真夜中のドライブデート
風呂上がりにテーブルの上のスマホを見ると、彼から通知がきていた。
今からドライブに行こうぜ
「明日早いので無理」と返信しようとしたら、またきた。
着いたぞ。降りてこい
まじかよ。こんな時間にかよ。断っても部屋に上がられて居座られても困るので、近場をさっと回って解散という方向に持っていこう。急いで適当に用意して下に降りた。外は暗いのに異様に明るい彼の顔と、見たことの無い車がそこにあった。
「どうしたのこれ?」
彼はさらに異様に明るくなって
「俺さー、車屋に就職したじゃん」
知ってる。町のただの中古屋なのに、天下取っただ取るだとか意味不明な事言って自慢してた。
「そこで先輩に明日納車する車の洗車任されてさー、これ、すっげーきれいに磨き上げたのよ」
ほう、それは凄い。真面目に仕事しているんだ。で、なぜそれを乗ってきた?
「おまえに俺の仕事っぷり見せたくてさー」
夜だぞ。暗くてよくわからない事に何故気が付かない?
「折角だからドライブしようぜ」
「え、明日納車ってことは契約も終わってるからお客さんの車なんでしょ。乗ってもいいの?」
「いいのいいの、許可取ってっから」
凄く不安だ。でも断りたいが断れないところまで彼の中では話が進んでいる気がする。この車のオーナーになる人ごめんなさい。乗せていただきます。
車はバイパスから旧国道に抜け市役所の前の道を南下していき、やがて海が見える道に出てきた。周囲の明かりを吸収しているかのような黒い波が、強く防波堤や岩やテトラポットに当たって飛沫が上がっている。マリーナ辺りに停めるのかと思ったが、停めようとする素振りは全く無くどんどんと山道へ入っていった。
「ちょっと、どこまで行く気?」
「先輩に聞いたんだけど、この先に心霊スポットがあるらしくってさー。折角だから行ってみようぜ」
何そのチョイス、なんで心霊スポットに行く気になった?まるで意味わかんない。なんで付き合わされてんの私。不毛な時間がどんどん消費されていく。
狭くていかにも出そうな雰囲気の山道になってきた。この先の古いトンネルを通ると何かしらの心霊現象が起こるらしい。トンネルが間近に迫ってきた。
「折角だからこのまま突っ切るぞ!」
さっきから折角って何?
どなたかこの男を引き取っていただける優しい方はいらっしゃいませんか。頭はアレですけど、たぶんそれを上回る根性はあると思います。できれば心の広い方もしくはうまく躾けることができる方。私にはもう手に余ります。今すぐお電話で!と考えていた。私もおかしくなってきた。
トンネルに入ると湿気が酷くて窓が曇ってきた。少し寒い。嫌な寒さ。表現の難しい変な空気。するとバタバタバタバタという車内にはっきりと聞こえる音と共に無数の手形が窓一面についた。びっしりと。驚いて彼の顔を見ると、彼の顔は青ざめていて、歯をガチガチさせていた。
「やばいやばいやばいやばい」
彼は呟くような声を出していた。車のスピードがぐんっと上がった。
トンネルを抜けた。行き止まりになっていた。彼はすぐ車を停めて凄い勢いで車外に出た。そして車の周りを見回して、叫んだ。
「手垢が、こんなにもおおお、ああああ。」
彼は頭を抱かえて崩れ落ちた。車外に出て彼のところに駆け寄った。車の方に振り向くと窓だけでなく車体全面に無数の手垢がびっしりと付いていた。彼の腕を握って「どうしよう」と聞いた。彼は憔悴しきっていたが
「どうしようって、おまえ・・・あ、そうだ、ハンドタオル持っていただろ。出せ」
と言ってきたので、差し出した。
「明日納車なのに、手垢全部落ちるかなあ。間に合うかなあ。許可取ってるって言ったけど、あれ嘘なんだ。やっと就職出来たのにバレたらクビになってしまう」
ハンドタオルで手垢を拭き始めた。
「ちょっと待ってよ!ここ行き止まりなんだよ!またトンネルへ引き返さないといけないんだよ。ここで拭いたってまた手垢つくかもしれないんだよ!」
と言ったら彼が
「そっか、そうだよな。引き返した時にどうせまた手垢つくのだから、帰ってから拭けばいいのか。帰ったら洗車道具あるし効率的だわな。わかったありがとう!」
と言い残し、さっと車に乗ってトンネルに消えていった。私を残して。
おまえがホラーだよ。
<<その後>>
親に迎えにきてくれと電話したら、すぐさま兄が来てくれた。
兄「あぁ?俺の車のコーティングは耐汚と耐指紋の効果もあるから関係ねえよ。しかしなんであんな奴と付き合ってるんだ?」
妹「それな!」
道すがら見えた彼の就職先である中古屋の駐車場には灯りがついていて、一生懸命洗車している様子が伺えた。そして彼は元カレとなった。
手垢が付くことくらいみんな知ってる優しい世界。