さあ入学④ トウヤ=ベースライン
「俺が武術主任のトウヤ=ベースラインだ。みんな、これからよろしく頼むよ」
担任となったマナ先生の話と、クラスメイトとの軽い自己紹介の後。
やってきたのは武術主任を名乗る、優しそうな細い目をした青年だった。
前世では中肉中背の、日本人としたなら平均的な体格。けど、この世界だと小柄で痩せた部類に入るのだろう。
もちろんぼくよりは背が高いようだけど。
――なんだか、マナ先生といい、このひとといい、大学校はなんでこんなひとを担任や主任に選ぶのだろう。まあ、見た目判断は良くないよ! てことなんだろうけどさ。
それはおいといて。
こちらも記憶にあった。武術試験のときに挨拶をしていたひとだ。
その当時は結構なお堅い口調と、お堅い視線が記憶にあったのだけれど。こうして間近で話していると、全然そんな印象はない。むしろ優しそうな人物という印象だ。
あと。忘れてはいけないことがもうひとつある。
「ああ。名前はベースラインだけど、気にしないで。俺はただのトウヤだ。偉いのはうちのお家のひとであって、俺が偉い訳じゃあない。だからみんなも畏まらずに、気軽にトウヤ、と呼んでくれ」
言いながら散散とアキの様子を伺う――ように見える――トウヤ先生。
彼はアキの兄だ。
似ていない、というのはモエの談である。
腹違いの生まれの兄だなんて、前世ではなかなか聞かなかった間柄だよね。
あと、身内がいるクラスで担任やる、てどうなんだろう?
普通はこういうとき、特別な配慮とかがないように、担任の候補としては外されると思うんだけど。
ぼくはまた、ちらりと横に座るアキの表情を見る。こういうときに彼女はどういう表情をするのだろう。
「――なんだ、クリウス」
アキはぼくの疑問の視線に、質問を返してきた。
そのときの表情は、やはりいつもの無感情で、平静であり。目を瞑っていて、黙ってトウヤ先生の話を聞いている風だった。
その状態で、どうしてぼくの視線を感じ取れたのかはおいといて。
返された言葉の語気はやや強い。
アキもアキなりに、こういう状況はやり辛さを感じるのだろうか。短い言葉のなかには、複雑な心境が混ざりあっている気がした。
「さて――早々だけど、武術試験のときの話をしようかな。もう終わったことだし、中にはあんまり思い出したくないひともいるかもしれないけど。学校から、言及するように言われていてさ。仕方なく講釈を垂れることにするよ。
――このなかで、試験に負けた。あるいは劣勢だったと自覚するひとはどのくらいいるかな? 手を挙げてもらえるかい?」
ぼくがアキに返事をする前に。
トウヤ先生はそんなことを訊いてきた。頭を掻きながら、ちょっと苦笑いして。
ぼくはすぐに手を挙げた。
アキの蹴りを受けて、鼻血を噴いて気を失っていたんだ。それで負けでも劣勢でもない、なんて言い張る気概は、ぼくにはない。少しは良い勝負ができたかな、とは思うけれど。
果たして、手を挙げたのはクラスの半分くらいに上った。
当然ながらモエは手を挙げていない。しつこく付きまとうナンパ男を、心身共に打ちのめしたのだ。その後に一悶着あったけど。
アキのすぐ後ろに座るミモザさんもだんまりだ。彼女もまた、危なげなく武術試験を通過したらしい。
彼女らふたりはいい。実際に観戦していたモエは勿論、ミモザさんも自信を持って勝ちを取ったのだろう。それは解る。
たださ。
なんでアキも手を挙げてるの?
きみ、完膚なきまでにぼくをやっつけたよね?
「――うん。ありがとう。手を下ろしてくれ。
おおよそ4割くらいが、負けか劣勢を自覚しているようだね。
まあ、それもそのはずだ。ひとつ種明かしをすると、きみたちに受けてもらった武術試験は、それぞれ最も苦手と思われる武器で臨んで貰ったんだ」
え?
ぼくはトウヤ先生の次なる言葉を聴き、それまでアキに向けていた視線を前に戻した。
武術試験は剣と槍、それに弓で執り行われた。
思い起こしてみれば、変に偏りの多い人数ではあったと思う。
剣ばかり多くて、槍はその半分。弓に至ってはさらにその半分くらいの人数だった――実際に人数を把握しているわけでなし、各試験場を見たわけでもないから、あくまで周りの様子を見た感覚なんだけど。
でも、ぼくはこれでも剣が一番得意だと思っていた。
剣が最も手頃で、自作できたということが大きい。
それが、実は苦手なんだよ。と言われて、はいそうですか、なんて簡単に答えられるほど、剣に無頓着ではなかったつもりだ。
「能力を測定する器械は、実は素質とかも見られるんだ。授業が始まれば、みんなには個々に本当の適正を教えていくよ。
あの試験では、解っているかと思うけど、少しでも実戦に近い状況を作りたかったんだ。
戦いでは、どんなときも自分の得手とする武器を持っているとは限らない。剣は折れて、槍は曲がり、弓は矢を切らしているかもしれない。そんなとき敵に襲われたら、みんなならどうする? どんなものでも――例えばそこらに落ちている木の枝でも、持って戦うだろう? 今回はそういう状態を作るため、あえて苦手なものを選んだんだ」
なるほどねえ。
確かにそう聴くと、ある程度は合点がいくか。
素手同士で試験を行えとか、本当に木の枝なんかを持たされなかった分、まだ配慮はされていたのだろう。
アキもモエも、思い出す限りでは剣は苦手、あるいは弓か槍が得意と言っていたよね。
ただ。少しは試験の方針に納得もできるけど。
ぼくの、いままでの人生で槍も弓も扱ったことがあるぼくの、それでいて剣を選択してきたぼくの、本当の適正はなんなのだろうか。
あとで個別に教えてくれるみたいだけど。
うむむ。いますぐ教えてほしいよねえ。
「あと。武術試験には、もうひとつ、きみたちのある素質を見出だそうとしていた。
なんだと思う? ミモザ=プブレスカさん」
「勝つ素質、でしょうか」
お。ミモザさん、急に話を振られたけれど、すぐに迷うことなく答えた。
いつも三人姉妹一緒でいて、ミモザさんひとりの声を聴く機会がなかったから、なんだか新鮮だ。
あと、そんな姓名だったんだね。
「うん。確かに勝つことは重要だ。あらゆる艱難を乗り越えられる素質、というのも、もちろん試験では採点のうちに入っている。
けど、少し違う。俺たちが君らに求めているのは、もっと根本的なものだ。勝つ素質は、その延長線上にあるに過ぎない――では、クリウス=オルドカーム君。それはなんだと思う?」
えっ。ここでぼくが当てられるの?
まあ、誰を指名しようが先生の勝手だし、クラスには34人しかいないしね。座っている席も、顔がよく見えるだろう前の方だ。
指されたって、不思議はない。
「えっと――――生き残れるか、どうか、でしょうか?」
ぼくはたっぷり発言の合間で考えてから、自信もなく言った。
ちなみに、発言の根拠はない。そう感じただけだ。ただ、もしこれが正解なら、ぼくは不合格なんだよね。思いきり顔面に蹴りを食らって気を失ったんだから。不老不死でなければ、そのあとで何百回も殺されちゃってるよ。
「その通りだ。あの試験は、まず戦いのなかで生存できるかどうかを判断していた」
あれ? 当たってた?
ぼくは正解を導き出しておいて、首を捻る。ではなぜぼくは合格できたんだろう。
魔術試験か、学力試験がよっぽど成績優秀ならともかく。そんな自信もひとつとすらないよ。
「君たちの4割ほどが、劣勢だったと自覚している。けど、実際に負けた受験生は少ない。それで正しい。
己の命より重要な勝利なんて、この国には存在しない。まずは自分の身を守れるかどうか。それが問題なんだ
命を賭けることがあるのなら――それは国のためでなく、家族や仲間を守るときだ」
うーん。いい話なんだけど。ぼく、キレイさっぱり負けましたよ?
「ただ、もうひとつ採点基準があってね。相手に怪我をさせない、ていう規定があったと思うけど――それも当然さ。君たちは、受験のときとはいえ、これから仲間になるかもしれない相手を、本気で殺そうなんてできないだろう?
だからあの試験では、もし真剣だったら、相手を絶命させていた可能性のある受験生の採点は、低く設定されていた。
加えて。そういう攻撃をしようとしたけど、直前で思い止まって、手心を加えたり、庇い手を取ったもの。そういうひとには、たとえ負けでも採点は高くついていた。
覚えておいてほしいけど、仲間に刃先を向けるのは、絶対にあってはならないことだ。向けたとしても、殺すことはあり得ない。この大学校は、この国は、仲間同士で殺し合うなんて状況を、決して認めない」
――確かに。ぼくはあの試験のとき、一瞬の隙を突いてアキに攻撃したけど。直前で逡巡して、刃先を変えたのだ。
その判断と選択は、正しかったらしい。
「俺の授業では、まずみっちりと、生き残るための武を教えるつもりだよ。その方針についてこられない人間は、この中にいないと思うけど――もしいたら、それは自分の身を守れない軟弱者だ。自分を守れないのに、大切な家族や仲間を守れるはずもない。そういう人間は容赦なく落第させるから、そのつもりでいてくれ」
言葉の最後は語勢を上げて、細く優しそうな眼を一杯に開いて、トウヤ先生は言った。
なんとなく――このひとは、怒らせたらいけないような印象を受けた。
アキも怒らせたら怖そうだけど。ベースラインという家系は、外見は冷徹そうだったり、温厚そうだったりしても、実際には苛烈な性格が多いのかもしれない。
あくまでぼくの直感なんだけどね。
「以上で俺の話は終わり。授業が始まったら、厳しく行くからね。よろしく頼むよ」
そう言ってトウヤ先生は教室を後にした。
きっと彼の授業は、とんでもなくきついんだろうなあ。