第五話 修行を始めた
冒険者ギルドの二階には、宿泊用の部屋が幾つか用意されている。
ギルドの職員が泊まり込みで作業をするときに利用したり、他の町から出張してきた者が宿泊したり、ギルドで一時的に保護した人が利用したりするのだそうだ。
ぼくの場合は最後のケースだね。昨日からギルド二階の一室を借りて寝泊まりしている。
ギルドの宿泊施設は簡易的なもので、ベッドと小さな机があるだけだった。とりあえず寝るだけの部屋だね。
食事は一階の酒場……ではなく、職員用の食堂で取った。トイレもギルド内の共用のものを利用する。
風呂は付いていないので、公衆浴場まで行くか、支給されたタオルで体を拭くだけで済ませるかになる。ぼくは現在無一文なので、タオルで体を拭くだけで我慢だ。
……この世界、というかこの国では風呂の文化が根付いていた。初代国王が頑張って一般庶民にまで公衆浴場で入浴できるようにしたのだそうだ。
やっぱり、間違いなく日本人だねその初代国王様。さもなければ古代ローマ人?
そんなギルドの部屋で一泊し、朝食を食べた後にぼくはルークさんと剣士の訓練をすることになった。
最初は体力作りから……
「あの、ルーク、さん。どうして、うさぎ跳び、なんですか?」
ぼくは今、うさぎ跳びをやらされていた。こういうのは普通、走り込みじゃない?
というか、異世界にうさぎ跳びを持ち込んだのは、やっはばり日本人だよね。先輩方、何てことしてくれるんですか!
「これは、剣士に重要な足腰と根性を鍛える優れた鍛錬方法だ。剣士はみんなやっているぞ。」
並走するルークさんも、当然のようにうさぎ跳びだ。本気で慣れているらしく、息一つ乱していない。
でも、うさぎ跳びって、足腰に負担がかかって有害な割に大した効果がないから廃れたんじゃなかったっけ?
昭和の頃の日本人がやって来て広めてしまったのだろうか? ここはぼくが間違いを正さないといけないかもしれない。
「この鍛錬を続けている剣士はだいたい強くなるぞ。逆に続かない奴は弱いままだ。」
あ、まずい。既にそれっぽい実績が積み上がっている。異世界の知識と言っても聞き入れてくれないかも。
「剣士の聖地と呼ばれるエルムート山の道場で修業している大勢の剣士達は、毎朝千段ある階段をうさぎ跳びで登るそうだ。」
なんかもう手遅れだった。ごめん、ぼくの手には負えません。
それにしても、何その暑苦しい地獄絵図。一人こけたら人間雪崩が起きるんじゃない?
「現在の剣聖は女性だというし、胸の大きな美女剣士もたくさんいるに違いない!」
……地獄が一転して天国に変わった(ただしルークさんの頭の中限定)。
ルークさん、鼻の下伸びてますよ~。本当にブレない人だ。
「どうした、もうばてたのか? そんなんじゃ剣士としてやっていけないぞ。」
無茶言わんでください。ぼくはちょっと前まではヲタクで中二病な中学生だったんです。
体力あるヲタクなんて……、そういえばいたな。知り合いに筋肉ヲタクが一名ほど。
ぼくはサブカルチャーをちょっと齧っただけのインドア派のヲタクであって、プロテインを持ち歩いて唐突に筋トレ始める変人でも、リア充なスポーツマンでもないからそんなに体力ないんだよ。
「ぼくは、ゼーゼー、剣士じゃなくて、ハーハー、魔法使い、ヒーヒー、希望です。」
魔法剣士への道は果てしなく遠かった。初っ端から挫折しそう。
「いやいや、魔法使いだって体力は必要だぞ。昨日見ただろう、エリーザの大魔法。エリーザはあの魔法術式を素早く書き上げるために一時間くらい踊りっぱなしで練習していたぞ。」
うわ~、それはすごい。昨日見たエリーザさんは、かなり激しく踊っていた。本当は全身を使って大量の魔法文字を書いていただけなのだけど、その動きは素早くて正確で激しいものだった。
あれを一時間続けられるのって、無茶苦茶体力あるよ。
「よし、それじゃ次行くぞ!」
「ちょっと、まって、まだ、動けない。」
「ハッハッハッ、そういう時はセルフヒーリングを使うんだよ。体力も回復するはずだぞ。」
あ、そうか。ぼくは震える指で、間違えないように気を付けながら癒しの魔法文字を書く。そして魔力を込めて発動。
完・全・復・活!
「おお、疲れが吹き飛んだ!」
「やっぱスゲーな。これが他人に使えれば新米冒険者の特訓に使えるのに。」
それって、休む間もなく激しい訓練が続く地獄の特訓コースなのでは?
ハッ、これからぼくが受けるのはその地獄の特訓なのでは? ちょっと早まったか!?
「それじゃあ、リョウヘイはこれを使え。」
ルークさんから、ひょいと渡されたのは木刀、いや木剣だった。
木製なのは確かだけど、手にずっしりと重い。
「それじゃ、どこからでもかかってこい!」
見ると、ルークさんも同じような木剣を手にしていた。
「えーと、こういうのは素振りとか型とかから始めるんじゃないんですか?」
「へー、そういう地味な修行が好みか。近頃の若者にしては珍しいな。」
ルークさんだって今どきの若者でしょうに。それに、ぼくの好みはなるべく痛くないやつです。
「だがな、冒険者の剣術は戦って覚えろ、だ!」
それでいいのか、冒険者! 覚える前に死なない?
「まあ、細かいことは後で教えるとして、今は剣による戦いの感触を知っておいてくれ。俺からはあまり攻撃しないから、好きなように打ち込んで来い。」
そういうことならば、胸を借ります。
ぼくは木剣を握りしめてルークさんに向かって行った。
当然のように、ボコボコにされた。
自分で治せるけど、痛いものは痛いんだよ~
昼休憩を挟んで、午後はセルフブーストを中心に、今ぼくが使える魔法の練習だ。
……セルフヒーリングだけは午前中にたくさん使ったけど。
「発動子を使わない魔法は、別名原始魔術と呼ばれているわ。今の魔法技術の体系ができる前に使われていた技術だと考えられているのよ。」
一応魔法の練習なので、講師はエリーザさんだ。
「原始魔術の特徴は、魔法文字を一文字しか使えないことよ。だから、魔法術式による細かな指示ができなくて、自分で全部制御する必要があるの。」
うん、一文字だけだから簡単に憶えられた。
「普通の魔法でも、魔法文字を一部省略してイメージと魔力制御で行うことがあるわ。原始魔術の場合、ほぼ全てをイメージと魔力制御で行わなければいけないの。」
「イメージと魔力制御?」
「そうよ。例えば、『火』の魔法文字一文字だけで魔法を発動すると、丸い火の玉がその場に現れるわ。」
――パチン!
エリーザさんは実際にやって見せた。書いた魔法文字に重なるように丸い火の玉が現れた。
「けれど、火が矢の形で飛んで行くところをしっかりイメージして、必要な魔力を供給してやれば……」
――パチン!
まだ消えていなかった魔法文字に対して、エリーザさんはもう一度指を鳴らした。
――ヒュン
再び現れた火は矢の形になって練習場に置かれていた的に向かって飛んで行った。
「こんな風に書かなかった部分も実現できるわ。でもこの方法だと魔力の消費が大きいし、しっかりとしたイメージとそれに合わせた魔力の配分を行わないといけないの。」
うーん、聞いてみると難しそうだ。特に魔力の制御とか分配とかはやってみないことには何とも言えない。
「原始魔術でも同じことが言えて、ちゃんとイメージしないと、セルフヒーリングならば身体全体を回復するし、セルフプロテクションでは前方に身体が隠れるくらいの壁を作り、セルフブーストは身体全体の能力を一様に上げるわ。」
うん、確かにそんな感じだった。
「普通ならば何を回復するかとか何処を守るかとかしっかりイメージしないと効果が弱くて使い物にならないのだけど、リョウヘイ君は魔力が多いからどうにかなった感じね。」
はい、魔力のゴリ押しでどうにかしています。
「セルフヒーリングは回復の必要の無いところには作用しないし、セルフプロテクションは丈夫な防壁ができるだけでも役に立つわ。でも、セルフブーストは強すぎても使い難いわ。必要なところを必要なだけ強化できるようにならないとね。」
あ、過剰に回復したらダメージになる可能性を忘れていた。今日は気にせずにセルフヒーリングを乱発していたよ。
普通なら大丈夫だけど、ぼくの強すぎる魔力だと過剰回復で体がボロボロになるとかだったらヤバいところだった。
「セルフヒーリングならば、何処をどう回復するのかイメージして、患部に魔力を集めるようにするのよ。緊急時にはとりあえず全身回復でもいいわよ。」
すいません、全身回復を連発していました。ルークさんの特訓で全身が悲鳴を上げていたもので。
「セルフプロテクションは守る範囲を限定して強度を高めることが多いわ。持続時間は短いけれど、自分の周囲に鎧のように展開した例もあるらしいわ。」
魔力の鎧? なんかかっこいいかも。
「セルフブーストは何をどの程度強化するかをしっかりとイメージすることが重要よ。動作に合わせて筋力を強化するのが一般的だけど、視力や聴力を強化することもあるわ。」
へー、視力を強化すると遠くのものがよくが見えたりするのかな?
「失敗談としては、痛覚まで強化してしまってとても痛い思いをした例があるそうよ。気を付けてね。」
それは痛そうだ。ルークさんとの特訓で、破れかぶれでセルフブースト使わなくてよかった。
「セルフプロテクションもそうだけど、効果が切れる時間を意識すること。セルフブーストでは、毎回安定して同じくらいの強化ができるようになって、その強化した状態に慣れることが重要よ。」
うんうん、攻撃を受けている最中に防壁が消えたり、鍔迫り合いの最中に力が弱ったら大惨事だよね。
あとは慣れるだけか。……ルークさんが張り切っているのがなんか怖いんですけど!
この日はエリーザさんの講義の後、ルークさんと実践訓練を行った。
一番先に慣れたのは、セルフヒーリングだった。
この世界の冒険者は、特に根性が重要視されています。
それなりに危険の多い世界なので、防壁に囲まれた都市の外に出れば、何時何処でどんな理不尽な危機に出会うか分かりません。
そこで、とことん理不尽な訓練に耐えることで、どんな絶望的な状況でも最後まで生き足掻く根性を身に着ける、ということが行われているのです。