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伏龍街八丁目十二  作者: 夜船
第一話 死者の国のカレーライス
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 この世界の外れに、伏龍街ふくりゅうまちという街がある。


 東西南北、様々な文化が無秩序に入り混じる街で、その街並みは世界各地から人が集まる証拠だ。なぜならばこの街では、ある禁忌が許されているからだ。



 この街では──死んだ人間を蘇生してもよい。



 伏龍街八丁目十二。


 何ら変哲のない小さな医療所の玄関に、「ニシナ医療研究所」と書かれた看板がぶら下がっている。そこの所長、ユキマサ・ニシナは、死者蘇生を行う医者だ。


「ただいまー! ユキマサ、帰ったぞ!」


 彼が初めて蘇生した少女、ハヤテ・キリガヤが、研究所の正面玄関を開ける。高い鼻梁、ぱっちりとした二重まぶたはどこか西洋風で、制服のスカートの裾から伸びる足は白くすらりと長い。人形のような美少女だ。彼女はここで、ユキマサとともに暮らしている。


 待合室のラジオは常に付けたままで、彼女が帰ってきたときは失踪事件の話を延々と垂れ流していた。

 消毒の匂いの中、ハヤテは手術室を覗く。


「ユキマサ、私だ私。帰ったぞ」


 そこでは薄緑色の手術用ガウンを着たユキマサが、これまた緑色のマスクをつけ、血だらけの手術台に向き合っていた。普通の人間なら驚いて叫び声でも上げるところだが、ハヤテは慣れた様子だ。


「ああ、おかえり。まだ手術中だから、外で待ってろ」

「えー、あとちょっとだろ。待つぞ」


 わかった、とユキマサが返事をする。ハヤテは手術室に入って、端の方で蘇生の準備をし始める。


 ユキマサは大きな風穴が空いた中年男性の腹に手術器具を差し込んでいる。

 つんと血の匂いが香り、眉間には深いシワが刻まれていた。ユキマサは長身だが東洋人といった顔立ちで、ハヤテとは全く似ていない。


「学校はどうだった」

「父親みたいだなユキマサ」渋面を作るユキマサを、ハヤテは愉快そうに眺めた。「まあ普通だよ、今日はアホBが私に告白してきた。もちろん振ったが」


 普通ではないだろ、と言いたそうな目でユキマサはハヤテを見る。しかし彼女にとってはそれが日常なのだ。


「アホBって購買の焼きそばパンに命賭けてた奴か?」

「それはバカBだ。いい加減私の話に出てくる奴らの名前くらい覚えろ」


 ユキマサは手術の手を動かしながら、反駁はんばくを始める。


「じゃあおまえこそ名前を教えろ。おまえが適当に付けたあだ名で覚えられるわけねえだろ」


「ユキマサの記憶力がないんじゃないか? というかそもそも取るに足らん奴らの名前なんて覚えてないし」

「息をすれば煽るよなおまえ」

 ため息をつきながら、ユキマサは縫合を始める。ハヤテの目測通り手術はすぐに終わり、ユキマサは輸血管を抜くと、ハヤテに蘇生装置の電源を入れるよう言った。


「オーケー、じゃあ入れるぞ」


 ハヤテが電源を入れると、死体に電流が流れる。中年男性の指がびくびくと跳ね、そのうち生命を得て動きに統率が取れてくる。


「よし、ハヤテ、止めろ」


 ユキマサが手早く指示を出すと、ハヤテは蘇生装置の電源を落とした。着替えてくる、とユキマサは手術室の奥の部屋へ消えた。


 ハヤテは手術器具を片付け終えると、奥から椅子を持ってきて、手術台の脇に座った。しばらく待っていると男性の身体から電気が抜けて、やがて手術台の上で起き上がった。


 自然な動きだ。顔色も悪くない。先程まで身体に大穴が空いていたとは思えない。


「起きたか、えーっと……イソシマサン」


 蘇生した中年男性、イソシマは、制服姿のハヤテを見て戸惑った様子を見せた。


「ああ、私は所長の助手だ。少し待ってくれ、詳しい説明は所長からする」

「お……俺は生きて……」

「ああ、所長の技術で蘇生した」


 蘇生した様子を見てもハヤテは眉ひとつ動かさない。男性はその様子に少し困惑しながら、ユキマサが戻ってくるのを待った。


 ハヤテはなにも言わずにイソシマを見つめている。イソシマの方もハヤテとの会話の種が浮かばないようで、しばらく黙っていた。


 五分ほどすると奥の扉が開いて、白衣に着替えたユキマサが出てきた。


「準備できたぞ……っておい、ハヤテ、なにか喋ったらどうなんだ」

「私はそういうのは苦手だ。お前がやれ」


 ユキマサはため息をつきながらも、イソシマに向かって話を始める。


「イソシマさん。貴方は昨日の昼、出血多量で死亡が確認されました。貴方の遺書と、ご家族たっての願いで蘇生しました」


 ハヤテの隣の椅子に腰かけ、手に持った書類を閲する。


「包丁が刺さっていた右脇腹は縫合してあります。しばらくは安静にして、包帯を付けたまま洗わないようにしてください」


 冷静にユキマサは告げる。だんだんとイソシマが悄然しょうぜん項垂うなだれていったため、ユキマサは資料から視線を外した。


「ええと、二週間後に糸を抜きます。またご来院ください」


 ユキマサはハヤテと違って空気が読めた。本人が聞きたくない話は省略して資料だけ渡し、心理的なケアも真面目に行う。仕事に対してはとことん真摯で、ハヤテはそんな彼を誇らしく思っている。


「代金は保険が利くからだいたい百万(えん)くらいだ。ユキマサに領収書を貰ってくれ」


 ユキマサが領収書をイソシマに渡す。イソシマはそれを眺めると嫌な顔をした。


 死者蘇生の費用は高くつく。蘇生者を増やさないため行政に最低価格を決められており、それ以上下げられないようにされている。失血死からの蘇生は治療の中では最安値だが、それでも一千万圓はする。四回ほど治療をすれば家が買える計算だ。


 命の価値を保つ──これが死者蘇生を世界的に禁じ、きつく規制を敷いている主な理由のひとつだ。


「ところで包丁が刺さってたとか言ってたが、なんで死んだんだ?」


「あ、こらハヤテ……」


 歯に衣着せぬ物言いをするハヤテをユキマサが窘める。対してイソシマはそれほど気にしている様子はなく、ああ、それは、と事情を説明しかけて、ふとやめる。代わりにこう訊いた。


「おふたりとも、お腹、すきませんか」


 唐突なことだったが、ハヤテは即座にああ、と答えた。ユキマサも困惑していたが、目は輝いていた。


「私は喫茶店を営んでいます。どうですか、コーヒーを飲みながら話でも。お代金は要りませんから」


 それで手術代はまけないぞ、と言うハヤテを制しつつ、ユキマサはその誘いを受けた。


「今から行きましょう。立てますか?」


 やたら意欲的なユキマサを見て、ハヤテは彼が昨日の夕飯と今日の朝食を食べていないことを思い出した。徹夜でイソシマの手術をしていたため、水分補給とハヤテの作ったおにぎりしか食べていない。


「患者の心的ケアも医者の仕事ですから」


 そう言いつつも、顔にはご飯が食べたいと書いてあった。ハヤテはわかりやすいヤツめ、と微笑みながら、ユキマサとともに立ち上がった。


 イソシマも手術台から降り、パーテーションの向こうで着替えを始める。


「ところでニシナさん」


 木のパーテーションの向こうから声が響く。


「あ、はい、何ですか」

「薬指に指輪がありますけど、誰とのですか? もしかして……そこの助手さん?」


 ユキマサは自分の左手薬指を見て、複雑そうな顔をした。こういう誤解はよくあることだ。ユキマサは結婚適齢期の男で、そばに私のような美少女をはべらせているのだから──ハヤテはそう言いたかったが、怒られそうなので飲み込んだ。


「私とのじゃないぞ。ほら、見ろ」


 ハヤテは何も飾っていない左手を、パーテーションの上から差し込んで見せた。


「私とユキマサは従兄妹だ。つまらん邪推をする暇があったらさっさとシャツを着ろ」

「……やめろよハヤテ、なんとも思ってないから」


 ハヤテを諭すユキマサだが、明らかに声に覇気がない。ユキマサのことを知っている彼女からすれば、指輪の話は禁句でしかなかった。


「ユキマサが言うんならいいが……イソシマサン、この指輪は既に相手の決まった指輪だ、いいか?」


 イソシマはパーテーション越しにもわかるほど萎縮していた。ハヤテは興ざめしたのか、一足先に手術室を出た。

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