左門徹平 ②
週末の日曜日。
杓丘高校の剣道場にやって来た連中は、お世辞にも礼儀作法が成っているとは言えなかった。
「大吉、あいつらに一泡吹かせてくれ、頼んだぞ」
「よせ。逃げの大吉に言うまでもないかもしれんが、無理に勝とうとしなくていい。怪我がないようにだけ、な」
「いいんすか、主将。さっきから平気で反則行為しといて悪びれもしないんですよ、あいつら」
「だからだよ。ありゃ、真っ当な剣道部じゃない。人を打って楽しみに来てるだけの連中だ。そんなのを相手にして、怪我をするだけあほらしいだろう」
先輩らが声を潜めて言うことを聞きながら、大吉は手拭を巻いた頭に面を被り、紐を締める。
三人いる審判の主審役を務める相手高校の男が、両者前へ、と雑に旗を振る。
「大吉、わかったな」
「ま、なんとかしますよ、主将」
金の喜平ネックレスをしたままの男が出てくる。剣道着の上にしていると、いかにも下品に映る。
大吉は構わず開始線に立ち、蹲踞し、切っ先を合わせた。
「はじめ」
相手は速攻を仕掛けてきた。
打突部位の発声はなく、足は浮きまくっている。これではチャンバラごっこと変わらない。主将の言う通りだな。
相手の真っ向打を半歩で外し、袈裟切り気味の振りを竹刀で擦り上げて軌道を反らす。さらに足を使い、コート内を動き回る。
面金越しに、相手に怒気を孕むのがわかった。息を乱しはじめている。動かされているだけだと気付いたようだ。
「くっそが!」
突きを放ってくるが、疲弊した足が付いて来ていない。懐に飛び込み、すれ違う。抜き胴。打っていれば、決まっていた。
「てめぇ、おちょくりやがって」
大吉が構え直したところで、止めの声がかかった。練習試合は、それで終いだった。
「覚えてろよっ」
道場を去り際、大吉が相手をした男は唾とともに吐き捨てていった。
あとの四人も、入口の戸を蹴ったり、飲み終えたペットボトルを投げ捨てて行ったり、という具合だった。
「ごめんな、お前たち。先生が詳しくないばかりに、あんな連中を招いてしまって」
合同稽古の申し出があった時は、真っ当な剣道部のふりでもしていたのだろう。
大方近くの少人数で弱小な剣道部をいたぶって遊ぼう、と考えた奴が連中の中にいたのだ。
杓丘高校の剣道部が大吉含め四人しかおらず、大会で目立つ成績がないのは間違いない。
大吉が防具を外していると、主将が近づいてきた。
「最近動きが一段と良くなったな、大吉」
「そうですか?」
「ああ。駆け引きが上達したんじゃないか。前は相手の仕掛けに応じるだけだったが、今日は自分から仕掛けて相手が動いたところを抜いてたろう。
相手は残念だったが、大吉の内容はよかったよ」
「ありがとうございます」
近頃剣道で立ち合いをしていると、どうにもアレッシオ・ロマンティの動きのイメージがちらつく。
そのせいで先輩に褒められても、大吉は釈然としない気持ちだった。
◆
怒髪天を衝く、とはまさにこのことだった。
ポイントカラーで赤を差した髪が逆立ち、右手に持っていたスプレー缶は握り潰してしまっていた。
バイトをして中古で買った単車の、メンテナンスをしていた。
同じ施設で暮らす中学生三人が、高校生らしき男達にいたぶられ、擦り傷や青痣をつくり帰ってきた。
服も汚れ、外で遊んでくると元気に出た時とは変わり果てた様子に、徹平は平静ではいられなかった。
施設では年長だった。
歳が下のやつらは弟や妹みたいなもので、実際、徹平を「にいちゃん」と呼んでくる子どももいた。
怒りに震える自分の姿を家族に見せたくはなく、徹平は絡んできた連中の特徴を大まかにだけ聞いて外に出た。
寺岡がいつも仲間と屯しているゲームセンターに入った。
店内は、煙草で白く煙っている。
「あれ、徹平さん、珍しいっすね、ここに顔出すの」
髪をブリーチした金色の頭が、男達の間からひょっこりと出てくる。
遊びもしない格闘ゲームの筐体を数人で占拠しているのは、いつ見ても下らないと思う。だがそれを除けば、気のいいやつだった。
海に行ってナンパしたり、地方から出張ってきた不良と喧嘩したり。
単車を中古にしても安く手に入れられたのも、寺岡が色々と動いてくれたからだ。
つるみ始めたばかりの頃は、弱い者いじめをする癖もあった。だがその場で蹴り飛ばすことを二、三度したら、その悪癖もなくなった。
「この辺りで剣道をやってるやつは、どのくらいいるんだ」
「剣道?」
絡んできた五人組は、一様に袴姿だったらしい。それに長物を入れる袋と、大きな荷袋を肩にかけていたという。
「数年前までは道場が一軒あったけど、もう潰れちまってるしなぁ」
寺岡はこの辺りの地理に明るい。以前、融通の利く鋳造所を探していた時も、寺岡が見つけてきてくれた。
「剣道部がある高校っていうと」
寺岡が、ちらりと後ろにいる男と目配せした。寺岡の仲間は何人か見知っているが、覚えのない顔だ。
間柄は親密なのか、寺岡が昔つけていた金の喜平ネックレスを、いまはその男がしている。譲ったのなら弟分みたいな関係なのか。
「杓丘高校ぐらいじゃないですか」
こめかみの血管が浮き出るのが、自分でも感じられた。
「よりによって、うちの学校の剣道部とはな」
「え、あ、徹平さんって杓丘でしたっけ」
寺岡が慌てて言う。
「なんだよ」
「い、いえ」
「変な奴だな。でも、ありがとよ。知りたいことがわかったぜ。いつもお前には世話になってばっかりで悪いな」
「へ、へへ。なに水臭いこと言ってるんです。ダチなんだから、助け合うのなんて当たり前でしょ」
「はっ、そうかよ」
徹平は拳をつくって寺岡の肩を軽く小突いた。
杓丘の剣道部。それは頭に刻み込んだ。
「これであの”悪童”に―」
店を出る間際、寺岡がなにか言ったようだったが、店内に充満するゲームの電子音に紛れて聞き取れなかった。