紅い龍と蒼い龍
「アイナ! ピクニックに行こう」
急に部屋に入ってきたかと思うと、ハクは私を抱き上げてバルコニーに走り出て、そのまま手摺りに足を掛け空中にジャンプした。
「きゃぁっ……」
落ちるかと思った瞬間、龍の姿に変化したアレスの背中に無事着地した。
「もう、ハク! 心臓が止まるかと思ったじゃない」
「ははっ、すまん。一刻も早く城を出たかったからな。アイナ、今日は誰にも邪魔されないところに行くぞ。マーサに弁当も作らせたから夕方までのんびり出来る」
私達を乗せたアレスはグングンとスピードを上げ、東へ向かった。
「どこへ行くの? 」
「ラムダスの森だ。キリア山の麓にある静かな場所なんだ。ピクニックにはちょうどいい」
私が王宮に来てから1か月が過ぎた。毎日一緒にいられるのかと思っていたけれど、現実はもう少し厳しかったみたい。それはハクにとっても同じだったようで、
「せっかくアイナと一緒に眠れると思ったのに、正式な結婚前に同じ部屋で寝ることは出来ないなんてなあ。昼は昼でお互いやる事があり過ぎて、ゆっくり話すことも難しいし。たまにはこんな休みがあってもいいだろう」
そう言って私をキュッと抱き締めた。
十歳の時に拾った愛犬・ハク。実はアルトゥーラ王国のロスラーン・レイ王子が魔術で変化した姿だったとわかったのが私が十五の時。魔力が満ちて元の姿に戻り、蒼龍アレストロンの迎えが来てハクは王宮に帰って行った。
それから王となり国を立て直し、四年後再び私の前に現れてプロポーズをしてくれたのだ。
旅芸人一座で踊り子をしていた私を、王宮の人々は温かく迎えてくれた。身分違いなど何も問題ないと言ってくれたのだが、ただ一つ、条件があった。
「王妃にふさわしい礼儀作法、教養を身につけていただきたく思います。そのため、婚儀の日までの三ヶ月間、わたくしにアイナ様をお預け下さいませ」
ハクの乳母であり王宮侍女頭のマーサにそう言われると、ハクも頷くしかなかった。
あれから一ヶ月、ハクは相変わらず国を運営する公務で忙しく、そして私も朝から晩までマーサの授業に追われて、ほとんど二人で会うことが出来なかった。寂しかったけれど、三ヶ月後というゴールが見えているし、何よりもマーサの授業が楽しかった。今まで学校にも通わず諸国を旅して回っていた私にとって、マナーや社交ダンス、読み書きや歴史の勉強はとても興味深く時間を忘れる程だったのだ。
それでもやっぱり、こうして2人で会う時間を作ってくれたハクの気持ちが嬉しい。
「ハク、ありがとう」
後ろを振り向いてそう言うと、ハクはニコッと微笑んだ。
「あそこだ。もう降りるぞ」
ハクが指差した方に、大きな森があった。その中心部に青く澄んで綺麗な湖があり、アレスは静かに着水した。ハクはまた私を抱き上げて、そっと地面に立たせてくれた。そして大きなシートを広げて敷き、バスケットからお弁当を取り出した。
「マーサ特製のハーブチキンのサンドイッチとレモン水、それにレーズン入り焼き菓子だ。昔、冒険ごっこをする時によく作ってもらっていたんだ」
「冒険ごっこ?」
「ああ。子供の頃、本に出てくる冒険に憧れていてね。王宮の外には出してもらえないから、庭を探検して気分だけ味わっていたんだ。その時の食糧さ」
私はサンドイッチをポケットに詰めて、王宮の美しい大きな庭を駆けずり回っている小さなハクを思い浮かべた。きっと、とても可愛らしかったことだろう。
「ハクの思い出の味なのね。私もマーサにレシピ教えてもらおうっと」
ハクはまた、嬉しそうに微笑んだ。
キラキラと輝く湖を眺めながら、私達は美味しいお弁当を頬張った。
ふと、アレスが何も食べていない事に気付いた私は聞いてみた。
「アレス、あなたもこちらへ来て一緒に食べない?」
龍型のまま湖面を滑るように優雅に泳いでいたアレスは、こちらに向かってくると人型に変化してシートに腰を下ろした。
「アイナ様、私は人の食べ物は口にしないのです」
「じゃあ、ハクの魔力が食べ物代わりなの?」
アレスは、少し考えてから口を開いた。
「魔力は必要不可欠ではありません。無くても生きていられます。ただ、魔力があれば水脈を操ったり空を飛べたり、龍から人型に変化したり出来るということなのです」
「しかし、私達は魔力を持って生まれてきません。必要ならば人間から摂るしかないのです。しかも魔力のある人間はほんの少ししかいないので、私は長い年月何も出来ず、無気力に過ごしていました。魔力が無い状態の私は……まあ、ただの蛇かトカゲですね」
アレスは自嘲気味に笑った。
「蛇やトカゲにはまだ生きる目的があります。餌を摂ったり天敵から逃げたり子供を作ったり。私にはそれすらも無く、何千年もただ無為に生きているだけでした」
「だから、王家に魔力をもらうようになったのね?」
「はい。千年前のことになりますが、アルトゥーラ王国始祖のガイアス王は強大な魔力の持ち主でした。彼が私にたくさんの魔力を与えてくれ、私は自由に空を飛べるようになりました。その上、地下の水脈や地脈を護り、国の人々を守るという役目まで与えて下さったのです」
アレスは誇らしそうに胸を張って言った。
「その契約はガイアス王亡き後も子々孫々に渡って続くものでした。だから私はこの千年、ずっとこの国と共にあったのです」
「この話は、私が小さい頃から何度も父から聞かされてきた。我が国の繁栄はアレスあってこそ。私が成人して王になった暁には、共に国を守っていくように、とね」
ハクの言葉を聞いたアレスは、満足気に頷いていた。
アレスは、ただ下僕として王家に使われているのではない。これは彼にとっても有意義な契約なのだ。それがわかって私はホッとした。
「ねえアレス、あなたには家族や恋人はいる?」
「私達は子供は作れませんから家族というものは持っていません。ただ、仲間というか、兄妹のようなものはいます。私の意識が目覚めた時、共にそこにいた者が」
「その人は今はどこに?」
「そうですね、私より先に魔力を得て出て行きましたから。もう三千年くらい会ってないのでわかりません」
三千年!私には想像もできない長さだ。アレスは一年くらいの気軽さで語っているけれども。
「では、そろそろお二人のお邪魔になりますし、もうひと泳ぎして参ります」
アレスは龍に戻り、湖に入って行った。
「時々は、アレスも元の姿に戻してやらないといけないんだ。王宮ではいつも人型をとっているからね。今日はあいつにもいい休みになったよ」
「ハクは優しいのね」
そう言うとハクは照れたように苦笑いをした。
私達はしばらくの間、ゆっくりといろんな話をした。ハクの仕事の話、周りにいる有能な人々のこと、民への想い。私も、マーサの授業がどんなに楽しいかという事、そして三ヶ月が過ぎたのちも、いろいろな事を学び続けていきたいと話した。
あっという間に楽しい時間は過ぎて、夕方が近づいてきた。ハクはアレスを呼びに湖のほとりを歩いて行った。私は、近くの森の中に入ってみた。
屈んで花を摘もうとしていると、ふと光る物が目に入った。木の幹に何かがある。近づくと、それは小さなトカゲのようだった。胴体に石で出来た鏃が刺さって、幹に磔のようになっている。
「可哀想に。これは人間の仕業だわ。子供の悪戯かしら」
せめて埋葬してやろうと、私は鏃を引き抜いて、トカゲを地面にそっと置いた。すると、驚いたことに、手足が微かに動いたのだ。
「まだ生きていたの? 良かった。このまま元気になりますように……」
突然、頭の中に声が響いた。
――それが、望みか?――
「……え、ええ」
わからないまま返事をしてしまった。
――では其方の魔力、貰い受ける――
そう聞こえた途端、トカゲが輝き始めた。この、白く眩しい光は見たことがある。ハクやアレスが変化する時と同じだ。ではこのトカゲは……。
「う―む、何千年振りになるんだろうな。やっと元に戻れたぞ」
光が消えた時、私の目の前には、アレスと同じ龍がいた。いや、形は同じだが色が違う。アレスは蒼い。この龍は真紅だ。
私が呆然と見上げていると、アレスの背に乗ったハクが飛んで来た。
「アイナ! 大丈夫か」
アレスも叫んでいる。
「アイナ様! その龍に名前を! 名前を付けて下さい!」
え?名前?急にそんな事言われても。
「早く!」
「ん――、じゃあ、紅いからコウ! あなたはコウよ」
すると紅い龍の周りに金色の円陣が現れた。
――くっそう、蒼龍! お前、このやろ……――
叫んでいる途中で紅い龍は大人しくなり、頭を垂れた。
「アイナ様、私と陛下の契約の時を思い出して下さい! 同じように手をかざして、契約の文言を言うのです!」
そんな、四年も前の事を……。でもアレスに言われた通り、一生懸命思い出して言ってみた。
「我、アイナは汝、コウの主となり魔力を与えん。汝が我のために力を使うことを許可する」
えーと、こんな感じだったかしら。コウの頭の上に手をかざしながらハクとアレスの方をチラッと見ると、二人とも頷いている。
「我、紅龍コウは契約に基づき汝の下僕とならん」
コウがそう言うやいなや私の手が光り始め、コウの頭を包み込んだ。本当に、ハクとアレスの契約の時と同じだ。まさか、私の手から光が出るなんて思ってもみなかったけど。
やがて光が消え、紅い龍は人型になって立っていた。
短くウェーブした真紅の髪に金色の瞳、キリリとした眼差しの女性だった。
「蒼龍! お前、ハメやがったな!」
アレスはニコニコしてコウを見ていた。
「せっかくのチャンスですから、このじゃじゃ馬を縛りつける鎖を付けさせてもらいました」
「くっそう! 魔力をこのお嬢ちゃんから少しだけもらって、違う場所へ飛んで行こうと思っていたのにさ。契約されたんじゃあ、よそに行けないじゃないか」
「あのう……コウさん?」
プンプン怒っているコウに、私は恐る恐る話しかけてみた。
「私、何かいけない事しましたかね……?」
するとコウは私の方を向いて、
「ご主人様、可愛いな!」
と、ハグしてきた。
「ご主人様には怒ってないよ! この、バカ蒼龍に腹が立ってるだけさ」
「コウ、私は今アレストロンという名前を賜っているんだ。アレスと呼んでくれ」
「そうか、お前も名前の契約、したんだな。カッコいい名前じゃねーか。俺なんてコウだぜ……」
「あっ、ご、ごめんなさい。それ付けたの私です」
「アイナのネーミングセンスは独特だからな……。
色を外国語で言ってるだけ、という」
ハクが笑いながら言った。
うう。そういえばハクも、『白』を外国語で言い変えただけなんでした。
「女の人だとわかってたらもう少し女性らしい名前にしたんだけど」
「ああ、それは気にしないでくれ。俺達は男でも女でもなれるんだから」
そう言ってコウはみるみるうちに紅い髪の男性に変わった。
「たださ、俺は女の身体の方が綺麗だと思うから女になってんの。ボンキュッボンって最高だろ?」
またコウは女の姿に変化した。
「それにしても、アイナに魔力があったこと、全然気がつかなかったな」
「私もです。魔力のある人間は察知できる筈なのですが」
「この鏃に触れた途端にお嬢ちゃんから魔力が溢れ出したたんだよ。ほんとに突然に。俺もちょっとビックリしたぜ」
ハクとアレスは石の鏃をあれこれ触って確かめていた。
「王宮に持ち帰って調べてみよう。この石に何かの原因があるのかもしれない」
「何だ、お前ら王族か?」
「そうだ、この方はアルトゥーラ王国のロスラーン・レイ王、そしてもうすぐ王妃となるアイナ様だ」
そう紹介されてなんだかこそばゆく、顔が赤くなるのがわかった。
「そうか! ご主人様の夫君だな。よろしく!」
コウはハクに手を差し出して握手をした。
「龍の護りがアイナについてくれて頼もしいよ。こちらこそよろしくお願いする」
「任しとけって」
「コウ、王宮で暮らすならまず言葉使いから叩き直さないとな……」
アレスはちょっと苦笑いをしていたが、三千年振りに仲間に会えてきっと嬉しかったのだろう。だからあんなに焦って私に契約をさせて、コウがアルトゥーラに居続けるように仕組んだに違いない。
その日、ハクはアレスの背中に乗り、その横を私を乗せたコウが並んで飛んで、王宮へ帰った。夕焼けの中を飛ぶ二頭の龍はまるで夢のように美しかった。
時々手直しすることがあります。