グローバルの向こう側
IT業界なんて「先進的でオシャレ」とか「この情報社会では上層のヒエラルキーに位置している」なんて思われがちだか、それはほんの一握りの「勝ち組」だけだ。
別に…… どこの業界だって同じだろ?
上から下までの振り幅はナイアガラの滝より広大なのは容易に想像できる。
メディアに露出する部分が全てと勘違いする世間は、そう強いて言えば、情報に踊らされているのだ。メディアの操るイメージを真実と感じるように誘導されているのだ。
オレの仕事場は、中規模のソフト制作会社だ。
大雑把にひっくるめれば、IT業界の一端を担っていると言えるだろう。
しかし、大手の下請けで食いつないでいるウチは、まあ、今時の言い方をすれば、ブラック企業ってとこだ。
でも、仕事なんてそんなもんだろ?
光の当たった華やかな部分に憧れて、影には気づきもしない。そして光が強ければ影は闇に変わるのだ。それを「話しが違う」とか、「こんなだとは思わなかった」とかほざくヤツは、自分の想像力の欠如を呪えばいい!
そう、仕事はツラいものなんだ。
それをメルヘンよろしく「お花畑でピクニック」とでも思ってたんだろうかね…… コイツは。
「それで? お前はどうしたいんだ、黒田」
「…… チッ」
おいおい、聞こえたぞ…… その舌打ち。しかも不機嫌な顔、隠す素振りくらいみせろよ……
「言いたいことがあるなら、はっきり言わんと分からんぞ」
「もうイイっす。ここでは実力が発揮できませんから。これ」
雑な仕草で黒田が差し出した白い封筒、明らかに退職届だ。呆然とするオレにイラ立ちを隠さず、今度ははっきりと聞こえるように舌打ちをした。オレは黒田のその態度に、ザラついた虚しさを感じた。
そして黒田はオレに手に封筒を押し付けると、会議室のドアを力任せに開けて出て行った。
「…… ウソだろ? 」
開いたままのドアの向こうには、すでに黒田の姿は無く、オレの言葉は届かなかった。
「で、黒田は辞めたんですか? 」
ディスプレイの隙間から覗くと、秋野が冷ややかな視線でオレを睨んでいる。
昨日の黒田との一件は、まんべんなくチーム内で共有されていた。
「ったく、ちゃんと言ってくれないと困るんですよね、ぼくが」
「悪かったよ、ちょっとショックでなーー 」
だってよ、一週間だぜ…… ? たったそれだけで辞めやがったんだよ、ヤツは。
「はあ? 藤城さんが、甘やかした結果でしょ? 」
「なんだよ、どうせオレのマネジメント力が足りねーとか言いたいんだろ? 」
「へー、自覚あるんだ」
いや…… 、オレのせいだけじゃない。このクソ生意気で不遜な物言いも原因だと思うぞ。
そうだ、秋野はこういうヤツだ。
なまじ仕事が出来るし、オツムの回転も高速だ。だから、繰り出す言葉の切れ味も、すこぶる良い。草食系な外見とは裏腹だ。
「あの人さぁ、ホント、口ばっかで、ぜんっぜん使えなかったし。クビにする手間が省けて良かったじゃないですか? 」
「おい、秋野よぉ。まさかイジメたりしてねーよな? 」
「はあぁ? そんな子供染みたコトしませんよッ、失礼な。ぼくは、御自慢の資格に見合った仕事を、お願いしただけですけど? 」
…… もう、頭痛い。秋野に何言っても無駄だ。言い返しても勝ち目が無いのは、身に染みている。
「っぷ、藤城さん、コイツの口撃をまともに相手しちゃダメですよー 」
オレたちの会話に堪え切れず、吹き出したのは渋沢だ。このオレの右腕は、助け舟のタイミングも絶妙だ。
「まあまあ、みなさん。コーヒー煎れましたから、休憩にしましょうよー 」
そして、アシスタントの加藤さんの元気な声が、場の空気を一掃した。
「おっ、ぬるめだ。気が利くねぇ、加藤ちゃん」
「ぼくの、ちゃんとミルク入れてくれましたか? 」
「なんですと、アッキー。あたしをなめんなっ! 」
もちろん、オレのにだって、ちゃんと甘みをつけてある。
「…… うまい」
こいつら(オレを含めて)コーヒーの好みひとつを問っても、注文がうるさい。
本当に変わった輩が集まる。いったい、どんな求心力が働いているのか不思議だ。吹き溜まりのように、自然に寄って来るんだろうな、多分。
「個性的」と言えば、好意的な印象に聞こえるが、実はただの「御し難い変人」に他ならない。
職人気質で古いタイプの上司に仕込まれたオレは、年齢の割には堅苦しく融通が効かない、と言われる。秋野には「藤城さんって時代遅れだから」と、溜息を吐かれることしばしばだ。
渋沢も一筋縄ではいかない。「理詰めで相手を論破すると興奮する」とか言って、再起不能して退ける。
秋野は生意気な王様気質だし、加藤さんも頑固で偏屈だ。
それでもオレのチームは良く統制がとれている。
「よっしゃ、ブレイクついでに進捗を報告してくれ」
黒田に割り当てた作業を、もう一度アサインし直さないと。今日はコイツらに非難されても、甘んじて受けよう。
それから小一時間、オレは三人に詰められた。そして、至急人材を確保するコトを約束させられた。
確かに、社内コンペで勝ち取った企画を進めるには、少し戦力不足だ。
だから黒田を採った訳だがなぁ…… 、なんだったんだよ、あのキラッキラしたやる気はよぉ! もう騙されないぞ、上っ面ばかりの戯れ言にはな。
「うーん、外注をフルに使うにしても、PM出来る人材は欲しい」
明日、ボスに頭下げて人を採るのか。上司との面倒なやり取りを想像して、黒田を恨めしく思った。
気づけばフロアにはオレしか残っていない。時計を見ると、すでに終電は行ってしまっている。
「おっと、仕方ない今日はタクるか…… 」
オレはフロアに残った明かりを、ひとつずつ消して会社を後にした。
ボスが「まかせとけ」と快諾してから三日目の朝。妙に機嫌が良くて、すんなりと人の手当をしてくれたとホッとしていた矢先ーー。
「はじめまして、志波チャーリーです」
オレたちは、その第一声を発した人物に驚愕した。
チャーリーと言う名前を裏切って、目の前でニコニコしているのはオッサンだ。年の頃は三十半ばのオレよりも、軽くひと回りは上だ。
チャーリーはツルッとした薄毛の頭を撫でると「よろしく」と、また笑った。
なんだなんだなんだぁ…… 、オイオイオイ、ボスには「即戦力で若手」ってお願いしたのに。「まかせとけ」って、オレは何をまかせちまったンだろう???
それとも、この会社の採用基準がおかしいのか?? どこでどう間違えると、こうなるんだ???
しかも、名前だよ、な・ま・えっ! このオッサンのどこにチャーリーの要素があるんだよっ!?
オレの知ってるチャーリーは、ブラウンとチャップリンだけだぜ。確かにチャーリー・ブラウンは禿頭だ。いやいや、ハゲに見えるが、あれは金髪なんだよ…… ってか、ちょっと待て、落ち着けオレ…… 。
頭の中をグルグルする自問自答と、この現状のギャップに脱力し頭を抱えて座り込んだ。
「運命」ってやつは、時に奇妙な現象を引き起こす。天の采配って、シュールだな。予定調和に慣れすぎたオレには、刺激が強過ぎたかも知らん。
「あの、志波サンって外国の方なんですか? 」
おおお、秋野、お前の勇気に乾杯だ!
秋野は全員が確かめたい思っていることを、さらりと質問してみせた。
「この名前、業界で通りがいいんですよ」
「…… あの、すみません。答えになってませんよ? 」
「ははは、チャーリーでイイですよー! 」
「ちょっと、志波サンっ? 」
秋野の声に不機嫌なトーンが混じった。
その時、ドンと秋野を横に押しやった加藤さんが、会話を横取りした。
「じゃあ、それって芸名? いや、ニュアンスが違うか、えっと、ペンネーム? うーん、違うか。あっ! あだ名、アダナですね!? へー、会社勤めなのに、すごい! 」
「ま、業界長いんで、この名前は20年以上の付き合いでぃす」
チャーリーは胸を反らして、自慢げに腕組みをした。
「ほうほう、いわゆるセルフブランディングですねー 」
加藤さんは、なにやら興奮気味でチャーリーに喰いついてる。
共通点が皆無に見えるこの二人の意気投合ぶりを傍目に、オレは渋沢と秋野に目配せして、その場から退場した。
「藤城さん、あの、チャーリーって人、なんなんです? 」
「オレが聞きたいわっ! ボスの人選だ」
「…… えっ、まさか藤城さん、面接しなかったんですか?! 」
渋沢はイヤーな顔をした。オレは宥めるように渋沢の肩を掴み、
「まあ、なんだ。経歴は素晴らしかったぞ! 外資系にもいたって。グローバルだな、グローバル」しどろもどろのオレを振り払って、渋沢が凄みのある声で囁いた。
「藤城さん、アンタ、それで良いと思ってんですか? 」
「…… だって、まさか、こんな、なぁ? 」
「はあああ? マジ、そのヘタレた性格、どーにかしてくれよっ!! 」
珍しく怒鳴り声を上げた渋沢に、秋野までがビビっている。
静かに深く怒りを醸し出す渋沢くん…… 。温和な彼を怒らせたオレが悪い。
「スンマセン…… 」
そして渋沢はオレにかわって、重苦しい沈黙で傍観していた秋野に「おまえはどう思う? 」と確認した。
秋野は渋沢を見て頷くと、イスから立ち上がってオレの真正面に向き合った。
「ぼくはね、藤城さん。偽名を使ってよーと、年取ってよーと、性格が不愉快だろーと、いいんですよ。あの人の能力が自己申告に見合っていれば。お分かりですよね? 」
秋野は下から睨め付け、恐喝する迫力で詰め寄った。この態度がオレの質問への答って訳だ。
「お、おお、秋野、お前の好きにしろ」
渋沢にしろ、秋野にしろ、ガッカリを通り越して怒り心頭なんだろうな……
オレは二人を宥める術を持たず、まあまあと言葉を濁して「頼むな」とだけ言って会議室を出た。
フロアに戻りながら、二人が声を潜めて話している。時々、オレの後頭部に突き刺さる視線が痛い。
あと、オレに出来ることは、コイツらの邪魔をしないことと、全ての責任を負うことだけだ。
もちろん、オレの手が必要だって言うなら、いつだって差し出す準備はできてるさ。
しかし、まあ、優秀だかんな。オレの部下たちはーー 。
「藤城サーンっ! 会議、長すぎですよ! 」
部屋に戻ると、加藤さんの文句が振ってきた。
「ごめん、ごめん、何かあった? 」
「…… 」
加藤さんはニヤリと笑って、PCモニターの上に置いてあるネームプレートを指差した。
「今日から私、ジェニファーです。ジェニーって呼んで下さいネ♪ 」
「へっ? 」
オレは彼女の言葉の意味が理解できなかった。
「ったく、加藤さん! ナニしちゃってくれてんですかっ? 」
溜息まじりに秋野が自分のネームプレートを外して、加藤さんに突き出した。
秋野のネームプレートには「秋野ステファン」とあった。オレは恐る恐る自分のと渋沢のも目でおった。
「藤城ジェームス」!? 「渋沢デヴィッド」!!!!?
「ちょ、ちょっと、どうしちゃったの、加藤さん!?」
「やっぱり、セルフブランディングって重要だと思いまして♡ 僭越ながら、こほん。皆さんの名付け親になっちゃいましたーーー!! 」
両腕を広げてポーズを決めた加藤さんの笑顔。もう楽しさがダダ漏れしている。
「チャーリーの話しを聞いて思ったんです。グローバルに目を向けなきゃですっ! マストです! 」
加藤さんのキラッキラした瞳には、何が見えてるんだろうか? もうね、それだけでオレたち三人の抗議する気力さえも奪い去った。そんなオレたちを横目に、ニコニコ顔の薄毛のチャーリーは、
「ジェニーはボクのエンジェルズにジョインする? 」とか、映画を比喩したジョーク(?)をしれっと繰り出した。
「おー! グレイト、チャーリー、オフコース!!」
加藤さんは一言一句、聞き紛うコト無きカタカナ英語で答えた。もうこのチャーリーとジェニーの間に起きたイノベーションは、あまりにもセンセーショナルでついて行けない。
二人の目の前に広がっているだろう、グローバルの向こう側は、一体どんな世界なんだよ?
「じゃ、ジェームズさん、これプレゼン資料です」
秋野がにっこり笑って、オレにマネージャー会議用の資料を差し出した。
「ジェームズって他人行儀だから、ジミーって呼んでいいっすか? 」
渋沢まで、眉間に皺が残ったままの引きつった笑顔で絡んできた。こいつらの腹の底、奥のそのまた奥から滲み出る濃度のある怒りが、オレの足下に漂っている気がする。
この歪んだ状況を正すには、優柔不断でヘタレの烙印を背負ってるオレには無理だ。
「オッケー、オレもお前をデイブって呼ぶよ! 」
親指を突き出し、ウィンクをつけて渋沢に答えた。オレの一言が何かのスウィッチを押したみたいで、その日はずっとハイタッチを繰り返し、グッジョブだのイエーイだの、カタカナ発音の英単語がずっと飛び交っていた。
あれから一ヶ月。
加藤さんのコニュにケーション能力の高さもさることながら、チャーリーはチームに馴染んだ。
ツルッとしたオッサンは、ちょこんと小さな体躯を隙間に埋め、英語交じりの会話で存在感を周囲に示している。
秋野と共同して、プロジェクトも順調に進んでいるようだ。
どこから伝わったのか、ネームプレートの一件はボスの耳に届き「遊びが過ぎる」の一言で元に戻った。
オレはもう二度と、ジミーと呼ばれることは無い。
だけれど、チャーリーはチャーリーのままで、未だにその名前の由来は不明、素性に至っては謎に満ちている。
「そうだ、藤城さん。チャーリーのウェルカムパーリーしましょうよ! 」
「おお、アプルーバルで、よろしく」
「はーい。ヘイ、ガイズ。レッツパーリーですよ! 」
加藤さんの一声で、その夜はチャーリーの歓迎会となった。
そして、ネームプレートは無くなった今でも、オレのチームでは、不自然な英単語会話が流行っている。
「クレイジーだぜ…… 」
オレは誰もいなくなった仕事場で、誰に聞かせるわけでもなく呟いた。