左門徹平
八畳と十二畳の二間に、キッチンと風呂がついた部屋。
そこに大吉は妹と母親、家族三人で暮らしていた。
「大吉、今週の日曜日、ピクニックに行こう」
大吉が八畳の居間で朝食を食べていると、母親が寝室から顔を出した。夜勤明けで就寝のために髪を巻いた。
「また唐突だな、おふくろ。今週末は剣道部の練習試合なんだけど」
「じゃあ来週。決まりっ。人多い方が楽しいから、集めといて♪」
「俺、そんなに友達いないぞ」
「知ってるわよぉ。春香ちゃんに頼めばいいでしょ」
「春香は呼ぶ前提なのか」
「あったり前じゃない、家族みたいなもんなんだから。あ、でも大吉も春香ちゃんばっかりじゃなくて他の友達も作りなさいよね。高校の友達って一生ものよ」
「へいへい」
「おやじ臭い返事して。まあいいわ、私は寝るから。ピクニック、よろしくね☆」
母は首を引っ込め襖を閉めた。
「やれやれ」
大吉は朝食に戻り、ふと窓から電線越しの青空に目をやった。
築四十年のアパートの二階、角部屋。日当たりだけはいい。
「ピクニックね」
五月中旬、新緑の季節だ。
放課後、大吉は教師に呼び出されて進路相談室に来ていた。
先日、進路希望調査で就職と書いて出した。進学希望者には合同ガイダンスが用意されていて、就職希望者には面談がある。
時計の針が退屈に進んでいく。
「春香、先に帰しておけばよかったかな」
高校二年の一学期にする面談などすぐ終わると思い、教室で待ってるから一緒に帰ろうと言う春香の言葉に頷いて来てしまったのだ。
待った。進路相談室のドアノブが回る。
来たか、と思ったが、入ってきたのは教師ではなかった。
「なんだ、先公いねえのか?」
男が、部屋を一瞥してぶっきらぼうに言った。
上背のある男子で、首元のボタンを二つ開けてシャツをラフに着こなし、袖は捲り上げている。
肩まではありそうな髪を、頭の後ろで一つに結わえている。黒に赤毛が混じっているように見えるのは、そういう染め方なのだろうか。
居るだけで目立つ男なので、面識はないが同級生なのは知っている。名前は確か。
「左門」
「ん、俺のこと知ってんのか?」
「目立つからな。見る度に髪型ころころ変わってるよな」
「おお、好きなんだ。ヘアアレンジすんの」
「そうなのか。なんだか意外だな。端から見てるともっと無骨なイメージだったよ」
左門が、笑った。浅黒い肌に、白い歯が映える。
無骨な印象は、細身な割に筋肉質な体つきとか、ごつごつとした手の関節などから来るのだろう。
「お前は、ええと」
左門が隣のパイプ椅子にどかっと腰を下ろした。
「新田大吉」
「大吉って縁起よさそうだな」
「どうかな。よく言われるけど」
つい先日とある吸血鬼を巡り死にかけた身からすると、縁起がいいとは言いづらい。
「大吉も就職か」
「ああ。左門はやりたい職種とかあるのか? 美容系とか?」
教師を待つ間の雑談のつもりで尋ねた。
「他人の髪いじんのは興味ねえなあ。
俺、施設暮らしだからよ、金借りれば大学行けなくもねえんだろうけど、そこまでして勉強したいこともないしな。とりあえず働くかって感じだわ」
施設。児童養護施設。馴染みのない言葉で、ぱっと浮かばなかった。
「そうなのか」
「お前は?」
左門は頭の後ろで手を組み、退屈しのぎにパイプ椅子を前後に揺らしながら訊いてくる。
明け透けな男だ。それが不快にならない。卑屈さがないからだろう。むしろ気持ちのいい男だと感じた。
「うちはガキの頃に親父が家族残して蒸発したからな。貧乏なんだ」
「まじかよ、くそったれな親父だな」
「だな」
大吉はくっくと堪えるように笑う。話すのも初めてな相手の身の上に、本気で腹を立てられる性格が可笑しかった。
「早く稼いでお袋さん楽にさせてやりてえってか。親孝行じゃねえか」
肩を小突かれる。でかく、厚い拳だ。
「お袋は喜んでくれてないんだけどな」
「なんでだ?」
「親父がいなくなった後も、お袋は俺の分の学資保険をなんとか積み立ててくれていたらしくてな。どうも俺を大学に行かせたいらしい」
「そうか、そりゃあややこしいな」
学資保険は、中学を中退した妹が抱える問題を解決した時のために取っておきたい。その存在を知ってから、大吉はそう考えていた。
ある試験を受ければ中卒相当の認定が得られ、それがあれば高校へ通える。
妹の束早は一つ下なので、ほんとうなら今年高校一年生だった。
一年の遅れぐらい、どうってことはない。
今は、知歳は母親の寝室とカーテンで仕切った自分の部屋に籠りっぱなしである。
そんなことまで、つい話しそうになった。
「大吉」
左門が大吉の背に腕を回し、肩を掴む。強く揺すられる。
「なんだなんだ」
本人の中でなにか満足したらしく、左門は頷き、腕を放して立ち上がった。
「俺のことは徹平でいい」
「え」
「先公も来ねえし、俺はふけさせてもらうわ」
徹平が、ドアを開ける。ガン、と鈍い音がした。
「いたぁ~~」
春香が額を両手で押さえて廊下にへたり込んでいた。
「春香、どうして」
「遅いから様子見に来たの」
春香は涙目で立ち上がる。
「大吉の女か? いや、すまねえ。怪我はしてないか?」
「お、おんな? あ、うん、怪我はないけど」
「そうかい。ならよかった。今度こそ、じゃあな大吉」
徹平は颯爽と去っていく。
「だれ?」
「台風みたいなやつ、かな」
春香はよくわからなそうな顔で、額をさすっていた。