魔術授業
「みなさーん。おはようーございまーす。今日はー、皆さんにとってー、はじめてのー魔術の授業になりますー。午前はー座学でー、昼食の後にはー、眠くなるとー思いますのでー、実習にしまーす」
今日は魔術の授業の日だ。
前世の学校のように、朝のホームルームなんてものはなし。連絡事項は登校時と下校時に、各自掲示板を確認のこと。
昨日もそうだったけど、マナ先生の姿を見ることがないまま、いきなり時間ぴったりに始まる。それがこの大学校の授業だ。
そして今日は、魔術の――言い換えれば、ミサキ=ドルツ先生の授業である。
ミサキ先生が教室に入ってきた途端、少しばかり騒がしかったクラスメイトはみな閉口する。
聴こえてくるのは先生の声。それに生唾を嚥下するごくり、なんて音。
いまぼくが感じられるのは、ミサキ先生の美の神々しさと。その美しさを理解できない憐れな者たちの視線だけだ。
特にぼくの両隣から向けられる視線は、とびきりに鋭く冷たい。
ミサキ先生の美しさから目を背けられない、ていうのは勿論あるけれども。それ以上に、恐ろしくて目をふたりに向けられないのだ。アキとモエ。チョー怖いんですけど。
「あとー、この授業にはー、出席点はーありませーん。何度かー抜き打ちでー、試験は行いますがー、それもー、成績にはー関係ありませーん。学期末のー、二度の試験がー全てでーす。
授業がーつまらなーい、既にー習得しているー、などありましたらー、無理にー出席しなくてもーかまいませーん」
ふむふむ。
ぼくは怖い視線を感じながらも、まずは先生の話を聴くことにした。
大学校は、勿論義務教育ではない。入りたい人間が、自分の意志で入る。自分の意志で学ぶ。だから、出席するなんて当然のことを、評価にすることはない。
前世でやっていた、夜の仕事だって同じ。無駄に『おれ頑張ってます!』なんて主張して、無遅刻無欠勤を評価に加えようとするやつ。そんなの、お金を貰って働いているのだから当然だ。当然、成績が良かったり仕事の質が高かったりすれば、給金は貰えたよ、その分は。ただ、そういう無駄な主張をするやつに限って、仕事もできないし成績も良くないものだ。
この世界だって道理は同じ。まあ、比べるのが大学校の授業と夜の仕事では、あんまりにも俗が低いかもだけど。
「しかーし。授業に出なくてもー、寝ていてもー、成績に影響はーありませんがー、私語はー厳禁でーす。質問はー常に受け付けますー。そのー質疑応答以外のーお話はー、してはいけませーん。熱心なー他の人のー、邪魔になりまーす」
うんうん。そうだ。当たり前のことだ。授業がつまらなくても、あまりに程度が低くても。真面目に授業を受けている生徒がいる限り、邪魔をしてはいけないよね。
五月蝿くするくらいなら寝ていてくれ、授業に出ないでくれ。なんて、至極当然のことなのだ――前世の学校では、ぼくはどちらかというと騒がしくみんなの邪魔をしていた側だけど。
「私語をしているー方を認めたらー、予告なしでー、きつーいおしおきしまーす」
ミサキ先生は胸元で両の手指を組み、満面の笑顔で、そんなことを言う。
――なんかさ。美しいこの先生がおしおきだ、なんて言うんだ。ちょっとドキドキしちゃうよね。しちゃうよね?
思わず口元が弛んでしまっても、それは仕方のないこと。そう、それも至極当然当たり前のことなのだ。ぼくが男で、ミサキ先生が女である限り!
だからさ、モエ。当たり前のことなんだから、そんなに殺気立たないでくれるかな?
彼女の方を見てはいないよ? 見てなくても、その剣呑な気配が感じ取れる。怖いから止めてくれないかな。
「はーい! 先生ー、質問でーす」
ぼくが背中に冷や汗を流していると、教室の後ろの方から声が上がった。
見ると、金髪で碧眼のイケメン――名前は覚えていない――が、手を上げて起立していた。
アキもモエも、ぼくに向けていたであろう不穏な視線を一旦止めて、そちらを向く。助かったのか、ぼくは?
「なんでしょーか。イェリメリ=ハルドカームさーん?」
「きつーいおしおきってー、どんなのーでーすかー? 教えてーくーださーい」
……なんだろう。ムカつく。えっと、イェリメリくん? の話し方。彼も独特な喋り口調なのだろうか。
いや、違うな。周りの席の取り巻きぽいふたりは、必死に笑いを堪えている様子だ。
イェリメリくんは、たぶんクラスにひとりはいる、お調子者な性質なのだろう。
その口振りは、ミサキ先生の独特な話口調を真似して――馬鹿にしている。さらには、『おしおき』なんてやれるものならやってみろ、と言わんばかりの態度だった。
これはあれかな? みんなの注目を集めたいっていうのと。好きな娘にはちょっかい出したい、みたいな感じなのかな。だとしたら青二才の童貞に違いない。
散っとモエの横顔を覗き見たけど、眉をひそめて、不愉快そうにしている。
その反対側のアキは、一瞥をくれた後に、興味なさげで前を向いてしまった。
良かった。彼に対して苛っときたのはぼくだけでないようだ。
それにしても。男がミサキ先生の口真似すると、こうも不愉快になるんだね。イェリメリくん? 先生が許しても、ぼくはきみを許さない。
「はーい、良い質問ですねー。入学試験でー、魔術成績がー、二番だったーイェリメリさーん」
ミサキ先生は相変わらずの笑みで言った。
げ。イェリメリくん、魔術成績二番の優等生なの? 試験会場が違ったからどの程度かは判らないけど。なんか癪だなあ。
あ、モエも苦虫を噛み潰したような顔をしている。モエも成績良かったからね。あのトゥルジロー様も驚いていたんだ。アキとワンツーフィニッシュだと思っていたのかもしれない。
でも、ミサキ先生の言葉は嫌味なのかな。ぼくのすぐ隣にアキがいるのだけど。
「ではー、せっかくですのでー、ちょっーとだけー、実演しまーす。イェリメリさーん。覚悟してくださーい」
先生は、やっぱり変わらず笑顔のままで、告げた。
それから、ぱちり、と右手の指を鳴らす。
すると次の瞬間――鈍っていう音が教室に響いた。
その方向に目をやると。右手のなくなったイェリメリくんの姿がある。足元には、さきほどまで確かに付いていた右手が転がっていた。
右手のあったところは、不思議と出血していないものの、筋肉と骨とが無惨にも剥き出しになっている。
「~~っ! ~~~っ!?」
突然の出来事に、イェリメリくんは声にならない声を上げている。
ぼくだって呆気に取られて、どう言動したら良いのか判らない。隣のモエも、口を開けて驚いているよ。
――アキは変わらずそっぽを向いているけど。
「こーんな感じでーす。最初のー自己紹介のときー言いましたがー、わたしは治癒魔術もー使えまーす。治癒魔術はー、身体を治すことがーできますがー、同時にー壊すこともできるー魔術なのでーす。みなさんの中にーお医者さまー希望の方がー、どれだけいるかー分かりませんがー、覚えておいてーくださーい」
言いながらミサキ先生は教壇を下り、ツカツカと足早にイェリメリくんに歩き寄る。
「ひっ、ひっ、ひぃぃぃ!?」
可哀想に、お調子者でイケメンな童貞(偏見)のイェリメリくんは、目に涙を溜めて、悲鳴を上げる。まるでミサキ先生が鬼か悪魔のような怖がり方だ。でも逃げ出すこともできず、身を屈めているだけ。
そんな彼にミサキ先生は近付き。どうやったらその身体からそんな力が出るのだろう、と思うくらいに強っと、それなりに身長が高いイェリメリくんを立ち上がらせて。床に落ちた腕を、元あった箇所にくっつけた。
「1、2、3、はーい!」
そして、まるで手品のような合図をすると。
「これでー元通りでーす。でもー、バイ菌がー入っているかもしれないのでー、あとでー、保健医さんにー診てもらってー下さいねー」
あら不思議。すっかり綺麗に治っている。それはそれは痛そうだった肉も骨も元通り。傷跡も、少し距離があるから分からないけど、ぱっと見た目ではないようだった。
「こっわー……」
隣からぼそりとモエの声がする。
そこでぼくは、合点がいった。
昨日にマナ先生が別れ際に言っていた『怒らせると怖い』てのは、こういうことだったのだ。
この世界、体罰はだめ、なんて概念はまだない。言い聞かせても解らないやつは身体に言って聞かせる、を地でいく世界だ。
それにしても――殴る蹴るはともかく。魔法があるこの世界の、ミサキ先生の体罰は、確かにきついおしおきというに間違いない。
「他にー質問はーありませんかー?」
聞かれるミサキ先生の声。教室は、イェリメリくんの「ひぃひぃ」いう声以外に音はない。
「ではー、さっそくー授業をー始めまーす」
そして、何事もなかったかのように。先生は授業を始めようとする。
「――クリウス。せいぜい、もぎ取られないように気を付けなさい――」
私語厳禁なのに放たれたモエの小さな言葉を、ミサキ先生は見逃してくれたようだった。