ミサキ先生の過去
「言った通りでしょう。ミサキ先生は怖いのよ。彼女が現役時代になんて呼ばれていたか知っている?」
初めての魔術の授業は大変に実入りのあるものだった。
やはり小学校でのお子さま向けの授業とは違う。
魔素の基本的な理念のおさらいから始まり、可学の歴史や現在の在り方、各属性魔術の特徴など。時おり質疑応答を交えつつ、解りやすく丁寧にご教授頂いた。
アキもモエも、あの惨劇を目の当たりにしてからは黙り。無闇にぼくに突っ掛かってくることもなかった。
勤勉なぼくに対してちょっかいでも出そうものなら、即座におしおきが待っていると考えたら、そりゃあ静かになるよねぇ。
実習も勉強になった。
武術と違い、魔術は個人の能力に雲泥の差がある科目だ。いきなり魔力量8万を叩き出す天才もいれば、たったの5しか出せない塵芥もいる。
で。いま現在。
ぼくとアキ、モエ、ベラさんに黒服三姉妹は、ギルド錬成会の部室にある。
マナ先生はいたけれど、ダウーさんもターヤさんも、その他の会員も姿はなし――本当に活動しているんですよね? まさか全員幽霊部員なのかな。
『この時季――つまり新入生を迎え入れる時季は、どうしても發の動きも活発になる。不穏な気配のするギルドの仕事も増えるから、上級生には稼ぎどき、もとい経験を積む時季でもあるのよ』
とは、マナ先生の言葉だ。
――それって、新入生は放置、てこと? ああ。放置にならないようにマナ先生がいるわけですね。合点です。
授業が終わって、また少しでもギルドについて詳しく話を聴きたいと思い、やってきた部室。
マナ先生は開口一番に訊いてきたものだ。
どうだった、今日の授業は? と。
で、ぼくがありのままを伝えたところ、冒頭のように言われたわけである。
「現役、て。ミサキ先生はいまもバリバリの現役じゃないんですか?」
ぼくはマナ先生に首を傾げて報いる。なんかもう引退して、隠居してしまった老人のような言葉は、あの若さと美しさには不釣合だ。
「女神のような悪魔」
「――なんだって?」
「だから。女神のような悪魔、と言った。ミサキ=ドルツと聴いて真っ先に出てくる形容詞だ。他にもあるぞ。邪女神、堕天使、炸裂睾丸、それから――」
「いい、分かったよ。分かったから!」
綺麗なバラにはトゲがある。前世の諺だ。この世界にバラなんてないから、言っても通じないけど。つまりは、ミサキ先生はそういう人間らしい。
それにしても、なんて酷い異名だろう。特に最後のやつ。
ぼくは自分の股ぐらをそっと押さえ、身震いした。
「アキ、知っていたの、ミサキ先生のこと?」
「いや、知らなかった。だが気になってな。浮気者といえ、クリウスの入れ込み具合は異常だ。なにかあるかと思って調べたのだ」
あれ。なんでぼくディスられているのだろう。別に浮気なんてしていないじゃない。単に、ミサキ先生とルーさんがお気に入りなだけで。
――それが浮気者てこと?
「アキも大概ね。どんなツテで調べたの? やっぱりベースラインの情報網は凄いわけ?」
「そんな大それたものではないよ。最初は単純に、祖母に話を聞いてみただけさ。そうしたら――」
「そうしたら?」
「妙に驚かれてな。それからすぐに、図書館から、ミサキ=ドルツの関連記事が載っている新聞を取り寄せてくれた」
もしかすると、ミサキ先生は元々すごい有名人なのだろうか。
個人の過去には、あまり他人に知られたくないことは山ほどあろう。特にかつての異名とか。前世でそんなことが知られるのは、己の黒歴史を掘り起こされることだ。ぼくだったら恥ずかしくて道を歩き回れない。
でも、有名人だったなら。ある程度は知れ渡ることがあるのかもしれない。
「ミサキ=ドルツ。元は戦争孤児だな。両親共に国軍の士官だったが、第五次テト戦役で亡くしている。それから外務大臣に拾われ、15で大学校には行かず、首相の侍従官になった」
「ふうろとろぷす?」
「秘書と護衛を兼ねる国の官吏のことよ――あのね、クリウス。あとであたしが全部教えてあげるから、余計に口を挟まないでもらえるかしら?」
酷い!?
単純に聞き慣れない言葉が出てきたから、なんだろう、と思って口に出しただけなのに。モエときたら、雑音のように一蹴してしまったよ。
いいんだ。どうせぼくは一介の農民の出。世間知らずですよーだ。
「――悪いが続けるぞ?
侍従官になった後に、ミサキ=ドルツは数々の戦功を上げている。中でも、發の地公将軍が部下の闘神を退けたのは大きい。当時の首相官邸はかなり沸いたらしい。叙勲も与えられている」
地公将軍とやらも闘神とやらも、一介の農民出身のぼくにはなにがなにやら分かりません。常識なのかな? 小学校では習わなかったけれど。
「なんでまた、侍従官がそんな功績を立てる機会があったのかしら。要人の秘書や護衛をしているのに、まるで兵隊じゃない」
ぼくが唸っていると、今度はモエが質問を浴びせた。
あ、そういうのはありなんだ。
「侍従官てのは表向きの役職よ。本当は、彼女の魔術の才に目をつけた首相側が、体よく孤児を抱き抱えて教育して、あれこれやらせていた。ときには戦場にも立たせたし、要人暗殺の命も与えた。かつてのミサキ先生は、上から命令されればなんでもやってのける、いわば隠密者だったのよ」
アキの言葉を遮って、マナ先生が説明し始めた。
アキの話を聴くに、新聞で得られた知識なら、表向きのことしか分からない。だから、ある程度の経緯を知っているマナ先生が補足をするのは不自然でない。
――でもさ。その過去を全部教えちゃって良いの? 教え子たちに。この世界に個人情報保護法なんてのはないけれど。
あんまり聴いて聴かれて嬉しい話ではないよね。
「ああ、心配しないでね。私が話しているのは全部公認だから。ミサキ先生は自分の過去を一切隠していない。むしろかつての血生臭い経験を、とても誇りに思っているわ。今度訊いてごらんなさい。『ひとを上手に殺すにはどうやったら良いのか』て。嬉々として教えてくれるわよ」
マナ先生の話にぼくが呆気に取られていると。それを感じ取ったのか、フォローを入れてくれるマナ先生。
「闘神を退けたのは18歳のとき。19のときに例の悪魔の騎士の襲撃事件があった。そこでも大学校に派遣され、少なからぬ生徒を救出し、悪魔の騎士とも矛を交えた。24で前職を辞し、大学校の教員採用試験を経て、現職に至る――わたしが調べられたのは、ここまでだな」
最後にアキが締め括って、ミサキ先生の過去は暴かれた。
思っていた以上に、波瀾万丈な人生を送っていたんだね、ミサキ先生は。ぼくがひとの人生についてとやかく言うことはできないけどさ。
取り敢えず。ぼくが気になったのは、年齢を逆算していくと――ミサキ先生、もう30歳!? てこと。
まあ、男性も女性も価値は年齢じゃない。若ければ良いというものでないのだ。
それにしても、30歳であの神々しい美しさを持つ身体。きっとミサキ先生の美貌は永遠なのだろう。
「――なぜミサキ=ドルツは、そんな華々しい功績を上げながら、大学校の教師を選んだの?」
それまで沈黙し、お茶とお菓子を摘まんでいたベラさん。話に興味がないかと思っていたけど、ちゃんと聴いていたみたいだ。
ベラさんの疑問も尤もかな。大学校の講師の給料も、国の侍従官の給料も想像はつかないけど、前者が後者より高給取り、とは思えない。首相側としても、あの美しさに加えて実力があるのなら、手放したくないはず。少なくともぼくが首相なら、絶対に離職なんてさせない。
「わたしが調べられたのはこれで全部――まあ、全て新聞に載っていて、誰でも調べられる内容だな。それ以上については分からない」
「それについては、私が説明するわ。その理由も、別に彼女が隠しているわけじゃないから大丈夫よ。
本人に訊いても良いけど――彼女がその話をし始めると、胸焼けするくらい長くなるからね」
なんだろう。マナ先生は苦笑いしながらも、そんなことを言った。
華々しい功績と、数々の異名。それらを全て捨て去って、大学校の教師を選んだ。その裏には、いったい全体、どんな並々ならぬ事情があったのだろう?
「ミサキ先生が大学校に来た理由は――」
「――理由は?」
「簡単。愛のためよ」