いざ王都へ②
「マリン。この四の山が最後の難関だ。ここさえ越えれば、あとはずっと下り坂で、王都も目と鼻の先だ」
「キュウウ」
ぼくの言葉に、マリンは気合の入っていなさそうな声を挙げる。
この阿という生き物は、声色が高い。だからどんなに頑張っても、真面目な雰囲気は感じられなくて、どこかのほほんとしてしまいそうだ。
でも足取りがやや速く、力強くなったから、このときはマリンも本当に気合を入れてくれたのだろう。
最後の難関と言っても、大したものじゃない。
やや登り坂がきつい、大きな森の中にある山。それが四の山。
一週間ほどの王都での滞在予定で、そうたくさんの荷物は要らない。
だからマリンに負担も、そんなにはかけていないだろう。
実際にぼくが持つ鞄の中には、一週間分の着替えと、筆記用具。
わずかな携行食もあったけど、先ほどの休憩のときに食べてしまった。
一番重いのはたぶん、腰に提げた護身用の剣だ。
ぼくの体重と足しても、彼女の歩先に影響はない。
ただ、これをマリンなしで、徒歩で行くとなると話しは違っただろう。
父が気を利かせてくれて、本当にありがたい。
最初の、マリンなしの予定では、まだいまの半分も進んでいなかったよ。
時刻は、太陽の上り方から見て、昼を少し過ぎたところ。
いまは春だ。夏はとんでもなく暑くなるけれど、この時期のこの時間は涼しい。
森に入ると、やや肌寒さを感じるほどだ。
ちなみに、この山を越えるとさらに気温は下がる。
海が近くなって、ときによっては潮風が吹き始める。
山のてっぺんからは、晴れの日には、王都と学園都市と、港の姿が一望できるだろう。
「クルルルル――」
「どうしたの、マリン」
ぼくがひんやりとした森の空気を感じて考えごとをしていると、マリンが立ち止まった。
阿は警戒心が強い。
前世でもそうだったけど、草食動物の、しかも鳥という生物は、どんなに大きくなっても小心者が多いのだ。
人間では感じとることのできない気配を察して、警戒する。
加えてマリンは特に人見知りで頭が良いから、ぼくの気付かない変化や異変を感知するのに長けていた。
ただやっぱり声色が高いせいで、緊張感が湧き辛いよね。
いまの声にしたって、前世で例えるなら、ちょっと音量の大きい鳩の声なんだもの。
「――魔物?」
ぼくの声に返事はない。
この山の難関の要因のひとつとして、ときたま魔物が出る、というものがあった。
王都からわずか数陸里しか離れていない山に魔物が出る。
この国の管理体制を疑っちゃいますよね。
まあ文明のある国とはいえ、その権力の及ぶ範囲は狭い。
国土の大部分は未開拓地で、森か山か川だ。
人口約500万を有する世界最大の国家らしいけど、そこは仕方あるまい。
「この先かい?」
ぼくの問いに、やはり返事はなかった。
代わりにマリンは身を低くして震わせて、毛並みを逆立て、前方の道の奥を凝っと睨み付けている。
するとそのとき――
『キエエエエエエ!』
なんて大きな声が聞かれた。
阿の断末魔だ。
何度か実際に聞いたことはあるけれど、やっぱり慣れるものじゃない。
無理矢理に比喩するなら、あれだ。
ホラー映画とかドラマで、気の触れたお婆ちゃんが刃物を持って襲い掛かってくるシーン。あのときの声のイメージだ。
それを聞いたマリンは、発っとして身を上げた。
普通の阿なら、この声を聞いた瞬間に、お荷物であるぼくを振り落として、一目散に逃げているはず。
でもマリンは、身を強張らせるだけで、すぐに逃げようとはしない。
賢いやつだ。
いまは、逃げ惑うよりも、ぼくの傍についていた方が安全だと、知っているのだ。
「誰か魔物に襲われている?」
ぼくはマリンから降り、剣を抜いて身構えた。
剣とは言ってもそう大それたものじゃない。
あくまで護身用だし、屑鉄を叩いて延ばしてそれっぽくしただけのお手製。子どもでも片手で振り回せる程度のものだった。
マリンは下手に放すと余計に危ないから、その手綱はもう片方の手でしっかりと握っておく。
それから慎重に、ゆっくりと、悲鳴の聞かれた方に向かって進んでいく。
――これはまさか、運命の出会い?
ほら、よくあるじゃない、ファンタジーもので。
物語の序盤、なぜか襲われる人間たち。
そこに颯爽と現れ、助太刀する主人公。
あっという間に倒される魔物。
で、助けられるのは国の重要な王族だったり、ヒロイン候補の美女ないしは美少女だったりする。
そんなご都合主義な、でも分かりやすい運命の出会い。
少しばかり期待しながら、ぼくは歩を進める。
――結論としては、たぶん半分くらい、ぼくの推理は当たっていた。
主に『あっという間に倒される魔物』の部分。
それ以外は、たぶんハズレ。
だってさ、視線の先にまず見えたのは、むさ苦しそうな筋肉だるまのお兄さん二人だよ?
もしかしたら、万にひとつか億にひとつか、王族かもしれないけどさ。
美女との出会いは、お預けだった。
でも落胆している場合じゃない。
ぼくのいまの人生の望みは、『みんなの役に立ちたい』だ。
それがもし、目の前で人死なんて出たら?
ぼくの希望と決意は、嘘っぱちになってしまうのだ。
山の頂上付近の、やや開けた場所に、男二人がいた。
見たところ、ひとりは両手で剣を握り締めた剣師で。
もうひとりは、へっぴり腰になっているけれど、槍師だった。
あとは。可哀想に、先ほど悲鳴を上げた阿だろう、地面に横たわっている。
何故か、彼らの視線はどれも空を見上げていた。
ぼくが森の中から姿を見せると、剣師の方のお兄さんが真っ先にこちらに気付いて叫んだ。
「逃げろ! 飛竜だ!」
言われてぼくは空を見上げる。
すると、とんでもない速さで、視線を横切る姿があった。
凄く巨大な、鳥だった。