05 覚醒
――今でも時折思い出す。
ロゼは一言でいうと、ダメな子だった。
ワガママで、自分勝手で、現実が思い通りに行かないと周囲に当たり散らす。そんな彼女は僕を玩具として扱っていた。
僕の意思なんて関係なく、彼女は僕に命令したり、僕を好き勝手したり。
それに何度泣かされただろう。もう、数え切れないくらいだった。
じゃあ僕にとって、彼女は悪魔だったのかといえば、それはハッキリとノーと答えることができるだろう。
楽しかったのだ、ロゼはワガママだったけれど、とても良く笑う子だったから。それに、彼女は僕がそれを悪いことだときちんと説明すれば、納得してくれた。
お祖母様がしかれば、それをきちんと受け入れてくれた。
良くも悪くも素直だったのだろう。思ったことは全て口に出し、納得したことは躊躇いなく受け入れる。だから、気がつけば彼女はワガママではあっても、それを当たり散らすことはなくなっていた。
――ワガママであること、素直であること。これはグリンゲン家の教育が大きいと、後に聞いた。グリンゲン家は男系の一族で、女性というのは政略結婚の道具に過ぎない。
だから男より優秀であってはならず、けれども男にとって都合の良い、そんな女性に育てるのが、家の方針だったとか。
つまるところ、そのあり方はロゼが本来持ち合わせていたものではなく、環境によって形成されたものであるということだ。
だから、ロゼの本質はそこではなく――
彼女の本質は、一度決めたことを頑なに譲らないことだろう。僕を手に入れるために、アレほど無茶な策に打って出たくらい。
そして、もう一つ、
とても良く笑うこと。
それがロゼという少女のあり方で。
僕はそんな二つの魅力に、惹かれていたのかもしれない。
ああ、だというのに――僕はロゼに、
あんな顔を、涙をこらえる能面のような顔を、させてしまっていたのだ――――
◆◆◆
『ククク……困惑しているようだな、アリン・オータウス。いや、これからはただのアリンになるのか? まぁいい、正気にもどれ、命の危機はどこにも去ってはいないのだぞ』
意識を声に引っ張られる。
少しだけ、ロゼのことを思い返していた。現実では一瞬のことでも、僕の中では遠い遠い過去の旅路。しかし、それで何が変わるわけでもない。
今も、カエランは僕らを殺すためにそこにいる。
一時的な目くらましが、なんの意味があるという。逃げ切ることは不可能だ。だからこそロゼだって、それを手札から切らなかったのだろう。
だが、時間稼ぎにはなる。
「アリン! 今あんたおかしいでしょ! 何があったのか話しなさいよ!」
『ああ、ロゼには話しても構わないぞ。むしろ、話したほうが話がスムーズだ』
わけのわからない声。
大人びた少女の声であることは解る。どこからしているのか――見れば、手にはペンダントが握られていて、これが声を発しているのだと、僕は直感した。
「これから……これから声がするんだ! 多分、ロゼには聞こえてないと思うけど……」
「声……? 信じられないけど、そうね。だったらどうだっていうのよ、そいつはなんて言っているの?」
『伝えてやれ――もう一度言うぞ。助かりたければ私の力を使って貰う』
力強い声だった。
有無を言わせない、けれども、警戒せざるを得ない声。得体のしれない、という言葉があまりにもにある胡散臭い少女の声は、僕を上から下まで揺さぶってくる。
だが、伝えない理由はない。
少なくとも、ロゼに嘘を付く理由はないのだ。
「助かりたければ、この声の力を使え……って」
そして、
「なら、使いなさい」
ロゼは、力強くそういった。
「待ってよ! 流石にこんな唐突に、信じられるわけないでしょ!?」
「信じられなくても、私達に他に助かる手段があるっていうの!? それに……よ」
正面から、ロゼは僕を見ていた。
じっくりと見据えて、目を合わせて、決して躊躇うことなく。――ああこれは、見覚えがある。いつもの目だ。ロゼが何かをこうと決めた時、彼女は絶対にそれをためらわない。
僕は、そんな彼女をよく知っていた。
「私の知ってるアンタは、何があっても絶対に諦めるってことだけはしないのよ」
そして彼女は、そんな僕のことを知っていた。
「……昔、私が今の百倍くらいワガママだった頃、アンタにとって私はすっごい嫌な存在だったと思うの」
「それは……」
まぁ、否定はできない。
泣かされたこと星の数、叩かれたこと人の数。それはもう、色々とひどい目にあった。今にして思えば、いい思い出だと思うけど。
「でも、アンタは私を見捨てなかった。よく笑ってくれるから、それだけの理由で、アンタは私を諦めなかった」
「……だから?」
「うん、……だから、私は今がある。その今を諦めなかったアンタが、私たちのこれからを諦めるはずがない。そうでしょ?」
買い被り……というのは謙虚が過ぎるだろうか。
自分でもどうかとおもうが、そもそも人としての権利を剥奪されて馬小屋に押し込められて、それでも生きることを諦めず、たとえ惰性でもこれまで生存してきたのは、諦めが悪いといえばそのとおりだろう。
だから、僕はロゼの言葉を否定できなかった。
否定できないのなら。
「――そうだね。僕はまだ、未来を諦めたくはない」
僕は、肯定して立ち上がらないと。
『話は終わったか?』
「待たせて悪かったね」
『構うものか、ああ、お前たちのそれは何時見ても飽きない。もっとやっていいぞ』
「……お前、どこまで知っているんだ?」
『くく、そこに話を逸らすと長くなる、やめておけ。――そら、霧が晴れるぞ』
疲弊し、倒れ込むロゼを庇うように僕は立ち上がり、前を向く。辺りに広がっていた霧が晴れ、風が吹いた。
「ハッ、なんのためにやったのか知らないが――まさか一歩も動いてないとはな」
カエランが、僕を見下ろしている。
僕はカエランを、見上げていた。
「まさか、お前が戦うのか? ゴミが、その魔法力、そもそも存在していないと同じじゃないか。笑わせるぜ」
「戦うんじゃない、守るんだ。僕たちが生きていくために、必要な未来と、ロゼを守るんだ」
「ヒューッ、お熱いねぇ。俺はそういうの、嫌いじゃねぇが……お前は邪魔だ。鬱陶しい!」
その言葉とともに、カエランは炎を掲げた。その数無数、避けられるものではないし、避けるつもりもない。もう、引くという選択肢はどこにもないのだ。
「ここで死ね! 生きていく価値が元からないと決まっているなら、せめて女に背を見せることなく死ねる幸福に喜べよ!」
「断る! ロゼに涙は似合わない。僕は――ロゼの笑顔のために戦うんだ!」
炎が、放たれた。
迫りくる死。たとえペンダントの声が虚言か狂ってしまった僕の聞き間違いだとしても、僕はこうするしか方法はなく、それをロゼは後押ししてくれた。
なら後は、
僕はそれを信じて先に進むだけだ!
『――そうだ! 信じて進め! お前を支える女の顔を思い浮かべながら、一歩を踏み出せ!』
ペンダントを構え、その声に従って進む。迫ってくる炎へ、それをかざした。
『お前は、これから多くの女と出会うだろう。そいつらは願っている。不幸に泣き、間違いにとらわれている。そいつらの救いを諦めるな。お前がそれを諦めない限り、そいつらはお前の力になる!』
――そんな、聞き捨てならない言葉を、今だけは聞き流し。
『我が名を叫べ! 剣を抜け! アリン!!』
「――抜き放て」
心の底に、その名は灯った。
<アスモダイオス>
そして、光がペンダントから溢れ、カエランが放った炎を切り裂いた。
「な――」
『我が名はアスモダイオス! ここに契約は成った! 待ちわびたぞ、お前が私を抜くこの瞬間を!』
――ああ、知っている。
アスモダイオスの名を、僕は知っている。前世の記憶で、嫌というほど。
だが、今は構わない。
彼女が僕の剣になるというのなら。それも受け入れるまでだ。
「僕は……アリン! 天魔アリン!」
「……まて、まてまて……何が起きている!? 何故、何故お前に魔法力がある!!」
<天魔アリン>
魔法力:100(x3.12) → 522
200
10
「お前が知る必要はない。ここでお前は僕に敗れる」
「……はっ、その魔法力で、俺に勝とうなんざ、無理な話だろうがよ! たとえ魔法力が跳ね上がろうが、てめぇは俺以下のゴミに違いはねぇ!!」
「それは――」
僕の手には、光の剣。
それを突きつけて、僕は叫んだ。僕の背を見る、少女を守るために。
「――未来が決めることだ!」