暗闇から命乞いの声
今日も病室という名の【倉庫】から、ナースコールが詰め所に絶えず鳴り響いた。
TVでは〝現場で戦う医療従事者〟の映像として防護服を纏い、熱心に患者へ寄り添うシーンばかりが流される。
しかしその多くは元々医療資源の豊富な法人であり、急性の呼吸器疾患に対応できる設備・人員・金の揃った病院ばかりだ。当院のように、元々医療資源も設備も脆弱で、医者も看護師も経験不足な中、いきなりクラスターが発生した病院はこうはいかない。
防護服の支給なんてあるはずがないし、仮に支給されたとしても保管場所もなければ、保管方法や消毒方法、……医療従事者として恥ずかしい話だが、なんなら着用方法さえままならない人間もいるだろう。
なによりきっついのが掃除・消毒作業にベッドメイキングだ。今まで業者さんが入っていたからなんとかなったが、少ない人員を割いてトイレから病室まで掃除をおこなっている。患者に関わる時間が本当にない。時間の余裕がなくなれば心の余裕も無くなるというもの。
心を亡くすと書いて【忙】とはよくいったものだ。
ならば耳に心と書いて【恥】と読むのはどうだろう。いまわたしは、本当に患者さんの言葉に耳を傾けられているか?……絶対に否だ。
ナースコールから聞こえてくるのは、最早〝苦しいから何とかしてほしい〟という次元のものではない。怨嗟と呪詛に満ち満ちた〝命乞い〟だ。
「病院に殺される。」と叫ぶ患者に苛立ちを覚えていたが、こんな境遇に遭えばあたりまえ。我々が死の契機を作り、実際に命を落とす危険に満ちた部屋へ監禁されている。
もうあの声は聴きたくない。でも、耳から離れない。