閑話① 影
少しばかり趣を変えて。
三人称です。
カルディモアの影、という呼び名の男がいる。
無論本名ではない。ただ、彼の本当の名を知るものはなかった。
彼は生まれながらに悲劇にあった。
生まれの地は定かでないが、拾われたのは發の北部に位置する寒村だったから、おそらくはその近辺の出自であろう。
發は厳しい環境が多い。年中を凍てつく氷の上のような土地で住まわざるを得ないものが、少なからずある。
天候が崩れれば作物が育たなくなり、厳しい冬には、村ひとつが飢餓で消える、なんて事態はざらに起こった。
ある冬に、發国軍の一部隊が、件の寒村を訪れた。町々の噂で、今度はあそこが危ないと言われていた。救済すべく、少ない食糧を伴って向かったが、時は逸していた。村びとたちは餓えて、家畜という家畜を食い潰し、木の根草の根をかじり、終いにはお互いの太股にかぶり付きながら、ほとんど全員が命を落としていた。その有り様は、さながらこの世の地獄だった。
そんな中で、カルディモアの影は、辛うじて生きていた。
既に事切れている母親の乳首に吸い付きながら、寒さに身を震わせていた。
多数の村びとが互いに互いを食い合った中で、その家のその彼だけは無事だった。
唯一の生存者の発見に、派遣された隊は湧いた。ひとりをこの地獄から救えただけでも、彼らにとっては大きな成果だった。
ただ、さて。この幼児はどうするか?
首都にある孤児院に入れられた。そこはカルディモアという人名を冠した場所である。
カルディモアとは、時の人公将軍デストラ=カルディモアのことだ。
人公将軍という地位にありながら、孤児院を経営する。字面だけ見れば、とんだ慈善事業経営者だろう。
しかしながら実態は違う。慈善事業なんかでありはしない。孤児院はもっと陰湿な、国軍に属する隠密部隊の養成所だった。
拾われてきた寒村の幼児は、33番と名付けられた。33番目に拾われて、隠密部隊に所属させられたから、それが彼の名となった。
幼児は不思議な魔術師だった。
とにかく気配というものを感じない。一度姿を眩ますと、ほとんど誰も、彼を見つけ出すことはできなかった。まるで夜の闇に溶け込む烏のようである。
彼は、自身から出る魔素を、他人に感知されないようにする魔術が使えた。加えて、彼の身体に触れている限りは、他人にも同じ効果が獲られるという。
この世界は魔素という概念が浸透している。あらゆる人びとは、無意識に魔素を感じ取りながら生活を営んでいるのだ。
それを遮断するとなると――気配を消ことになる。
勿論姿を消すわけでないから、魔素に頼らず、肉眼で確認すれば、すぐに見てとれるのだが。
なまじ魔素やら器械やらに頼る世界である。あらゆる生命体には魔素が宿ると信じられ、そして真実な世界だ。
33番と呼ばれる男は、たくさんの孤児がいるなか、一度その気になって隠れると、自主的に出てくるまでは、誰も見つけられない人間だった。
その能力は、隠密部隊にとってこの上なく重宝された。本人も能力値は力が異常に高くて、武芸に才があったから、お上の目に留まるのも早かった。
デストラ=カルディモアは33番の話を聴くと、早速仕事を任せた。
自身の政敵を暗に殺害せしめるため、不思議な力を持った人間を仕向けたのである。それもたった独りで。
結果は大成功だった。
武芸に秀でる33番は、あらゆる警邏の目を盗み、厳重に警戒された器械の監視もすり抜けて、目標の相手の寝所に立ち入った。
相手も決して無防備で無抵抗だったわけではない。
曲者が寝所に入ったのを認識すると、手に愛用の剣を取り、戦いに立ち向かった。
普通の隠密であるなら、見つかった時点で失態に違いない。
標的が声を上げれば、当然ながら護衛が駆け付けてくる。
が。33番は見つかってなお平然とし、大声が上がる前に、目標を仕留めてしまった。その際に彼が出した一番大きな音は、目標の首を切り落とす音だけだった。
また10年前に中の学園都市や大学校を襲った悲劇も、33番の仕業である。
優秀な人材を1000人も集めたとあらば、間違いなく将来の大きな驚異となろう。そう考えたらしい發の国王は、デストラに命じて、その年の新入学生を排除せんとした。
当然ながら、その大任には33番が選ばれた。
33番の身体に触れるものは皆、彼と同じく魔素の気配を消すことができたから、中の警戒網を掻い潜るのは容易い。
デストラお抱えの特殊部隊は、僅か7名という少数で、800人もの王立大学校の新入学生を殺傷せしめた。結局帰還できたのは33番のみだったが、6人だけの犠牲としては大戦果だった。
カルディモアは気を良くし、33番に富を与え、自身の闘神として召し抱えた。
闘神とは、發の制度で、天公・地公・人公の三将軍に許された、親衛隊の意である。
本来なら私設部隊や護衛は、その禄を雇い主――この場合はデストラ=カルディモアである――が負担するものだが、闘神として認定されるのなら、国が負担してくれるのだ。
名誉なことである。誰もがそんな大それた称号を勝ち得るわけではない。
33番はそれ以降、デストラを父と崇め、よく警備に当たった。政敵や、中の特殊部隊と衝突することも屡々あったが、ひとつの傷も負ったことはなかった。
常にデストラの後ろに控え、主を護る彼の姿は、いつしか33番から、カルディモアの影、あるいは単に影と呼ばれるようになった。
彼に狙われた者は数知れず。されど生き残った者はいなかった。
政敵連中も中の人間も、自身が影に狙われていると知ったとき、顔を青くし、生きた心地を失った。
カルディモアの影に対する信頼は膨張し続けた。
ある日、こんな命令が下った。
『中の第一王子を暗殺せよ』
大仕事である。
中の政を司る国王、ウイルヘム=リン=ウィングルドは老齢だ。最近は病に倒れ、公に姿を見せることは少なくなっていた。
臣下の間では、既に王位交代の話が噂されている。長幼の序に従うまでもなく、このままでは近いうちに、一人息子のマグマ=リンに王位が譲られるのは明らかであった。
おそらくは最大限の護衛を侍らせ、常に警戒に当たる身。マグマ=リンの身辺を脅かすのは、至難の業だ。
警戒の網を掻い潜り、近付き、絶命させんとする。そんなことが可能と思われるのは、たったひとりしかあるまい。
發の国王は、直々にカルディモアの影を呼びつけ、直接に命令した。
話を聞いた影は、大した反応をすることもなかった。
成功した暁には、領地を得、さらなる富が与えられ、中の本土へと攻め入る際の尖兵とならんことも約束された。
元々は寒村の出自で、餓死寸前を保護され、番号でしか呼ばれないような最底辺の人間に、これほどの待遇はない。
ただ影は、大した喜びを示さなかった。逆に言う、そんな大それた褒章は父デストラにお与え下さい、と。
さらには、自身が出征している間の父の警備や、居住地の心配を熟々申し上げて、全てに了承を得たところで、ようやく首を縦に振った。
影にとり、命の恩人たるデストラ=カルディモアは、なにより優先されるものだったから、彼の為人を知る者ならば、それらは当然の懸念だっただろう。
王はその忠心に感激し、暗黒の騎士の称号を密かに与えた。10年前の学園都市襲撃の後、敵国が影に付けたあだ名を捩ったものだった。
こうして、カルディモアの影は、再び敵国の中に足を運ぶことになった。
話を聞き付けたデストラは、大層に感激をして、出発をする前の忠臣に相対した。
「此度の作戦は、大した仕事だ。お前が受けてくれることを誇りに思う。願わくば、五体無事で戻ってこい。なに、お前なら可能であろう」
「――否、父上。それは叶いませぬ」
カルディモアの言葉は、影により否定された。
父は首を傾げ、訊く。
「何故か。自信がないのか」
「ありませぬ」
「ならば、どうしてまた王の命を賜ったのだ」
「国王陛下の直々の命を断れるものなど、この国にはおりませぬ」
「敵の王子はそれほどの者か」
「はい。10年前に一度、同胞らと敵対するマグマ=リンを、この眼でしっかと見ております。あれに敵うものなど、父上や、天公将軍をおいて他にありませぬ」
出発の直前になって告白する己の影に、デストラは瞠目する。
自ら死地に向かうというのに、こいつときたら、まるで飄々と、無感情にしているのだから。
「――次に逢うのは地獄か?」
「否。己は地獄にすら堕ちませぬ。今まで散々地獄を渡り歩いた身には、それでは生温い。天にも地にも召されず、己はずっと、父の下に漂う蚊蝿となりましょう」
カルディモアの影はそう、普段には言わないようことを嘯いて、旅立った。
顔や身形をすっかり変え、商船に紛れ込んで、中の国へと向かっていった。
それは、大学校の試験が始まる、一ヶ月前のことである。
果たしてカルディモアの影はその後、任務を全うできたのか?
――答えるのは簡単だ。否である。
では誰に打倒されたのか?
――これより半年の後、突如として中に現れた、雷帝と呼ばれる少年に。
どのようにして?
――決まっている。カルディモアの影は、雷に打たれて死んだのだ。
ならば彼は、主を護ることができなくなり、失意のうちに死んでいったのだろうか?
――そうでもない。影は言った通りに、蚊蝿となって、やがて中の地に足を踏み入れる、主を迎えに行ったのだから。




