09 生きることしか許されない少女
ちょっとお嫁に行けないレベルで洗われて、それでもまだ微妙に臭いと言われ、思い切って消臭の魔法を行使して、なんとか人としての尊厳を僕は取り戻した。
しかし数年ぶりのお湯は、なんともいい難いものだった。感慨深い、どこか自分の中で、馬小屋生活の区切りになるような、そんなものだった。
馬小屋で暮らし、獲物を狩って、小川で汚れを落としたあの頃は、地獄としか言いようがない。
もうそんな心配はないのだと、僕たちはロゼと二人で笑いあったが――
逆に言えば、ここからは人の世界の中に入っていくということだ。
魔法力という人権を奪われた存在には、いっそのこと馬小屋という地獄のほうが、まだマシだったのかもしれないのだから。
「行くわよ、アリン」
僕は手を引かれていた。
町中、ようやく目的地にたどり着いたロゼは、僕を引っ張りながら、先に進んでいた。絵面で言えば、それは幼い少女が弟の手を引いているような光景だろう。
しかし、実際のところはそうしなければ街を僕が歩けないために、そうしているのだ。
原因は、視線。
街中の視線が、僕に向けられていたと言ってもいい。
いや、そこまでひどいものではないけれど、誰かがそれに気がついてしまえば、周囲には動揺が広がる。僕の魔法力の低さに動揺し。
「わかってる……それにしても、すごい視線だよ」
「気にしなくていいわよ、今、ここには私がいるんだもの」
視線に伴った感情は、困惑。
どうしてこんなところに、こんなものがという感情だ。今の僕は、さながら珍獣かなにかという扱いである。人に対して向けられるものではない。
しかし、意外にも侮蔑などの感情は向けられない。
これはロゼが――魔法力300という、世界でも有数の基礎魔法力を有する少女が僕を連れているからだ。つまり、僕はロゼの所有物という扱いなのである。
僕がどれだけありえない異物だとしても、それを所有するロゼが存在する以上、僕に嫌悪感を示すことはロゼに喧嘩を売ることと同義、というわけだ。
中には堪えきれていないものもいるが。
『くくく、今のお前達は、さながら露出プレイで観衆に見られているかのようだな』
『なんて表現をするんだよ!?』
非常に楽しそうなアスモは、自分が関係ないからと、とんでもないことを言ってくる。トリックスターに現代知識は劇物すぎるといういい例だった。
「……ついたわよ」
ふと、ロゼが足を止めた。
「ここは?」
視線の先には、大きな店があった。やたらと豪華な、成金めいた趣味の悪い装飾、ふと、近くに看板があるから見てみれば、そこには『魔法力253 豪商ゲイガンの店』と書かれていた。
いや、なんの店なのか知りたいのだが。
「この街で、一番品揃えの豊富な服屋。店主がクズなことを除けば、優良店らしいわ」
「見れば解るよ……」
というわけで、僕たちは服屋に入ることになった。
まぁ、理由は言うまでもなく、ボロ雑巾みたいな服を着ている僕から、それを引っ剥がすためだろうけれど。
……なぜか、ロゼの目が輝いていた。
嫌な予感が溢れ出したが、僕の手はロゼにガッシリと掴まれているのであった。……このために僕の手を掴んでいたわけじゃないよね?
◆◆◆
街についたのは日が暮れるころだった。閉店間近の店に、客はいなかった。とはいえ、まだ一時間くらいは時間もあるけれど、しかし現代知識いわく、女性のファッションに関わる買い物は一日仕事らしいのだが、大丈夫だろうか。
「失礼するわよ」
そう一言声をかけて、ロゼは服を漁り始めた。
店には、ロゼの言う通り多種多様な服が取り揃えられている。中には異国風の、生まれてこの方見たこともないような服もある。
しかし……違和感。
「ねぇ、ロゼ?」
問いかけようとして――
「――思ったんだけど」
ロゼが遮るようにつぶやいた。
これまた嫌な予感、とはいえ、声音は至ってマジメ。
「アンタ、恋愛力を魔法力に変換してるのよね」
「うん」
「その変換を、自由に切り替えることができる、と」
「うん」
「どれか特定のやつだけを変換することってできないの?」
その言葉の意味を考えながら、どうだろうと意識を集中させる。
――前に、
『できるぞ』
「できるってさ」
アスモが答えた。からかうような声だ。人の集中を無駄にさせたことがそんなに楽しいのだろうか。
「んじゃあ、ここに来るまで一度として変化することのなかったクローズドの恋愛力、それだけ普段はオンにしなさいよ」
「……ん、そうすると」
「ええ、アンタは魔法力があるように周囲から映るでしょうね」
『そうすると、お前は魔法力11のゴミからエリート魔法力の持ち主に変貌するな』
――思っても見ないこと。
いや、そもそもの話、先程の視線だけで分かる通り、僕が魔法力11のママだと、いくらなんでもロゼが従者にするとしても異質に映る。
露出プレイとアスモは言ったが、まさしく倒錯した性癖の持ち主と受け取られかねないだろう。
流石に、ロゼもそこまではゴメンのはずだ。だとしたら、
「……ロゼ、最初からこういうことを考えてた?」
「アンタから恋愛力の説明を受けたときから、なんとなくね」
「でもそれじゃあ、僕がアスモに出会わなかったらどうするつもりだったのさ」
「偽装するに決まってるでしょ」
「――!」
それは、この世界においてはとんでもない発言だった。
魔法力の偽装、もしそんなことが可能であれば、この世界の常識は根底から覆ってしまうだろう。故に、魔法力の偽装は禁忌だ。
そもそも、
「そもそも、偽装するにしても人はごまかせても、それ以外はごまかせないじゃないか」
「ごまかせなくてもいいのよ。アンタは魔法学院に通うわけではなく、アタシが個人的に雇ってる従者なんだから」
魔法力の偽装。
可能か不可能かで言えば、可能だと僕はお祖母様から聞いたことがある。というか、お祖母様ならできるだろう。しかし、実行したとしても、ごまかせるのは人の魔法力感知だけなのだそうだ。
この世界では、十歳のときに魔法力を測定する儀式を行い、それ以降、魔法力を行使することができるようになる。同時に、他人の魔法力を把握することができるようになるのだ。
だから、カエランや街の人々は僕が何も言わなくても、僕の魔法力がゴミであることを把握できた。
「アタシの魔法力は300越え。そんな魔術師のことを怪しむなんて、この世界ではその方がおかしいんだから」
「……なるほど」
僕たちは、この世界を変えると決めた。とはいえ、一朝一夕で変わるものではない。ロゼはそれをよくわかっている。だから、必要であればこの世界の常識を利用することもいとわない、と。
『くくく、ロゼは純粋だが、純粋故に染まりやすい。修羅に堕ちると決めれば、どこまでも堕ちていくぞ』
『随分と知った口を聞くな……』
『知っているのさ、私は神なんだぞ?』
悪魔じゃないか、とは口にせず、僕は話をまとめる。
ロゼの狙いが解れば、この服屋に来た理由もなんとなく見えてくる。
「ロゼはここで、僕を魔法力が人並み以上にある人間に変装させるつもりなんだね」
「そ、町の外で言わなかったのは、ボロボロの服を着てる魔法力200越えのほうが、魔法力11のアンタより異質だから、よ」
憲兵が飛んできてもおかしくない事態だ、とロゼはいう。
しかし、その答えはなんというか、少し言い訳臭かった。
「……ねぇ、ロゼ」
「何よ」
ロゼは、どうやら服を選び終わったのか、それを手に持ちつつ、僕の方を振り向いた。
……どうして、
「……ここ、女物の服のお店だよね?」
「そうだけど?」
どうして、ロゼはやたら露出の多い女物の服を手にして、僕に近づいてきているんだ?
『ク、ククク……アハハハハハハハハ!』
『笑うな!!』
「私はアンタにそばにいてほしいのよ」
「う、うん」
「魔法学院の従者は、基本的に常に主人の側にいても許されるわ」
「うん?」
「同性ならね、異性同士は不純だからだめなんだって」
「待って待って」
『アハハハハハハハハ!!』
「あんた、女顔だから行けるわよ」
凄まじいドヤ顔でロゼはそういった。
「待ってよ!?」
僕は止めるが、しかし。
――こういう時のロゼは止まらない。
けど、しかしだからといって、
「その露出度はダメだってー!」
肩とお腹と背中と足と胸元が全部でているじゃないか! 叫びながら、僕は逃げようとするがしかし。
ふと、そこで。
「いらっしゃいませー、申し訳ありません、おまたせいたしました」
店員がやってきた。
それを見て、僕もロゼも、固まった。
もっとすごい露出度のメイド服だった。
「…………」
「…………」
お互い、何も言えなくなって、視線をさまよわせる。
やってきたのは、十二かそこらの少女だった。幼い、僕よりも更に背が小さい彼女は、明らかにその幼さに見合わない露出で、彼女の顔立ちは非常に整っているが、印象の薄いものであったのも含めて、アンバランスに思える。
首につけられた首輪も、どこか淫靡に思えて、そぐわない。
ただし、
『うわ、でか……』
『ちょっと黙っててくれ』
アスモが、少女の体型の良さにうめいたのを黙らせている間に、
「えっと、その……い、いかが致しましたか?」
「……いえ、何も」
ロゼがそう答えて、少女に試着の許可を求める。
しまったと思うが、もう遅い。
少女は僕たちを試着室へ案内してくれた。
逃げ場を失ったことを理解しながら、僕は少女を見て――そして同じく少女に視線を向けるロゼと目があった。
そうしてしまう理由は一つ。
少女の魔法力が、56しかなかったからだ。
それは、人が人として生きていける、最低ラインの数値。
そしてその上で、人としては最低限以下の生活しか許されない数値。
そんな少女がこの店で、こんな服で働いている意味を、僕たちは即座に理解した。
「……貴方、名前は?」
ロゼが、思わずと言った様子で聞いていた。
「……? えっと」
少女は――
「アミ、です。それ以外の名前はありません」
僕と同じだ。
果たして――人として生きることすら許されなかった僕と、
人として生きれるがゆえに、人の尊厳を踏みにじられる少女。
どちらが、マシなのだろう。