07 ロゼはそれがわからない。
『ふむ……勝利だな』
「……そいつ、生きてる?」
静まり返った廃村で、僕たちは倒れ伏したカエランを見下ろしていた。体中焼け焦げて、半死半生といった様子だ。つまるところ、放っておけば死ぬ……かもしれない。
「生きてはいる……けど、後は魔法が決めることだ。放っておこう」
故に、僕たちはカエランをスルーすることにした。
魔法力をぶつけ合って、勝敗がついたということは、魔法力が運命を決めるということだ。原則、意図した理由がない限り、決着が付いた後に魔術師を殺すことはない。
逆に言えば戦いの最中に殺しても僕たちは気にしないし、それは自然なことだ。
この辺り、前世の知識はおかしいと言うけれど、残念ながら僕たちはこの世界に最初から暮らす人間である。それをおかしいとは思えなかった。
「――ま、こいつを憲兵に突き出すにも、説明が必要だしね。やめておきましょ。……で」
加えて言えば、僕らの現状を憲兵――警察に報告するのも、色々とややこしいために、僕らはこれを放置する他なかった。
ロゼが自身の杖をカエランから取り戻し、僕に向き直る。
「詳しく話……聞かせてくれるわよね?」
「どこから?」
「全部」
だよなぁ、と僕は大きく息を吐いた。
そして――
「……つまり、アンタにはこの世界の情報が知識としてあるってこと?」
「まぁ、そうかな? 他にも別の世界の知識もあるけど、この世界じゃ大抵のことは魔法で解決できるから、そうなるね」
洗いざらいという言葉は、こういう時のためにあるのだろう。
僕はロゼに僕が知っている全てを話した。魔法力の測定儀式を終えた時、前世の記憶を思い出したこと。それを使って魔法を自由に行使できること。それから……恋愛力とかいうふざけた力と、アスモダイオスのこと。
なお、恋愛力について明かしたら、数分ロゼは抱腹絶倒して動けなくなった。
今も少し顔が笑っている。
「ぶふっ」
「思い出し笑い!」
発作が始まった。ロゼは再び少しの間笑い続けると、それを何とか抑えて続きを促した。
「アスモダイオス、ね。聞いたこと無いけど、すごいやつなの?」
「一般には知られてないけど、この世界に魔法力をもたらした三人のすごい存在の一人……なんだって」
「ほんとにすごいやつじゃない」
『崇めていいぞ』
――まぁ、悪魔であるから記録から抹消されたのだけど。
口に出すと絶対にひどい目に合うから、僕は固く口をつぐんだ。アスモダイオスに関しては話すと長くなる上に、ゲームのストーリーについて踏み込まないといけないからかいつまんで話すが、この世界の神の一柱で、主人公たちの敵になったり味方になったりする存在だ。
トリックスター、引っ掻き回し役といったところか。
「それにしても、前世の記憶ねぇ。それ思い出しても、全然アンタが変わった感じしないけど」
「なんていうか、記憶って言っても知識だけって感じでね。前世の僕は今の僕とは少し違う僕だったらしいけど、僕はそれをガラス越しに見ているだけなんだ」
ふーん、とロゼは興味がなさそうだ。
『お前の前世の記憶は一種の異能だ。記憶という書庫の中から、自由に情報を取り出せる異能。だから的確に魔法の詠唱を覚えていることができるし、唱えることができる』
便利極まりない話である。
確かに言われて見ると、僕は前世の記憶を引きずり出しているような感覚で思い出していた。引きずり出した後は元あった場所に戻し、また必要があれば思い出す。
それは、普通の人間の記憶するという行為とはまた違うものではないだろうか。
「だってさ」
「なんとなくわかったけど。っていうか恋愛力って何よ、私からはアンタが突然魔法力を得たようにしか見えないわ」
「そっちからはどう見えてるの?」
そこは少し気になる話。僕からは恋愛力がそれぞれ個人ごとに別れて見えているけれど、他人も同じようには見えていないだろう。
「えっとね」
ロゼが言うには、通常の魔法力と魔法倍率、そして総合値が見えているらしい。
魔法力は289、倍率は5.77、総合値は665。しれっとロゼの倍率が上がっている。
僕から見ると、この内89がロゼ、ほかは変化なし、といった具合だ。つまり、僕にとってクローズになっている恋愛力は全て基礎値換算になるということか。
「うーん……お?」
「どうしたのよ……って、魔法力が11に戻ってるじゃない!」
「戻せる気がしたから試してみたけど、戻せた」
「軽いわねぇ!」
ロゼは楽しそうだった。
「ま、私としちゃどっちでもいいけど、アリンとして通すならそっちのほうがいいわね。……そうだ」
ふと、彼女の様子が変わった。
何かを、いいことを思いついたと言わんばかりの顔で、僕はその顔に嫌な思い出が多い。というか、凄まじい勢いで嫌な予感がしている。
「あんた、恋愛力高めなさいよ」
あっけからんと。
彼女はそう言ってのけた。いや、待った待った。それはいくらなんでも良くない。ロゼは何を言っているんだ? それってつまり、
「ロゼ以外の誰かを好きになれってことか!?」
「違う、アンタに誰かを惚れさせるの、アンタの意志は関係ないわよ」
「その方が問題じゃないか!」
ロゼは、僕の言葉に唇を尖らせる。彼女は不服そうだが、僕だってその言葉は受け入れがたい。
「第一、一夫多妻なんて珍しいことでもないじゃない。逆だってそうよ、魔法力が高いならそれくらい当然でしょ?」
「だとしても……それと僕たちはなんの関係もないじゃないか!」
――ロゼが言う通り、この世界で多くの妻や夫を娶るなんて珍しいことでもない。魔法力の高い人間がそれを望んだら、低い人間はそうしなければならないのだから。
むしろ、そうしないことのほうがおかしい。
だが、僕たちはそうじゃないだろう。
ロゼはどうして僕を救い出してくれた? 僕はどうして救い出されなきゃいけなかった? この世界の常識を関係ないと切り捨てたから、ロゼは僕を助けてくれたんじゃないのか?
「……わかんないわよ、私はアンタがいればそれでいいんだもの」
「それは……」
「アンタだってそうでしょ? 私、アンタ以外を好きになったことがないのよ?」
幼い頃、僕たちは二人きりだった。僕の両親はすでに亡く、僕は祖母であるリマお祖母様によって育てられ、ロゼは僕の婚約者として、僕のためだけに育てられた。
そう、聞いている。
でも、
「……でも、僕には前世の知識ってやつがある。それは、一人は一人を愛するべきだって、そう言ってるんだ。僕は、ロゼだけを好きじゃだめなのか?」
「…………わかんないわよ」
ぷいっと、彼女は視線を逸して、そういった。
今にも泣き出しそうな目で、少女は言った。
「私、アリンのことを全て肯定するようにって、ずっと言われてきたわ」
それは、
「でも、アリンはそうじゃないっていう。だから私は好きにしたのよ。アリンが欲しい、アリンがそばにいてくれればそれでいい。今の私にあるのは、それが全部」
ロゼという少女が、これまで歩いてきた過去を、振り返る言葉だった。
「全部だから、それ以外がわからないの。ねぇ、アリン」
そして、振り返って出てくる言葉が、僕に対する好意だけであるというのなら。
「アリンは私がアリンのことが好きな人を増やすのはおかしいっていう。それって、私に嫉妬してほしいってこと?」
だったら――
「だったら、私はどうやってその、嫉妬ってやつをすればいいの?」
――ロゼの歩いてきた道は、どれほどまでに細くて、短くて。
そして、先の見えないものなのだっただろう。
ひとつだけ、思うことがある。ロゼの恋愛倍率は、好きだと僕が伝えてもなお、まだ5倍なのだ。ちょっとのことで多少の上昇を見せる彼女の倍率が、果たしてあの数字は正常なのだろうか。
倍率に高さには、執着の度合いが含まれるのだとしたら、ロゼの倍率が、ロゼの好きが、遠慮に満ちたものだとしたら。
僕は少しだけそれが、胸の中でざわついた。
だから、
「聞いて欲しい、ロゼ」
僕は、答えなきゃいけない。
ロゼに、想いを伝えなきゃいけない。
さぁ、ここからが正念場だ。僕にだって、答えなんてわからない。ロゼの嫉妬がほしいのか、この胸のざわつきこそが執着なのか、それすらも。
けど、
ロゼが今、泣き出しそうなのは事実なのだ。
あの目を、――それを押し殺した感情の無いその瞳を、
僕が、笑顔に変えてやるんだ。