12 自分勝手は嫌いです。
――自分勝手な人間が、アミータ・ゲティスという少女は大嫌いだった。
アミータ・ゲティス、過去の名前である。魔法力が二桁であることが解ったその日、アミはそれを剥奪された。人として生きることはできても、人の子として生きることは許されなかった。
体面という理由で両親によって捨てられた少女は、その容姿を見初められ、ゲイガンという男に売られることになった。
だから、もっと言えばアミは、自分の顔も、決して好きではない。
人を顔で判断するということも、嫌悪感があったのだ。
その上で、ゲイガンという男は中身も外見も最悪だった。
性的な行為は年齢を理由にされなかったものの、罵倒、暴力といったものはいくらでもアミに対して叩きつけられた。自分より魔法力の低い人間が目の前を通り過ぎたという理由で蹴り飛ばされたこともある。
だからゲイガンは、アミにとって自分勝手をそのまま人にしたかのような存在に思えてならなかった。
その上で、アミがこうして生きているのは、アミの自分勝手な理由だった。
死ぬのが怖い。ただでさえ痛みというのは怖いものなのに、死ぬためにはその痛みがもっと必要で、アミには到底それを受け入れることができない。
だから、死ねない。
死ぬ勇気がない。――そんな自分が嫌で嫌で仕方ない。
この世界に自分勝手でない者はいない。魔法力で人を判断することが当たり前の世界で、魔法力なんて勝手極まりない理由で人の尊厳が奪われる世界で。
その勝手がなければ、そもそも人は生きていけないのだ。
勝手な力がなければ、人は人として扱われないのだから。
だから、アミはこの世界で生きてはいけない。自分すら好きになれない少女が、どうして世界を愛せるだろう。
少なくとも、今のアミは生きてはいない。死ねないから死んでいないだけで、
――自分が生きているのかどうか、アミにはそれを答える権利すら、与えられてはいなかった。
◆◆◆
「お、おまたせいたしました、ご主人さまっ」
アミが主に呼び出され、急ぎやってきたのは店から少し離れたゲイガンの本邸だ。豪奢に満ちたあの店に負けないくらい、周囲に見せつけるようにその家は装飾過多だ。
見ているとめまいがしそうなほど、アミにはこれが眩しくてたまらない。
「遅い!」
――ゲイガンの第一声は、いつも決まってこれだった。
「何をもたもたしているのだ、やくたたずめ! ……ああそうか、お前は魔法力もろくに無い、ゴミのような奴だったな。使えないのは生まれつきか」
そして二言目には、必ずこれだ。
いつまで経っても飽きないのか、いや、ゲイガンはこれしか話す言葉を知らないのか。
「それに比べて儂はどうだ。この魔法力、魔法学院のガキどもにも引けをとらん。現に、儂は一代で財を成し、あのような店を持つに至った。それもこれも、この儂の魔法力あってこそ」
「……」
上機嫌なゲイガンの語りだしにまかせて、アミは心を閉ざしながら黙りこくる。
嵐が過ぎるのを待つ小舟の上に、アミはいた。
「だというのに、あの連中はそれを理解しておらん。儂には魔法力があるのだぞ。だというのに、何故儂の命令に従わんのだ。理解できん」
どうやら、何か商談でもしていたのか、ゲイガンは先程までこの部屋にいたらしい存在のことを仄めかす。手元にはなにやら小瓶のようなものが置かれていて、アミはそれに見覚えがない。
一体何かとは思うが、そこで詮索しては絶対に行けない。
そもそも、アミが口をだすことは許されていないのだ。常に、ゲイガンの言葉を肯定することがアミにはもとめられている。
「夕餉の支度をしろ、それから当然風呂の準備はできているな」
「は、はい。夕餉も、後は調理をすれば直ぐに」
「当然だ。でなければお前をここに置く意味もない。お前のような小娘を! 儂は待ってやっているのだぞ!」
懐に小瓶をしまいながら、ゲイガンは言う。
恐ろしい話、自分にこれから待っている未来は、今よりさらにひどくなることが決まっているのだ。
「夕餉の支度が終わり次第店を閉めろ。売上は忘れずに回収するのだ」
「もちろんでございます」
深々と頭を下げる。
これなら、なんとか今日はやり過ごせそうだ。商談がうまく行かなかったのだから、当たり散らされることもアミは覚悟していたが、想像よりは機嫌がいいらしい。
あの小瓶が手に入っただけでも、結果としては上々ということだろうか。
「それと――」
ふと、ゲイガンは部屋から出るためにアミへ背を向けたところで、声をかける。思わず身を竦ませるが、内容はアミの想定したものとは違っていた。
「魔法力11とかいうケダモノが街に紛れ込んでいるそうだな。嘆かわしい、憲兵は何をしているのだ?」
「……そう、なのですね」
そして、想像とは違っていたからこそ。
アミは、自身の背筋が急速に凍るのを感じていた。
「もし、見かけたら儂に教えろ。そのようなケダモノ、儂が手ずから駆除してくれる」
「…………!」
思わず、顔を上げていた。
ゲイガンはそれを訝しむことはしないようだったが、
「万が一にでも店に上げてみろ、いくらお前が愚図だろうと、こればかりは見過ごすことはない。――いいな?」
「は――」
一瞬、詰まる。
だが、もしここで言葉に詰まれば、ゲイガンは必ずそれに気がつく。
だから、だからダメだ。
自分だけなら、まだいい。むしろそれで殺してくれるなら、過程で何をされても構わない。しかし、
「はい」
あの少年だけは、
絶対に、傷つけさせるわけには、いかないのだ。
◆◆◆
「……よし、と」
アミは店の戸締まりを確認すると、一つ息をつく。
ゲイガンは夕餉を終えたらそのまま就寝するつもりだろう。そうなれば、明日の準備はともかくゲイガンと顔を合わせるということはなくなる。
そうなれば、まだアミにとっては気楽なものだ。
家事をする、ということそれ自体は嫌いではない。むしろ好きな方なのだから。
それにしても――と、思い返す。
今日は、不思議な出会いをした。
まず、ゲイガンよりも魔法力が高い人間を初めてみた。魔法学院には、ゲイガンよりも魔法力が高い人間はいくらでもいるのだろうが、ゲイガンがそれを許さなかった。
自分以上の魔法力を持つ存在を、彼は許せないのだろう。
そして、自分よりも魔法力が低い人間を初めてみた。
魔法力11。おそらく考えうる限りでももっとも低い魔法力である。魔法力が50を下回れば、基本的に人間扱いはしてもらえない。
アミはまだ、いずれ性の対象としてゲイガンに見られることになるが、だとしてもそれはアミが人間扱いをされているという証左である。
だからあの少年は、もはや人ではなく、それを連れ歩くあの少女は、珍妙なペットを連れているのと同じだと、アミにだって理解できた。
とはいえ、それにしては大分少女は少年に執心しているようだったが。よっぽど魔法力に頓着しない性格なのだろうか。
そこはアミには判断がつかないが、ともあれもうひとりの少年。彼に思わずアミは見惚れてしまった。自分にも、まだそんな感情が残っていたのかと、驚いてしまう出来事だった。
ああ、けれどもしかし。それってつまり――魔法力が自分より低かったからではないか? だから安心して、上から目線に見惚れることができたのではないか?
結局自分も、この世界の人間らしく、魔法力でしか人を見れないのではないか?
胸の高鳴りと同時に湧き上がるその思いを、アミは否定できなかった。
「……いけない、早く戻らないと」
思わず、ぼーっとしていた。
心はどこか浮ついていて、さながら自分は恋する乙女だ。
けれど、最終的には不安に苛まれて、自分が解らなくなっているに過ぎないのだと気がつく。
足元に置いてあったゴミを持ち上げながら、そう思う。
やはり自分には、人を好きになる資格なんてないのだと。
そして、
――けれど、
まるでそれをあざ笑うかのように。
はっきりと否定するかのように。
「――大丈夫? 重そうなら持つけど」
彼は、店で出会ったあの少年は、アミの前に現れた。