さあ入学⑤ ミサキ=ドルツ
「みなさーん、はじめましてー。わたしがー、魔術担任になりまーす、ミサキ=ドルツでーす。よろしくお願いしますー」
そのとき女神が舞い降りた。
ともすれば酷く眠気を誘う、子守唄のような優しい音色の声。
全てを見渡し、全てを許してくれるような、慈悲深い青い瞳。
細い顔の輪郭。真っ赤な唇。真っ直ぐな髪。
――そしてなにより眼を見張るのは、その体付きだ。
まさに女神。美の化身であられる。
ほっそりとした脚に、控えめな臀部。程よく括れたウエストライン。そして。神が作りたもうたとしか想像が及ばない、巨乳。
見るのは二度目だけれども、その神々しさは少しも色褪せない。
この世界に写真が存在したのなら!
その写真で部屋の壁を一杯にして、一日中かけて眺めていたい!
――このひとが担任だったら、きっと喋り口調のせいで眠くなるんだろうな――
そんな愚かな考えは、ミサキ先生が担任になる、と聴いて吹き飛んだ。
寝ている暇が一秒でもあるのなら、その御姿を脳裏に焼き付けるべきなのだ。
網膜が焼け切ろうが関係ない。
いまのぼくにとって、瞬きをする刹那の時間すら、大変に惜しいものなのだ!
――うん。冗談はこれくらいにしておこう。
そうしておかないと、両隣から漂う殺気に押し潰されてしまう。
ぼくはただならぬ気配を感じ、ちらりと、まずはアキを横目で見遣る。
「――なんだ、クリウス」
いやいや。なんだ、はこちらの台詞ですよ。
アキは一見して、表情こそ普段の通りだ。でもその視線は、一条の矢のように、こちらを射抜かんばかりに鋭い。とてもじゃないけれど、友人に向けていいものでないよね?
ぼくはアキの言葉に答えることはできず、慌てて視線を反らし――代わりに、片隣のモエを見た。
すると彼女は、眼をこちらに向けてはおらず。自分の胸元を見下ろしていた。そしてなにやら、平平と両手で胸の様子を確かめている風だった。
何か見てはいけないものを見た気分になった。
「――なによ、クリウス」
ぼくの視線に気付いたか、モエは顔に朱を注がれたようにしながら、こちらを向く。
なんか、ごめん。
「えーとお、得意なのは水の魔術でー、苦手なものはありませんー。一応ー、大学校のー、一般教養まで習う属性はー、全て扱えまーす。治癒魔術もー、保健医さんほどではー、ありませんが使えますー」
ミサキ先生の続く言葉に、ぼくは注意を前方に戻した。
それにしても。眠くならないとはいえ、この喋り口調は気になる。緊張感のひとつもありはしない。
まあ、もし魔術担任がトゥルジロー様だったら、毎回毎回緊張しっ放しだよね。
それに比べれば、まだましだろうか。
「わたしのー、自己紹介はー、ここまでですー。なにか質問があればー、後で聞きに来てー、下さいねー」
そう言って、にこりと頬笑む女神先生。
その表情は器械よりもむしろ国宝的だ。
教室の中は沈としていたが、ぼくは聴いたよ。誰かがごくり、と固唾を呑んだのを。
というか、自己紹介でなにか質問があるかなんて、個人的なものしか出てこないよね。
恋人はいますかとか。好きなタイプはとか。スリーサイズはいくつですかとか。
そういう類いのものも、後で聞きに行っても大丈夫なわけ?
「さてー。実はー、みなさんにー、謝らないといけないことがー、試験のときにー、ありましたー」
ぼくはミサキ先生に訊くべき108の質問を考えていると。
微笑から一変、ミサキ先生は真剣な表情を作る。
大丈夫です、なんでも言ってご覧なさい。ここにいる男たちは、きっと全員があなたを許します――彼女の謝罪の言葉がなんであるかはともかく、その顔色を見ると、そう口にしてしまいそうだ。
果たして次に出た言葉は――
「魔術試験はー、合否にはー、ほとんど関係がー、ありませんでしたー」
な、なんだってー!?
――そんなお約束みたいな声は流石に上がらなかったけれど。
『えっ?』とか『本当に?』とかの声は聴かれた。教室の中はにわかに騒がしくなる。
もちろんぼくは、なんとなくだけど解っていた。
だって。そうでないと、測定値5だったぼくが、いまこの場に座っていられるわけないからね。
「もちろんー、一定以上のー、成績の方にはー、加点がされましたー。でもー、どんな成績であってもー、減点はしていませんー。
中ではー、伝統的にー、魔術の苦手なひとが多いのでー、そういう方式でーす。小学校の先生方もー、魔術がだめーというひとは多くいまーす。
そのためー、大学校の入学試験ではー、どんなに結果が悪くてもー、落とすことはしませーん。
ただしー、入学してからはー、その限りではー、ありませーん。
敵国發はー、相対的に魔術がー、とりわけ可学がー、発達した国とー言われていまーす。それに勝ちー、あるいは身を守るためにはー、魔術はー最低限習得しなければー、立ち向かえないのでーす。
なのでー、授業はー、厳しく行きますー。例年ー、1から2割の生徒がー、3年生への昇級試験でー、落第していまーす。みなさんはー、そうならないようにー、がんばりましょーう」
うん。
その美貌に見とれ、その言葉に陶酔する。
内容はとてもシビアなもののはずなのに、鼓膜を刺激するのは、小鳥の囀りと共に歌う歌のようだ。
「――――はい。ミサキ=ドルツ先生。質問です」
やや話が落ち着いたか。少しばかりの言葉の区切りに。
幸福な時間を邪魔する声が聞かれた。すぐ隣からだ。
「はーい。どうぞー、モエ=クルガンさんー」
「先生は恋人はいらっしゃいますか?」
げえっ!
モエ、きみ、なんてことを訊くんだ。
ぼくは思わず彼女の顔を睨み付ける。モエは素知らぬ様子で、返事を待っていた。
「えっとー、こんなわたしにもー、お付き合いいただける男性はー、いますー。それがなにかー?」
――そりゃそうだよ。
ミサキ先生の返事に、ぼくは黙って下を向くしかない。
彼氏がいるのは当然だ。あの美しさだもの。世の中の男が黙っていられるわけがない。
だから、その質問だけはしてはいけなかった。幻想は幻想のままにしておきたかったんだ。
それを。モエ、きみってひとは――!
「――クリウスが訊きたそうな質問、代わりにしておいてあげたわよ?」
そんな悪魔みたいな声がした。
再度横を見ると、そこには。
にたりと嗤う、モエの顔があった。
教室が阿鼻叫喚に包まれることはなかった。
みんなもいい大人だ。わめき散らしたりなんてしない。
けど。
ごんっ、なんていう、まるで頭で机を殴打したような鈍い音や。
ぎりっ、なんていう、まるで骨が悲鳴を上げるような歯軋りするの音が、そこかしこで聞こえていた。
男たちの短い夢は、儚くも砕け散ったのだ。
「いつまでも悄気てないの。現実を見なさい、現実を」
そんなぼくの状態に、流石に悪気を感じたのか、モエは苦笑しながら慰めの言葉を吐いた。
そうなのだ。
ぼくはこれから、現実と立ち向かっていかなければならない。
大学校での授業がある。おそらくはギルドで生活費を稼がなければなるまい。
ミサキ先生だけに囚われているわけにはいかないに決まっている。
感謝するよ、モエ。きみはそれを思い出させてくれた。
でも、とんでもない荒療治だったのに、違いはないよね。
だから、ぼくは心の中でだけ反抗しておく。おっかないから。
(――モエも、己の貧乳と向き合った方がいいんじゃない?)
決して声に出したりはしていない。
表情にも出していなかったはずだ。
ただ。強いていうなら、ぼくの視線は、憐憫の情を持って、モエの平坦な胸部を見ていた。
「――コロス。後で絶っ対にコロス。ぶん殴ってコロス」
ミサキ先生が教室を去った後。
もちろん思いきり殴られました。拳骨で。




