合格発表後のいろいろ③
「いててて――頭と背中が痛い」
ぼくは二日酔いで揺れる頭をなんとか起こしながら、その日の朝を迎えた。
今日は村へ帰る日だ。
大学校に受かったという報告を、家族や村のひとたちに早く報せなければならない。
凶報ならともかく、嬉しいことだ。頭は痛むけれど、喜んでくれる父や母、ユーリやマリアさんの顔を思い浮かべながら、ぼくは今日という日が訪れたことに感謝した。
だけど――
「なんでモエが、ぼくのベッドで寝ているんだろう?」
背中の痛い理由は解った。床に寝ていたからだ。ぼくはきょろきょろと周りを見渡して、発見したのである。
本来ぼくが寝ているはずのベッドで、モエが布団を蹴っ飛ばし、豪豪と鼾をかいて寝ているのを。
結構な美女のはずなのに、こんな鼾で寝ていたら、いろいろ台無しだなあ。
――て、そうじゃない。いったい全体、昨夜になにがあったんだろう?
覚えていない。
みんなで乾杯して、いつもの盛場で、美味しくもない蒸溜酒を、やたらと甘い肴で飲んでいたのは覚えている。ただ、その記憶は途中からなくなっていた。
これはあれか? 酔った勢いで。若気の至りで。というやつか? でもモエを見ると、服はきちんと着ている。全裸だったらフライング土下座ものだけれど。
ぼくは二日酔いに痛む頭を揺らしながら、そっとモエに布団をかけた。
時刻は――朝の7時のちょっと前。
面倒なことは後にしておこう。取り敢えずは、この二日酔いをなんとかしないとねえ。
ぼくは気だるい身体をなんとか起こし、風呂場へと向かった。
※
モエが起きてから話を聞いたけれども、なんてことはない。
酔い潰れたぼくを背負って宿に来て、ぼくを部屋に詰め込んだ。
ただ当然彼女も酔っぱらっていた。自分の宿に戻るのが億劫になり、ぼくを床に寝かせ直して、ベッドにダイヴしてしまったとのこと。
いやまあ、いいんだ。酔い潰れた人間を外なんかに放置していたら、衰弱死する可能性だってある。
宿まで連れてきてくれたことは、素直に礼を申し上げる。
でもさあ。一度ベッドに寝かせた酔っ払いを、床に寝かせ直すのもどうよ? で、自分はベッドで寝るとか。女子らしくないよね。
ぼくはお礼をしながらも、やや非難めいた言葉を吐く。すると返ってきたのは、
「うるさい。へたれ」
なんて罵倒だった。理不尽だよね、それ。昨夜の君になにがあったのか覚えていないけどさ。
まあ酔い潰れてしまったのだから、なにも文句は言えない。なんだかんだ、ありがとう、モエ。
朝食は摂らなかった。流石に二日酔いが辛すぎる。水だけで精一杯だ。
だから残った宿の朝食は、モエが美味しく頂いていた。アキもそうだけど、この世界の女子たちは、どういう舌と胃袋をしているのだろう?
「じゃあ、ぼくは村に帰るよ。次に会うのは2週間後かな?」
「――ええ。入学が待ち遠しいわ」
入学式は、今からちょうど2週間の後に、学園都市で行われる。
いまから新生活への期待と不安が膨らむところだ。
「クリウスは、いつ頃からあの家に住むの?」
宿の外。ぼくはマリンに乗って、モエとの暫しの別れの挨拶をする。アキの姿はない。
駆け出そうとするぼくの背中に、モエの質問があった。
あの家とはもちろん、学園都市内で契約した、当面のぼくの新居のことだろう。
あんまり考えていなかったなあ。
取り敢えずは村の実家でのんびりしたい、と思っていたからね。
家具付の部屋だったから、あまり多くの荷物を運び込むこともない。精々が着替えくらい?
なので、大してスケジュールを決めていなかった。
部屋自体の契約は済んでいるので、あとは鍵さえ受け取れば、いつから住んでも構わない。支払う賃料はおんなじだ。
「うーん――入学式の三日前くらいからかな? ぼくは荷物もそんなにないから、引っ越しは大変じゃないし。
モエの方が大変なんじゃない? これから帰るのに2日くらいかかるよね?」
「たぶんサハラザードまでは3日ね。来るときは兄の手配で真っ直ぐだったけど、帰りは乗合だから。
そこから荷物まとめて、準備して、屋敷を出て、また3日――ゆっくりはしていられないわ」
やっぱり家が遠いと大変だ。ぼくはマリンに乗れば半日で着いちゃうからね。
前世の大学でも、北海道とか沖縄から上京してきたやつがいたけど、それと似たようなものかな。それにしたって3日は掛からなかったけど。
「やっぱり大変だね。大丈夫?」
「――大丈夫じゃない、無理。て言っても、クリウスは助けられないでしょ?
大丈夫よ。元々そういう予定だったんだから。住む家が決まっている分、他の生徒よりは楽よ」
「それはそうか。じゃあ、またね、モエ。ご家族の方によろしく」
「ええ。またね、クリウス」
ぼくらは短い別れを告げて、それぞれの帰路に就いた。
次に会うときは互いに大学校生。そう思うと、楽しみだ。
後ろで段々と小さくなるモエの姿に手を振りながら、ぼくは大学校生活と、帰りを待つ両親の顔を想像し、知らず内に笑顔であった。
※
「お前は、クリウス=オルドカームだな?」
しかし残念、帰り道は順風満帆とはいかなかった。
王都を抜けて最初の難所である四の山。その頂上付近の開けた場所――ちょうどダウーさんとターヤさんを飛竜から助けた辺り――で、見るからに怪しい黒服の男に声を掛けられた。
全身黒尽くめで、腰に帯剣している。どう見ても旅行者や商人ではない。
しかも見えるところにはいないけど、仲間らしい気配があとふたつ。ぼくの後方の繁みと、頭上の大きな樹の上にある。
「そうですけど――なんの御用でしょうか」
ぼくはマリンを降り、周囲を警戒する。
こんな日の昼間から野盗の類いだろうか? 盗賊なんてのは滅多にいないと思っていたけれど。
「我が主がお前を呼んでいる。ご同行願おう」
「知らないひとについていってはいけないって、母から口酸っぱく言われているもので」
目の前の男は、冷たく無感情に言う。
ぼくはいつでも剣を抜けるよう、柄に手を添えながら返した。
途端に、後ろと上にある気配にも緊張が走った。
というか。このひとたち、待ち伏せしていたみたいだけど、気配の消し方がヘッタクソだ。
魔素の動きが駄々漏れなんだよね。これじゃあこの前に倒した飛竜の方が、まだ気配を感じ取れなかった。
まあ、こちとら小さい頃から野性動物に囲まれて生活してきたんだから、少しでも魔法が扱えるなら、この程度は寝ていたって気づくよ。
「知らぬはずはない。我が主はゴゥト=シメイヤ様だ」
「はいぃ?」
確かに知らない名前ではなかった。
あまり思い起こしたくないものではあったけど。
でも、ゴゥト様がなんの用事だろうか?
ぼく、特になにも悪いことはしていないと思うよ。
――あ。いや、ほんのね、少しだけど心当たりがあった。
彼は同性愛者で。ぼくったら、やや彼に気に入られた節があるんだよ。
まさか、とは思うけれど。
「なに、大人しく付いてくれば悪いようにはしない。我が主は寛大な方だ。特にお前のような少年にはな」
「――お断りすると、どうなりますか?」
ぼくは眼前の男の言葉に、精一杯の鋭い視線を返す。
右手は即座に剣を抜くべく、腰元にあった。
男の口ぶりだと命までは取られたりしないだろうが。
大人しく付いていったら、他の大切ななにかを失いそうだよねえ。
左手は、ほとんど無意識的に、お尻を押さえていた。
「少々手荒になるな――愚かな真似はしないことだ。この手の行いを生業とする私と、小学校を出たばかりのようなお前とでは、戦力に差がありすぎる」
「3対1で、寄ってかかって襲おうとしているのに?」
「なんだと」
ぼくの言葉に、男は眉尻を上げる。
それはこちらの分かりやすい挑発に苛立った風でもあるし、他にふたりが隠れている図星を指された風でもあった。
「――大人しくしていれば良いものを。後悔するぞ?」
「それはもしあなたたちに敗けたら、考えますよ」
「戯けが!」
男は剣を抜いた。
ぼくもそれに合わせ、柄を手に取る。
マリンはすぐに逃げ出そうとしない。彼女は賢いからね。
ここで逃げ出したら、即座に的になることくらいは理解している。彼らはぼくには手加減してくれるかもしれないが、阿はその限りでないだろう。
そして。彼女はきっと他にも理解していた。
この3人では、ぼくを倒せない、と。