これは何かの人体実験だろうか
今日も元気だ煙草がうまい。
こんな税金の塊を吸って寿命を縮めているのだから、喫煙者とは愚かなものだ。しかし、こんなものでも吸わなければやってもいられん。何より味を感じるということは、忌まわしい流行り病の前駆症状はないという安心感がある。
体質的に酒が呑めないので、この流行り病で唯一〝良かった探し〟をするならば煩わしい忘年会や新年会がなくなったことくらいか。あと、残業代の出ない謎の研修もなくなった。
なんだかネットやTVを見ていれば、民間の病院でこの流行り病を受け入れないことに批判が集まっている。上の方では罰則まで用意しているらしいが、現場や事務方の対応は冷ややかだ。【保険適用剥奪】くらいの罰則がなけれ、よほどのことが無い限り受け入れ何てしないだろう。
わたしは一看護師でしかないので、医療経営についてなど門外漢だが、当院の惨状を見た我が地域は少なくともどこも受け入れない。それだけは確信できる。実名公表したところで、地域病院マップページ状態になるだけだ。
もしクラスターが発生すればその烙印は想像を絶する。全国ネットで晒し者にされたうえ、職員は半減。診療報酬はほとんど得られず、ボーナスはカット。優秀で意識の高い医者や看護師、家庭のある看護師と順番にやめていく。
そもそも政府の人間はこの世に人工心肺どころか心電図の付け方すら危うい医者や看護師が存在する事を知らないのだろうか?少なくとも今、こんな惨状でもうちの病院に残っているのは〝使命感に燃えている医療者〟か〝他で通用する自信のない医療者〟のどちらかだ。
そういえば味覚障害の話で思い出したが、去年、豪華客船で流行り病のクラスターが発生したとき「食事が日に日に不味くなる!」というニュースを見て『贅沢言ってんなぁ……。』と思ったものだが、あれはある意味で人体実験だったのだな。
ならば今、わたしがやる気も生きる気力も失っているのは、これも副作用か?副作用には記銘力の低下という精神障害も報告されている。今だ謎が多い、だからこそ恐ろしい。
だが、病気以上に恐ろしいのは人間の感情だ。