第六十一話 非常事態 その9
「行きます! みんな、下がって!」
エリーザさんの言葉を合図に、ルークさん達がドラゴンから距離を取る。
ぼくも防壁を解除して横に避ける。
一応ぼくが前にいても魔法は放てるらしいけど、相手が見えていた方がやり易いのだそうだ。
――パチン!
右手で鳴らして五百。
――パチン!
左手で鳴らして五百。
合わせて千の炎が降り注ぐ。
これが大魔法、『千の炎華』!
――パチン!
え? 三回目!?
エリーザさんが限界まで魔力を振り絞って放った大魔法が、千と五百の炎となってドラゴンに降り注ぐ!
ドラゴンの作った魔力の鱗に着弾した炎はその場で燃え上がり、魔力の鱗を消し飛ばす。
ドラゴンも次々に魔力の鱗を再生するけれど、それよりも速く魔法の炎は降り注ぐ。たちまちドラゴンは炎に包まれた。
そして――
「Gyarwaaaaa!!」
届いた!
炎は魔力の鱗を突き破って、ドラゴン本体まで焼いている!
ドラゴンが上げたのは苦痛の悲鳴!
トカゲっぽい体つきなのに、声帯があるんだ。
――ドサ!
背後でエリーザさんが崩れ落ちた。
あわわ!
ぼくは慌ててエリーザさんを受け止める。
地面に頭を打つ前に受け止められたからどうにかセーフ。
エリーザさんは魔力を使い果たして気絶したみたいだ。
アイテムボックスから厚手のシートを取り出して、その上にエリーザさんを横たえる。
振り返ってドラゴンの方を見ると、魔法の炎が鎮火して行くところだった。
炎の下から現れたドラゴンは、所々焼け焦げていた。
頑張って庇ったみたいで、頭部は割と無事だけれど、前足がかなり焼けていた。
本体の鱗が焼けたところは魔力の鱗も作れなくなるようで、ドラゴンの防御はあちこち穴だらけになっていた。
致命傷にはまだまだ遠いけど、これならば、行ける!
「今だ! 撃てー!」
おっさんの号令で、弩砲から極太の矢が放たれる。
一本目。ドラゴンの尻尾の付けに近くに飛んだ矢は、残っていた魔力の鱗に弾かれた。エリーザさんの大魔法は頭部近くに集中していたので、ドラゴンの後ろ足の近くはほぼ無傷だった。
二本目。焼けた背中を狙った矢は、ドラゴンの頭の横で魔力の鱗に掠って方向が逸れた。惜しい! 矢は地面に突き刺さった。
三本目。真直ぐにドラゴンを目指した矢は、振り下ろされたドラゴンの爪に叩き落とされた。
四本目。三本目のすぐ背後から迫った矢は、振り下ろされたばかりの前脚をすり抜けて、その付け根に突き刺さった!
五本目。……あれ? 五発目以降の矢が飛ばない。
「どうした? 早く撃て!」
「駄目だ! さっきのブレスで故障している!」
え? さっきのブレスの余波で壊れちゃったの?
弩砲は矢をセットするの手間がかかるから連射はできない。だから矢をセットした弩砲を十基並べて一斉射撃する予定だった。
一斉射撃の後はルークさん達が突っ込んで第二射は状況に応じてと言う作戦だったんだけど、初っ端で躓いた。
たぶんおっさんは一瞬迷ったのだと思う。
このままルークさん達を突っ込ませて作戦を続行するか。
弩砲が壊れたことで作戦失敗と考えて撤退するか。
けれども、ドラゴンの動きの方が早かった。
「ブレスが来るぞ! 避けろー!」
ルークさんが叫ぶ!
ドラゴンが再び頭を持ち上げたのだ。
あ、これまずい。
「リョウヘイ、エリーザを連れて逃げろ!」
おっさんも叫ぶ。でも……
無理だよ、おっさん。もう遅い。
「エリーザ! くっ!」
気が付いたルークさんがドラゴンに突っ込んで行く。けれどもドラゴンは見向きもしない。
ドラゴンの視線は真直ぐにこちらを射抜いている。
今、ドラゴンの標的はエリーザさんだ。
この場で唯一ドラゴンを傷付けられる存在。
弩砲の矢も、冒険者の剣も魔力の鱗で防ぎきれる。
魔力の鱗を破りドラゴンに直接傷を負わせたのはエリーザさんの大魔法だけだ。
大魔法を連発できればそれだけでドラゴンを倒せただろう。
だからドラゴンはエリーザさんを強敵と認め、本気で攻撃する気になった。
迷惑だよ!
今から逃げても間に合わない。
セルフブーストで強化すればエリーザさんを抱えて走ることもできるけど、丘の陰に隠れる前にブレスで背中から炙られる。
ぼくだけならば逃げられるだろうけど、それだとエリーザさんが確実に死ぬ!
だからここで打つ手は一つ。
セルフプロテクション、防壁三重展開!
――ゴオォォーー!
直後、ドラゴンブレスが直撃した!
ぐぅっ、きつい! さっきのより収束させて威力が上がっているみたいだ!
防壁の耐久力がガリガリ削られる!
全力で魔力を補充しないと追いつかない!
「リョウヘイ! エリーザ!」
おっさんが呼びかけて来るけど、答えている余裕がないよ。
おっさんも声をかけるのが精いっぱいで、近付いてこれない。ブレスは余波だけでも生身で浴びるのは危険だ。
ドラゴンの近くではルークさんが必死に斬り付けているけれど、魔力の鱗に阻まれている。
ドラゴンが体を起こしたことで、エリーザさんの大魔法で鱗を剥ぎ取った部分が高い位置に来て手が届かないみたいだ。
おっさんも矢を射かけたりしているけど、全然効いていない。ドラゴンの目を狙って射っているけど、魔力の鱗で弾かれている。
大魔法が焼いたのはドラゴンの背中側だから、腹側の魔力の鱗は健在だった。ドラゴンが体を起こして背中が見えない状態では弩砲でも効果ないだろう。
そしてぼくは身動きが取れない。
魔力を補充して防壁を維持するので手いっぱいで他のことに手が回らない。
困った。
これじゃあ防壁を張り直しながら少しずつ後退して逃げるという手も使えない。
このままだとぼくの魔力が尽きるか、防壁のタイムリミットが来たら終わりだ。
魔力には余裕がある感じたから、先に防壁のタイムリミットが来そうだけど。
さすがにそこまで長時間全力のブレスは続かないよね?
全然ブレスが終わる気配がないんだけど、そのうち終わるよね?
いったいどういう肺活量してるんだよ!
でもほんと、どうしよう?
ちょっとでも気を抜くとドンドン防壁が消耗していくから、新しい防壁一枚作る間に二枚の防壁を破られかねない。
うーん。
仕方がない。奥の手を使おう。
阪元さん、準備はいい?
『了解っス。いつでも大丈夫っス。』
よーし、やるぞ!
防壁への魔力供給を中断して、素早く空間の魔法文字を書く。
防壁が一枚破られるけど、後二枚ある。
二枚目の防壁がブレスを受け止めている間に、魔法文字に魔力を注入して魔術を発動!
二枚目の防壁も砕けたけど、どうにか間に合った。
三枚目の防壁の内側に黒い平面が現れる。
これがぼくの奥の手。名付けて亜空間シールド!
三枚目の防壁が崩壊する。
けれどもドラゴンブレスは届かない。
全て黒い平面に呑み込まれた。
阪元さん、大丈夫?
『問題ないっス。ブレレスは何もない空間を進んでいるっス。』
実はこれ、アイテムボックスの入口なんだよね。
普通のアイテムボックスだとすぐにブレスでいっぱいになって、逆流したブレスに焼かれてアイテムボックスの入口が壊れてしまうんだけど、阪元さんのいる亜空間は無茶苦茶広い。
ちゃんと亜空間内の場所を選べば、アイテムボックスの中身に何の影響も及ぼさずにあらゆる攻撃を呑み込むことができるのだ。
それにこれ、どんなに強力な攻撃を受けても魔力を消費したり耐久力が減少したりすることはない。
何しろ攻撃を「受けて」はいないからね。亜空間に流し込んでいるだけだから攻撃の強さも量も関係ないよ。
つまり、どんな攻撃でもこの亜空間シールドを破ることはできない!
空間ごと粉砕する攻撃とかあったら壊されるかもだけど。
あと、遠距離攻撃以外だと手応えが無いことがすぐにばれるから、回り込まれちゃうと思うけど。
ともあれ、亜空間シールドはドラゴンブレスを防ぎきり、全力で魔力を補充する必要もなくなったので余裕ができた。
ただ、相変わらず身動きが取れない。
亜空間シールドは防壁と同じ設置型なので移動すると原始魔術の範囲外になって消えてしまう。
おっさんに頼んでエリーザさんだけ避難してもらう手もあるけど、それだとドラゴンはエリーザさんを追って行く気がする。
ブレスが途切れたタイミングを狙ってエリーザさんを抱えて全力で逃げて、次のブレスが来る前に身を隠すのが正解だと思うのだけど、あのドラゴンしつこそうなんだよなぁ。
今こんなにも長い時間ブレスを放ち続けているのも、きっとエリーザさんが無事なのを感じ取って、どうあっても殺そうとしているのだと思う。
そんなにエリーザさんが怖いのか!
このまま逃げると、領軍と合流して迎撃態勢を取る前にドラゴンから攻撃され続けるんじゃないだろうか?
おっさんは撤退するつもりでタイミングを計っている。
うーん、普通に考えればおっさんの指示に従えばいいだけだけど。
奥の手も使っちゃったことだし。
切り札も切っちゃってもいいかな。
ぼくが亜空間シールドを奥の手にしていたのは、あれがアイテムボックスだからだ。
トラブルを避けるために魔法倉庫に偽装してまで隠しているものを人前で使えない。
ぼくのアイテムボックスの非常識な大容量とか、その中にいる阪元さんとか、バレると色々と説明が面倒だし。
それにセルフプロテクションで防御は間に合っていたからね。
今は非常事態だし、みんなドラゴンにかかりきりだからたぶん問題ない。
おっさんもルークさんもドラゴンの気を引くのにかかりきりだし、丘の上の冒険者は生き残った弩砲に矢を再装填して第二射の準備をしている。
ブレスが止んだら比較的ダメージのある前脚を狙って攻撃して足止めし、撤退する。それがおっさんの指示だった。
まあそれも、ドラゴンがブレスを止めてくれないことには始まらない。ドラゴンが体を起こした状態だと狙い難い。
と言うか、いつまで続くだよ、このブレス!
ええい、もう切り札使っちゃおう!
ぼくは魔法術式を書き始める。
参考にしたのは、エリーザさんの大魔法。
もちろんぼくにはエリーザさんの真似はできない。あの踊るように全身で魔法文字を書くには相当練習が必要だ。
それに大魔法の魔法術式を全て憶えているわけでもない。
でもぼくには時間がある。
エリーザさんでも一分以内に書かなければならない魔法術式を、ぼくならば十分近くかけて書くことができる。
全身全霊を籠めて最速で書く必要はない。
その場で考えながら、魔法術式にアレンジを加えて行ってもいい。
多少効率が悪くても、魔力でゴリ押しもできる。
まず、第一魔法文字を火から雷に変更する。
エリーザさんの大魔法はドラゴンの鱗を焼いたけど、それ以上に延焼してないみたいなんだよね。雷なら鱗は無事でも感電するだろうし。
魔法を圧縮して威力を上げる部分はそのまま使って、追尾機能は要らないから省く。的は大きいし、雷なら速いだろうし。
打ち出す魔法の数を多めに変更して、範囲指定の記述をごっそり削除する。今回はドラゴン一体、一点集中で攻撃すればいい。
よく分からない部分と、その他の補助的な細かい記述は省略して。
……うーん、ずいぶんすっきりした。元の大魔法とは似ても似つかない代物になっちゃったよ。
今この状況でしか通用しない魔法だし、効率とかも無視しているから仕方ないけど。
でも、まあこれでもちゃんと魔法は発動するはずだ。多少の非効率は魔力でゴリ押しする!
さて、準備できたところで、切り札の登場!
ジャ~ン、プチプチ~!
これさえあれば、指パッチンできなくても魔法使いになれる!
本気でぼくの切り札だけど、使うなら今しかないでしょ!
それでは早速……と、その前に。
「ルークさ~ん、大きいの行くから離れて~!」
亜空間シールドの後ろからルークさんに声をかける。亜空間シールドは光を通さないから直接は見えないけど、空間認識でドラゴンや冒険者の位置関係はだいたい分かる。
ルークさんが離れたことを確認して、今度こそ。
必~殺~! 雑巾絞りプチプチ~! (邪道)
――プチプチプチプチプチプチプチプチ!
行っけ~! 『雷撃百万ボルト』!
雷の電圧は一億ボルトとかになるので、百万ボルトどころではありません。亮平のネーミングは適当です。