さあ入学⑨ モエ=クルガン
部活動の手続きはすぐに終わった。色々と注意事項が書かれた紙に、同意のサインをしておしまい。
散々な過去の話を聴いたけれども、ぼくとしては奨学生といえ、授業料や生活費を稼がなければならない。
ならば、知り合いのいるギルドで働いた方が、気分も楽になろう。
――このときのぼくは、他の仕事のことなんて聴かずに、ギルドで働くことを決意してしまったけれど。
他の仕事も良いなあ。なんて思うのは、これより少し後のはなし。
「最後に、クリウスくん」
「はい。なんでしょう?」
それまで終始にわたり不機嫌そうな表情をしていた、マナ=ゴルベローザ担任兼ギルド錬成会の顧問だったが。
急に笑顔を作って言った。
「ダウーとターヤを助けてくれてありがとう。あなたが助けてくれなければ、真・ギルド会の二の舞を踏むところだったわ。ふたりにはよーく叱って言い聞かせたから」
「いえいえ。ぼくも大学校の先輩を助けられて幸いでした。こんな良い出会いがあったんですから」
――とはいえ。
考えてみれば、過去の部活動での話があって、なおふたりは油断してたってことだよねえ。
慣れてくればそれだけ、油断や慢心しやすい環境になってしまうんだろうか。ぼくも気を引き締めてかからなければ。
それからすぐにお開き。
結局他の会員が姿を見せることはなかった。
なんでも、常に全滅の危険を避けるため、危なっかしい気配のする依頼は、分散して受けるんだとか。
今回は飛竜に襲われたふたりは居残りついでに勧誘をしていた、というわけ。
ダウーさんは別に会長てわけではないようだった。
あと。残念ながら護衛三姉妹も姿を現さなかったね。
まあ、あの人混みをすぐに掻き分けるのは難しいだろうし、何より彼女たち、ぼくらがどこに行ったのか分からないんだもの。合流のしようがない。
アキが最後に、
「もう三人増えるかもしれない」
なんて断りを入れていた。
「よーく説明しておいてね。長たらしい説明は、もうごめんだわ」
マナ顧問は、少しばかり疲れた顔を取って言う。
確かに、結構な説明量だったと思うけど。
あの三姉妹のことだ。きっと、アキが入る、てことが分かれば、是が非にでも入会するよね。
「では、今日はここまで。明日も活動はしているから、初授業が終わって、元気がまだあったら来てね。ギルドに案内してあげる。登録だのなんだの、やっぱり重要な話もあるから、疲れていたら止めときなさい。どうせギルドは年中無休、登録はいつでもできるからね」
「承知しました」
「よろしい。では解散」
マナ顧問の合図と共にお開きとなった。
初日から色々あった。肩の力が抜けると、途端に疲労感が襲ってくる。
今日はさっさと新居に帰って、眠るとしよう。
※
「ねえ、モエ。いつまで一緒の道なの? 王都は別の方角だけど」
「知ってるわよ、クリウス。王都はあっち。あんたの家はこっち」
大学校を出て、ようやく合流した護衛三姉妹。それにアキと挨拶をしてから別れた。
いつもなら誰かの『飲みに行こう』の声があるはずだけど、疲れているのか? そんな声は聴かれなかった。
ぼくは学園都市に越してきた初日に見つけた大きな商店で、晩御飯の買い物をした。
お金に余裕があるわけでないから、やたらと高くつく店屋物はなし。
幸いにしてこの日は鶏の肝が安かった。村では贅沢品だったけど、学園都市では普通の食材らしい。
基本的な調味料は初日に全部揃えてあるから、まずはこれを買って、適当にお野菜を加えて焼いてみよう。
玉菜、萌やし、人参。
うん? 大蒜はいらないかな。この世界のニンニク、辛いし臭いんだよねえ。酒飲みにはいい肴かもしれないけど、ぼくは苦手だな。
お酒? お酒もいいや。
蒸溜酒はこの国ではかなりポピュラーな飲み物だ。実家では出てこなかったけど、お酒なんて嗜好品の割には、果実のジュースと同じくらいの金額で買えてしまう。
でも、あんまり高くないとはいえ、明日からは本格的に授業だし。酒精は止めておこう。美味しくないし。
いやいや? お菓子なんていらないよね。塩煎大豆は、作る人にもよるけど、結構しょっぱいしね。ご飯のおかずにもならないし。
――ていうかさあ。
「なんでモエまで買い物しているの?」
「ダメなの?」
当たり前のように一緒に買い物をしているモエ=クルガン。
こちらの質問を質問で返すくらいには、図太い神経をしているようだ。
「ダメ、てことはないけど」
「クリウスは好き嫌いが多そうだから、こうしてなんでも食べられるように選んであげてるんじゃないの。感謝してよね、感謝」
「お酒とかお菓子は贅沢品だよ。好き嫌いは別として、そんな余裕、ぼくにはないの」
「じゃあいいわ。あたしが自分で買うから」
なんだろう。なんできみは、ぼくの買い物に口出ししてくるのかな? ぼくのお姉さんじゃないんだから。
――まあ、身長差は、世間一般でいう姉弟くらいにあるかもしれないけれど。
ぼくは訝しがりながらも、買い物を終える。
後は家に帰って、ぱぱっと料理して、さっと寝てしまおう。
※
「――ねえ、モエ。なんかぼくの家の前に、荷阿車が停まってるんだけど」
「そうね。ちょっと待たせちゃったかしら?」
その口ぶりは、やや目の前にある大きめの荷阿車が、まるでモエの手配したものであるかのようだった。
というか。なんとなしに、そうに違いないと思ったし。
同時に、嫌な予感が脳裏を過った。
「遅いじゃないの、モエ。たっぷり30分は待ったわよ」
「ごめんごめん、ヒュント姉」
ぼくらが並んで近寄っていくと、件の荷阿車から誰か降りてきた。
腰まで伸びた茶の髪に、すらりとした体躯。この世界に特有の筋肉とか汗臭さみたいなものが、全て排除されたような姿は、モエにそっくりだった。
「あら。あなたが話に聞くクリウス=オルドカームくんね。こんにちは。あたしはヒュント=ロウン=クルガン。モエ=レンの姉よ」
まさか。とは思っていたら、そのまさか。
目の前の女性は、モエのお姉さんらしい。レンは四番目の子どもという意味で、ロウンは三番目を意味するから、このひとはモエのすぐ上のお姉さんということになる。
「いやあ、助かるわあ。あたしにもやっと素敵な彼氏ができてねえ。これから一緒に住むことになったんだけど、そんなところに妹を置いておけないじゃない? モエも大学校まで遠い場所から通うのは大変だろうし、お友だちと一緒だとなにかと安心でしょう? どうしたもんかと思ってたら、あなたの話を聴いてピンと来たのよ。なかなかに良いお部屋じゃないの。中は見てないけど、外見は綺麗ねえ。ああ、心配かしら。でも安心してね、モエはすこーしがさつで気が短くて大飯食らいの大酒飲みな乱暴者だけど、本当は自分の欲望に素直な子なの。ご覧の通り見た目は良いから、目の保養くらいにはなるじゃない?」
軽く挨拶をして、ぼくが何事かと不思議に思っていると。
ヒュントお姉さまは機関銃のごとく喋り始めた。
彼女の言うところによると、要は彼氏との甘ったるい同棲生活の邪魔だから、ぼくの部屋に住まわせろ、てことなんだろう。
あと。前にちらりと聞いた話では、兄弟みんな仲良し、て感じだったけどさ。本当は仲悪いんじゃない? 普通そんなこと言いませんよね、これから一緒に住むかもしれない男に。
「――えっと、でも」
「あ、そうだ。忘れちゃいけないわね。これを渡しておかないと」
ぼくが反論のために口を開いたところで、やはり有無を言わさず。ヒュントお姉さまは何やら封筒みたいなものを取り出して、渡してきた。
反射的に受け取っちゃったけど、なんだろう? 少しばかり厚みのある封筒だ。
「200万統一貨幣あるから。モエの生活費に使ってね。少し少ないかもだけど、あんまり多いと受け取り辛いでしょう? 安心して、中にはあたしの家の住所も入っているから。足りなくなったりしたら、気軽に相談しに来てね」
お金である。紛れもなく。これを受け取るということは、つまり了承の返事と同義だろう。
「受け取れませんよ、こんな――」
「ああ、そうね、うん。やっぱり覚悟はしておきなさい。多少は鍛えているかもだけど、やっぱり力付くとなると敵わないこともあるわ。手込めにされそうになったら、あたしがきつーいお仕置きしてあげるから。だから、もし万が一襲われそうになったら、すぐに逃げてきなさいね、クリウスくん」
断りを申し出ようとするも、またしても早口で話を遮るヒュントお姉さま。
でも、彼女の懸念は当然である。
ぼくだって良い歳した健康な男子。モエは美女。
変なことしようなんて毛ほども思ってはいないけど、間違いの起こる可能性は、ゼロにはならないんだ。
ただ。なんで妹のモエでなく、ぼくの心配をするんでしょう、お姉さまは。
「ちょっと! あたしがそんなことするわけないじゃない! 合意の上よ、合意の!」
即座に反論するモエ。
だけどさあ。なんだって『合意』ていう単語を発する度に、握り拳を振り上げるの?
それって絶対に合意じゃないよ。暴力反対。だめ、ぜったい。
「まあそれはいいか。とにかくクリウスくん、この子をよろしくね」
なにかあったときに覚悟をするのはぼくの方だ。なんてことに思い当たり、ひとつ身震いすると。
このひと、ぼくの許可も取らずに言い、ぱちりと指を鳴らす。
すると、素早い動きで、荷阿車から男がふたり降りてきて。
荷台に積まれていたものを下ろし始めた。
見るとそれらは――家具やら調度品やら、槍やら剣やら弓やら、とにかくモエの私物らしいものばかり。
待って待って。え、なに? 本当に一緒に住むの? ぼくとモエが?
「ほら、クリウス。覚悟を決めなさいな。男でしょ、男。ちゃっちゃっと鍵出して。あたしの荷物をここに置きっぱなしにするつもり?」
――ああ。もはやなにを言おうが、聞き入れられない雰囲気だ。
お金も結局返さぬうちに、ヒュントお姉さまは荷阿車に戻っていく。
ぼくはがっくりと項垂れながら、鍵を出し、部屋の扉を開けた。開けてしまった。
待ってましたとばかりに、男二人組は荷物を部屋に運び込み始める。
この選択は、ぼくの将来にとって幸か不幸か。まだ分からないけど。
ただまあ、何事もものは考えようなんだ。
考えてもみてよ。モエみたいな美女、本来だったらいくらお金を積んだところで、一緒に生活なんてしてくれるはずがない。
それが、向こうからの依頼で。しかもお金まで恵んでくれて、共同生活をしようと提案してくれているのだ。断る理由なんてありはしない。
ある程度の覚悟は――互いに仕方がないとしてもだ。
「――これからよろしくね、モエ」
「あら。こちらこそよろしく、クリウス」
このときのぼくの決断は、果たして吉か凶か。
判断がつくのは、もっとずっと後のことである。
※
その夜。
「ちょっと! なにこれ、なんでお米がこんなに美味しいわけ!? 前に食べたことがあるのと全然違うじゃないの!」
「ぼくが米農家だって忘れているでしょ、モエ。自分たちが作っているものの一番美味しい食べ方を、知っているのは当然だよ」
「それだけじゃないわ! このカン・ジョウ・ルーぽい肝の炒め物も! 大蒜が入っていないからいまいちパンチが利いていないかと思ったけど、代わりに生姜がアクセントになっているのね。その風味が肝の臭みをうまく消してくれて、旨味だけを引き立たせてくれる。ソースは濃淡の塩梅が絶妙ね。あんまり濃い味だとご飯なんかよりお酒が欲しくなる。淡白に過ぎると、おかずにもならない。お米を美味しく食べるための味付けってわけね!」
モエの引っ越しは無事に終わった。
ぼくは元々荷物なんてほとんどなかったから、空き部屋にモエの私物を押し込むのは簡単だった。
内装に凝りだしたらキリはないんだろうけど、彼女としては、ぼくの部屋に転がり込むのが今日の最優先事項だったようだ。
荷物を運び終わったら、すぐにお風呂。すぐに晩餐。ていう運びとなった。
で。
晩御飯を供したところで、モエが感嘆の声をあげ始めた。というのが現在の状況だ。
「最初はなにやっているんだろう、と思ったんだけどねえ」
「ぼくの田舎では、お米は煮るものじゃないんだ。炊くものだよ。モエが気に入ってくれてよかった」
もちろん嘘だ。
この世界のお米の調理法は、前世でいうところの東南アジア? インド? みたいな感じで、たっぷりのお湯でパスタみたいに煮ることがほとんど。
それはそれで美味しいんだけど、やっぱり元日本人だと、炊いたお米が恋しくなるよね。
だから実家にいるとき、密かに練習していたんだ、炊飯の。
炊飯器なんて便利な器械はもちろん存在しないから、鍋で炊くしかなかった。
しかも、お米の品種も前の世界と違うから、普通に、前世の通りにやったところで美味しくない。
水の量、火加減、タイミング。全てを微調整して、日本のご飯を再現していったのがこれ。
オルドカーム家では定番になりつつあったけど、他の家庭では無理だよねえ。
とにかく。モエに好評でよかったよ。
「おかわり!」
「はいはい」
ぼくは苦笑しながら、モエの要求に応える。
ヒュントお姉さまが言っていた、『大飯食らい』の単語が気になって、結構多目にご飯を炊いていた。
おかずは――まさかモエが来るとは思ってなかったから、そんなに多く用意できなかったけど。
「あら、少し焦げてるじゃないの」
「おこげ? ああ、お鍋の下の方は、ちょっと焦げてるかも。でも失敗じゃないよ? 好き嫌いはあるかもだけど。一度食べてみて」
モエは目敏く、椀に盛られるご飯を観察していた。で、おこげの部分があるのを見て、少しばかり非難の声をあげる。
まあ、前世ではほとんどが炊飯器でご飯炊いていたから、おこげなんてできなかった。
嫌な人は嫌なんだろうけど、ぼくは好きだった。
モエはどうであろう?
「――美味しい! お米の甘味が、焦げて苦味で台無しかと思ったけど、違うのね。香ばしさが加わって、甘さを引き立ててる!」
「ご好評に預かれば光栄です」
自分の作った料理を、こんなにも美味しそうに食べてくれるひとがいる。作った甲斐がある。
世の奥様方は、いつもこういう喜びを得ているのだろうか?
「おかわり!」
「はいはい」
とはいえ。ご飯はこれで最後。美味しく炊けていたらぼくもおかわりするつもりだったんだけどな。全部モエが食べてしまった。
大飯食らいとは、かなり真実味のある言葉だった。
あと、今まで一緒に行動していたときは、こんなに食べてなかったよね? いつもお腹空かせてたんじゃない?
「――これで最後?」
「うん。少し多目に用意したつもりだったんだ。でも、足りなかったね。明日はもっと多くしようかな」
「そうしなさい、クリウス。あたしを飢えさせることがないようになさい」
「はいはい」
そんなかこんなで、晩御飯は終了。
モエは先にご飯を全部食べてしまったので、おかずだけ残った。
この世界は冷蔵庫もない。魔法で冷やしたりすることはできるけど、明日また食べるのは気が引ける。食中毒になったりしたら大変だ。
ぼくが食卓の上を眺めながら、そんなことを考えていると。
「さて、と」
モエは呟くと席を立ち、なにか持ってきた。
――あれだ。さっき買い物したときに自分で買ってたやつ。
ブーティの瓶を、鈍っとテーブルの上に置く。その隣には、妙に可愛らしい色合いをしたグラスもある。ふたつ。
やっぱり飲むの? 明日から授業だよ?
「煎大豆はまた今度にしておいて。なかなか酒の肴にも良さそうだしね、今日の料理は。安心なさい、せっかく用意してくれたものを残すなんて無礼、しないから」
モエは満面の笑みを浮かべながら、何やら猫? みたいなプリントのされたグラスにブーティを注ぐ。
この世界に猫なんていないから、別の生き物だろう――て、そうじゃない。
「ぼくも飲むの?」
「――あたしが用意した酒は飲めないの? クリウスの料理は全部食べるっていうのに」
なんていう暴論。笑顔のままはっきりと言うモエに、それでもぼくは言い返せない。
優柔不断、という謗りは甘んじて受けよう。だってさ、これを断ったら、せっかくの上機嫌な美女が怒り出しそうなんだもの。
ぼくはグラスになみなみと注がれる薄琥珀色した液体を眺めながら。
将来結婚したら、絶対に尻に敷かれるよね。
なんて、変なことを考えていた。
「クリウス、あんた婿に来なさい。この料理、他の誰かに供するなんて許さないわ」
この日の最後に、すっかりと出来上がったモエから、そんな言葉が聞かれた。
ぼくも酔っぱらっていたから、なにを応えたかは記憶にない。
たぶん当たり障りのない断り方をしたんだと思う。
呂律がきちんと回っていたかも判然としないけど。
ただ。モエが寝室に向かう際、残念そうな顔でした舌打ちは、夜の間はずっと頭に残っていた。