舞い上がる。煙幕の様に灰色に染まるそれを。
彼が掻き分けて出てきた。
それは待ち望んだ相手。
アッシュが、来た。
心に光が灯る。
ああ、彼が、彼が来てくれたんだ。
安心感に満たされる。
暖かい液体が目から流れ出るのを知覚しながら彼の顔を見上げ...。
しかし私は固まった。
ころされる。
私はそう直感した。
なぜ?
私ですら見た事のない彼が居たから。
巨きい。
私は次にそう思った。
彼はスラリとしているが、他の男性と比べてそう大きい訳ではない。なのに、その時は、巨人かと見紛う程に巨きく見えて。
それに気付く。
怒り。
それは濃密な...炎の様ですら無く、固まった溶岩の様な怒り。硬く、熱く、冷えた裏に煮えたぎる、どす黒い怒り。
それは時を止めたかの様に場を支配する。
音も無く。
彼はガリアスタに歩み寄る。
近付く彼に、ガリアスタはしかし動けない。
かちりと、固定されたかのように、振り返った動きのままに。
そしてガリアスタに近づいた彼は。
無造作に脚を振り抜いた。
ぼっがぁん!
派手に吹き飛んだガリアスタが教室の壁にめり込む。
しかし彼は気にも留めない。
私の身体に、一瞬躊躇してから手を掛ける。
ゆっくりと、丁寧に縄を解いていく。
しかし、初めに吹き飛ばされた二人の男が立ち上がる。奇声を上げていた時が嘘の様に、無表情で、無音で、確実にアッシュに忍び寄る。
猿轡が外された。
二人の男が椅子を持って振りかぶる。
不味いーーー
「アッシュ!」
叫び、彼に危険を伝えようとした、その時だった。
「死ね」
ぽん、と。
まるで小さな子供がボールを投げて遊ぶように、軽く、簡単に。
頸が二つ、転がった。
「ーーーーーーえ」
頭がその機能を停止する。
真っ白になった頭が、紅い飛沫を認識する。
びちゃびちゃ、ぶしゅう。
ふたつの人だった筈のナニカが、真っ赤な噴水に成り代わる。
漸く頭が理解する。
彼は、あの二人を。
殺したのだと。
この国で、この世界で、いのちが軽いのは当たり前。
それは分かって居たつもりだった。
魔法使いとは、それも私のような騎士爵家のお転婆娘は、何時か戦場に出る物だ。
いのちを奪う。その行為については理解していた。したつもりだった。
けれど、いのちはとても尊いモノとも教わった。
誰でも、平等に、生涯でたった一つしか生まれない宝物。
それを奪う事はどういうことか考えろ、それが母の教えだった。
けれど。
彼は。私の幼馴染の、アッシュ・クロウは。
まるで庭の雑草を刈るかのように。
無感動に二人を殺したのだ。
彼は縄を解いていく。
まるで何もなかったかのように。
彼は私の肩に手を置いた。
まるで何事もなかったかのように。
「...ひ」
知れず、悲鳴が口から洩れた。
今初めて、この、格好いい男の子を怖いと思っていた。
「ん?まだ何かあったか?」
平然と彼は、血を頭から浴びたままに言ってのける。
否応なく気付かされる。
彼は何処かズレている。
まるで思い当たらない訳ではない。
いつもどこか他人事。何時もどこか芝居がかって。
真摯だったのは間違いない。
真実だったのは間違いない。
それでもどこか、そうあれと思っていたかの様で。
そうでなくてはならないと決めたかの様で。
ああ、と納得する。
彼は欠けた歯車だった。
何処かかみ合わない。
ころすと言う行為が引っかからない。
歯と歯の間を、するりとすり抜けて行ってしまう。
人の死を、二人分も浴びて尚、綺麗なままかのように、屈託なく私に笑いかけ、反面怒りを振り撒く彼は。
おぞましく、おそろしく、ざんこくで。
それでも確かにーーー。
ああ。うつくしいと、かんじたんだ。
がきり、と何かが床に落ちる。
確認するまでも無い。
ガリアスタが、立ち上がった。
ぬらりと首を回し、二つの噴水を目に留める。
一瞬、確かにガリアスタの瞳が恐怖に揺れる。
しかし、直ぐに狂気に塗りつぶされた。
「あ、あ、あ、ああっしゅうううううう!!!」
壊れた人形の様に、不自然な動きで走り出す。
その狂気を浴びて、悍ましい動きを見せられて。
それでもアッシュの瞳は波立たない。
ただ、彼の背後に渦巻いていた怒りが、嘘の様に引いていく。
「ーーああ、それを、選んだか。.........ああ、少し哀れだな」
全くの無感動に、そう言って。彼は、いつもより大きな左腕をガリアスタに向ける。
それだけで。
ガリアスタの胸に、穴が開いた。
ああ、と俺は胸の内で嘆息する。
アイリーンの恐怖は感じ取れないでもなかった。
それが俺に向けられているであろうことも。
しかし俺は、ソレを考慮に入れることが出来なかった。
人殺し。かつての国で、この国で、両方の世界で悪徳と、この上ない悪と定義される行為。
例え屈強な兵士や騎士でも、はじめての殺しは吐くと言う。
それは人間の本能に刻まれるはずの防衛反応。
同族殺しは種族を存続させるための絶対的禁止事項だから。
しかし俺にはそれがない。
人として欠落した俺に、そんな機能は存在しない。
ただし一つエラーは起きた。
人であれ。そう創り上げた人格が。小鳥遊 灰人として、アッシュ・クロウとして、積み上げてきた人格が、本来あり得ない挙動に凍結する。
結果、俺の言動は。
死体を考慮することが出来ない。
嫌われたか、と思わないでもない。それは嫌だ、と思わないでもない。
本性たる”俺”が表出して尚まろび出る執着に、俺は静かに苦笑した。
「え、と、どうしたの?」
おそるおそる、アイリーンが問うてくる。
...ああ。俺は、こんなにも。
家族と、アイリーンを思っていたのか。
「いや、お前に嫌われたくはないな、って話」
「へ」
凍結するアイリーン。...また引かれたか?どうしようか。この状況に対する答えは持ち合わせがない。修復できるものかな、と考える。
するとアイリーンが何故か慌てたように声を上げた。
「あ、で、でも、先生呼びに行こう?...こうなっちゃったけど...私が、証言するからさ」
気を使わせたか?恐らくは怖かっただろうに、何なら手が震えているのに気丈な子だ。
だが、しかし。
「いいや」
「え?」
そう、先生を呼びに行くのは俺じゃない。
「まだ終わっていない」
お前ひとりだ、アイリーン。
ヒーロー見参。
この先ネタバレ注意
ガリアスタ・ガリオンと教育について。
ガリオンパパは真面な人。息子より体面を重んじる人ではありますが、彼なりに息子がまっすぐ育つように苦心していた。
けれどその思いは誰にも届かなかったのです。
ガリオンパパは人を見る目が無い訳ではなかった。けれど、彼らに近づく人たちは、どうしようもなく腐っていたのです。
受けた教育は全て、ガリオン家の派閥の他の貴族の飾りとするための物。調子に乗らせるモノでした。
実はほかの貴族が送り込んできたその人だった母も含め、じっくりゆっくりと腐ったリンゴとして育て上げられたのがガリアスタ。無能たることを願われて生まれた哀しき男。
でも次男はすごく心優しい有能な子。良妻賢母のガリオンパパ側室の子故に貴族の毒牙にはかかりませんでした。
彼の領地の未来は、彼の死のお陰で明るくなりました。
けれど、けれど。彼は決して悪人ではなかったのです。
アイリーンについて
実は狂った女の子。
彼女が惚れたのは、実は”救ってくれた王子様”じゃあなかったんです。
彼女が惚れたのは、血まみれで笑うヒーローだった。
死の気配と共に、怒りと共に、お前を守ると言ったヒーロー。
その恋は、初めから既に歪んでいたのです。
戦闘描写を出せなかったのは今回のシーンのため。
たった一言、狂わせたかった。




