希死念慮の手記
死に至る事さえ苦痛を伴うこの世界で、どうして希望を持って生きることが出来るのだろうか。死への障害が何もない世界であったならば、私はもう少し生きようと思えただろうに。
最初は生きたいと思わなくなっただけでした、そして結局死にたいと思うことも無くなったんです。それを抱える事さえ疲れてしまって、手元に残ったのは苦痛だけでした。
それなら不幸かと言うとそうでもないです。現世の多くは朽ちる砂の城なのに、大多数の人はそれを握りしめています。それと比べるなら、不幸だなんて言えるでしょうか。
つまり、その程度ということなんです。こんな世界でどうして希望を持って生きれるのですか。先に展望さえあるのなら、或いは受け入れることが出来たのでしょう。
人は、多くを受け入れることが出来ないからこそ、身近の幻想を抱いて満たしているのでしょう。とても悲しい事ですが、大切が大切である必要さえも無いんです。
触れて崩れる砂の城、脳を埋める瞬く幻想。きっと不幸では無いんでしょう、多くがそうであるなら或いは無かったように。今が沼の人では無いと言い切れる事も無いだろう。
敢えて言うとすれば、これはただの記録。もしかつてがそれを実物としていたとして、それは先の展望を示すものですらない。手元には苦痛だけがあるのだから。
ただ進む事さえ苦痛を伴うこの世界で、どうして希望を持って生きることが出来るのだろうか。先への障害が何もない世界ならばと思ったとして、何事も変わる事は無いでしょう。
文字を飲み込み消化して、仮面を被って進むんです。そう、ならば見える事も無いのでしょうね。結局は、これが生きるという事なんです。吐いた文字を燃やし、ただ笑顔を浮かべて。