初授業⑦
「どうだった、クリウス。随分な時間が掛かったようだが」
ようやく戻ってきたぼくに、早速声を掛けてくれるアキ。
横ではモエも、なぜか期待したような目をしている。
トウヤ先生も言っていたけど、ぼくが『剣』50以下とは、にわかに信じられないだろう。
「はい。こんな感じ」
ぼくはなるだけ無表情を装って、能力の記された紙を見せる。
まあ、良いんだ。
ぼくの志望はお医者様。
トウヤ先生が言っていた通りに、己の身を護ることができる程度で文句はない。医者が怪我人を増やしてどうするんだ、とは、全く当たり前な道理だ。
「――あたし、文句を言ってくる」
「うむ。同意見だ。クリウスがこんな数値では、ほとんど互角に渡り合った私の顔の立つ瀬がない」
うーん。前から思ってたんだけどさ、ふたりとも。
どうしてそんなに怒りの沸点が低いわけ?
特に、アキ。
互角に立ち合えたのは、ぼくの努力の賜物だって誉めてくれたりしないのかな?
いやまあ、気持ちは分からなくもないけどさ。
「止めてよ、ふたりとも。前にも言ったけどさ、ふたりが文句を言ったところで結果は変わらないし。万が一にでももう一度計測したとして、またおんなじ数値だったら、恥の上塗りなんだから」
「むむむ」
「それはそうだが――」
文句はありつつも、ふたりして理解はしているようだ。
いくら計測し直したとして、結果が変わらないことを。
――いやまあ、実際に何度も計ったことなんてないからわからないけどさ。
ただ、人生で数回しか機会の与えられない器械の計測なんだ。
体調や気分の良し悪しで結果が変化してはたまらない。
「そりゃぼくだって納得できないところはあるけど――これならこれで、きちんとトウヤ先生は指導してくれるみたいだから」
文句を言うつもりはない。ぼくに文句がないのだから、アキとモエがあれこれと言うのはお門違いというものだ。
「それより、ほら。ぼくらの試合は終わったけど、まだ他のみんなの試合があるんだから。見学も修練のうちだよ」
ぼくはそう言って、闘技場に向き直る。ちょうど先ほどの対戦相手だったドルゴゴスヴェン君も指導が終わって、戻ってきたところだ。
アキもモエも、なにやら釈然としない表情ではあるものの、黙して闘技場に視線を向ける。
けど、そこにはまだ誰もいなかった。
「――ああ、ごめん。次の試合が誰か、言ってなかったね。えっと、次は――いや、もうこんな時間か。すまない、昼の休憩に入ろう。授業の再開は、次の時報の鐘が鳴ったらにしよう」
戻ってきたトウヤ先生は、体育館みたいな、このただ広い施設の、端っこにある大きな時計を見て、そう言った。
あれ。ここで休憩なんて入れちゃったら、もしかして、溜飲の下がらないアキとモエのふたりが、喰ってかかるんじゃないかな?
せっかく、話題を反らすことができたと思ったのに。
「ふむ。ちょうど良いな」
アキがそんな言葉を口にする。見ると、真剣な顔をして、トウヤ先生を睨み付ける姿があった。
「ええ、そうねえ。あたしも先生に訊きたいことがあるのよねえ」
それに追随するはモエの声。言葉尻もそうだけどさ、その顔。
額に青筋浮かべながら、それでも、にやり、なんて表現が合いそうな悪い笑顔するのは、ちょっとおっかないかなあ。
ていうか、ふたりとも。止めてよね。休憩時間だから、授業と関係ないからって、文句を言う算段でしょう。
既にその場は、休憩に入る、の言葉と同時に、緊張が弛んでいた。授業の再開までは、そう長い時間もない。
そそくさと場を離れる者。出会ってから僅かな時間ながら、仲良くなった者。みんな昼食に出るみたいだった。
「ちょっと、いいかしら。モエ=クルガンさん」
さあいよいよ。といった具合に、こちらの制止も聞かずに歩み出すふたり。
そんな姿に、建物を出てすぐ、待ったをかけるひとがあった。
最初にモエと試合をしたひと――ええっと、ベルクラウゼ=リン=ゴゴルンジェーナさん。彼女が声を掛けてきた。
ぴたりと歩みを止めるモエ。次いでアキも立ち止まる。
「なにかしら、ベルクラウゼ=リン=ゴゴルンジェーナゼさん」
「――その名で呼ばれるのは好みでない。ベラ、でいい」
先ほどまで額に青筋浮かべるくらいに怒っていたのに、振り向いたモエの顔は笑みである。
「あら。じゃああたしも、モエで良いわよ、ベラ。で、なにかご用? これでも少し、急いでいるんだけど」
言葉の端々のどこを捕まえても、怒りの感情なんて見て取れない。まるで普通に友人と話すような口調で、モエは言う。
さすがは将軍家のご令嬢といったところだろうか。私情は別として、どんな相手にもそつなく対応できるなんてのは、なかなかできないんじゃないかな。
まあ、若干左側の眉がぴくぴく震えているのは、気付かないふりをしていよう。
「――次は負けない」
それに対するベラさんの言葉は短い。
ただその発言は、ほとんど明確に、好敵手であると告げていた。
「期待しているわ、ベラ。次にあなたといつ試合をするか分からないけど、そのときには手加減しない。お互い全力でいきましょう」
痺痺、なんて擬音が出るくらいには激しい視線の交錯だった。
モエときたら、先の試合のあれは手加減だと言う。一薙ぎしか攻撃していなかったけど、あれで手加減だったら、本気になったら果たしてどんな戦い方になるのだろう。
対するベラさんは、あの試合は手心を加えられていたと言われ、さらに顔色を険しくし、モエを睨み付ける。
おお怖い。流石は武術試験でトップクラスの成績だった二人だ。農民の子であるぼくが、口を挟んでいい雰囲気にはなかった。
「――それは良いが。モエ、我々は機を逸したようだ。先生の姿はもうない」
だから。というわけではないのだろうけれど、次いで言葉を出したのはアキである。
彼女は溜め息を吐きながら言った。
相変わらずその『先生』という言葉を発するときには、どこか余所余所しいイントネーションがあった。
「えっ」
「まあ仕方がなかろう。放課後まで待つとするか?」
ベラさんとばちばちやっていた視線は、アキの言葉ですぐに逸らされる。
モエは先ほどとはうってかわり、一直線だった視点をあちらこちらに向けていた。
「放課後は、ギルド錬成会に行こうと思っていたんだけど」
ここで口を挟むのはぼく。
お金を稼がなければいけないぼくにとって、ギルドの仕事――は別にして、登録は早く済ませたい。マナ先生は今日でなくとも良い、とは言っていたけど、やっぱり体力が余っているうちは、早い方が良いよね?
「ごめんごめん。つい、ね?」
――まあ、モエの気持ちは解らなくもない。
誰だって、クラスメイトにライバル宣言されたら、真摯に受け止めようとするよね。
やや間が悪かったのは否めないとして、それはモエのせいでない。
「――邪魔をしたみたい。では、私はこれで」
そう言い、小さく頭を下げてその場を辞するベラさん。でっかいリボンを振振させながら、どこぞに去っていった。まあ、たぶん昼食を摂りに行ったんだろう。
「なんだったの、あの子」
その後ろ姿が廊下の曲がり角で消えたあとに、ぽつりと呟くモエ。
前世でもぼくはこんな場面に出会したことはないからね。確かになんだったのだろう、て呆とするくらいには、変に存在感のあるひとだった。ベラさんは。
「まあ、時間もない。わたしたちも昼食にしておくか。わたしは食べなくとも平気だが、クリウスを飢え死にさせるわけにもいかん」
「あたしも平気だけどね」
「私も、アキ様に従います」
沈黙を破るは、それぞれアキ、モエ、ミモザさんの言。
ていうかアキ。まだ武術試験のときの話を引きずっているのかな?
三人の視線がぼくに集まる。その視線は、このままトウヤ先生のところへ陳情申し立てに行くのか。それとも、みんな仲良く昼食にするのか。問い掛けているようだった。
というかさ。なんできみたち。当代ベースラインとその護衛、さらには将軍家のモエ=クルガンがぼくに意見を求めるのさ。
ただ、まあ。ぼくの能力がどうのでこんな話になってしまったのだ。だったら、一番能力について文句をつけたいだろうぼくに、選択権があるのだろう。
だとしたら、返事は決まっている。
「ああ、もう! ぼくはお腹が空きました!」
なんとも間抜けな返事であるが。
前世で平和主義の国に生まれたのだからね。こう答えるのが、一番波風立たなくて良いんじゃないの。
決して、我慢しきれないほどお腹が空いていたわけではないよ?
本当だよ?