合格発表②
「おはよう。モエ、クリウス。意外に遅かったな」
ぼくとモエ。
お互いに緊張をなんとか解しつつ校門をくぐると。
腕組みして仁王立ちしたアキの出迎えがあった。彼女の後ろには、当然の如く黒服護衛三姉妹の姿も見られる。
今朝は姿を見ないと思ったら、もう大学校に来ていたようだ。
まあ、皆で集合して行く、なんて話はしていなかったから当たり前か。
ぼくが合格発表に乗り気でなかったからね。いや、勿論午前中には行くつもりだったけど。
アキとモエにしてみれば、ぼくが何時に見に行くのか分からなかったはず。
だからアキは先回りをして待っていて。モエは宿まで来ていたわけか。
――まあ、モエはマリンに乗って大学に来たかっただけかもしれない。
「おはようアキ。随分早いんだね」
「当然だろう。自信こそあれ、やはり心配なものは心配だ。君たちこそ、もっと早く来るものだと思っていたが」
別にぼくらが何時に結果を見に行こうが不思議ではない。
今日は一日中結果発表は掲示されているはずだし、手続きもやっているはずだ。
合格しているだろうモエならばともかく、ぼくには手続きなんてたぶんないしね。お気楽なものだよ。
「いろいろ考え事していたら寝付けなくてさ――すっかり寝坊しちゃったよ」
早く見に来る気なんてなかったけれど、ぼくはそう答えた。
「そうか。モエもか?」
「あたしは寝坊助クリウスを待っていたから遅れたの。全く、あと少し遅かったら、部屋まで押し掛けるところだったわ」
やや呆れたような視線が、ぼくとモエに注がれる。
それに言い訳がましく答えるぼくと、冗談を返すモエ。
そんなモエの顔は真剣だけど。冗談、だよね?
「まあいい。予想よりも遅かったものだから、私はもう待ちきれずに結果を見てしまった。ふたりも早く見てきてくれ。この話題を共有できる友人がいないと、その、困る」
アキは自分で友人と言っておきながら、なぜか照れたように頬を掻く。
視線はどこか向こうの方に跳んでいた。
もしかしてアキは、前世で言うところのクーデレかな?
だとしたら初めてお目見えしましたよ。
というか、話題を共有って――
「もう結果を見てきたの?」
「無論だ。貼り出されたのは今から30分くらい前だったからな。流石に二人が来るまで我慢できるほど、私はできた人間でない」
いやいや。彼女の場合、早く結果を知りたくなるのは自信の現れだ。試験に手応えがないと、ぼくみたいに見ずに帰ろうか、なんて思っちゃうよ。
でも。ということは、ぼくらの結果も知ってるのかな?
「ぼくらの結果も見たの?」
「――ああ。駄目だったか?」
「駄目じゃないよ、勿論。友だちの結果を知りたくなるのは当たり前だと思う――で、どうだったの?」
ぼくは思わず訊いた。気になるからね。
まあ、結果発表の場所はすぐそこなんだから、さっさと行って見てこい。なんて言われたらそれまでなんだけれど。
するとアキは、また呆れ顔をして言う。
「自分の目で見てこい。君は、私なんかに告知されて嬉しいのか? 大事なことは、自分で確りと認めるべきだ」
――うん。思った通りのことを言われちゃったよ。しかも少しばかり説教臭い。
ただ、彼女の表情は、少しばかり上気している。ように見えた。
もしかしたら。本当にもしかしたらだけど。悪い結果ではないのかもしれない。
「分かったよ。さあ、行こうモエ」
「――ええ。ああ――緊張するわね」
少しは解れた緊張も、また少しばかり去来する。
でも、そんな人生の大勝負、滅多にあることではない。
もうすぐに終わるのだ。
次はどんな局面で、ぼくは選択を迫られるのだろう?
そんなことを考えながら。
不安が2割、期待が1割、あとは全部が諦念の心持ち。
ぼくはモエと並んで、合格発表の掲示板と相対した。
【以下の者を特待生とする。
該当者は受験票を持参の上、速やかに事務にて手続きを行うこと。
128番 アキ=ベースライン
以上】
まず目に入ったのは、大大と掲示されている割りに、内容が少ない掲示板だった。
でも、薄っぺらい内容ではない。
やっぱり、アキは凄い! たったひとりの特待生だ。
武術試験は実際に剣を合わせたし、魔術試験は見ていたけれど、やっぱり学力試験も良かったのだろう。そうでないと、特待生になんて選ばれるはずがない。
良かった。まずはひとつ目の良い報せだ。
あとはモエの結果かな?
次いで視線を送るは、すぐ後ろにある掲示板。
特待生のそれとほとんど同じ大きさだ。
その周囲には、100を優に越える受験生の姿がある。
――ほとんどの者が、落胆の声をあげていた。
中には泣き叫ぶものもある。この試験は公正でない! とか喚くひともある。
その場は阿鼻叫喚の雰囲気に包まれていた。
ぼくは平均よりもずっと身長が低いから、ここからではよく掲示板が見られない。
人垣の合間から、ときどき僅かに、その姿が見られるくらい。
「モエ、見える?」
だからぼくは、やや身長の高いモエに訊いてみる。
すると彼女は、うーんと唸って、目を細めながらに言う。
「番号まではちょっと見えないけど――合格者の数が少ないのは判るわね」
強張った声が聞かれた。
ぱっと見るに、そこに掲示されている合格者の数は48。たった48とのこと。
えー? 受験生全員の数は判らないけれど、千は下らないはず。それで合格者が48人て、狭き門過ぎない?
そんな中に、ぼくの名前があるはずもないじゃないか!
「もうちょっとで見えそうなんだけど――ああもう! 邪魔ね! 駄目だったなら、さっさと家に帰りなさいよ!」
ぼくが人波の間から掲示板を覗きこもうとしていると。
苛々したのか、モエはそんな暴言を吐いた。それから人混みを掻き分けて前に、強引に進んでいく。
流石はモエ。小柄なぼくではできないことだ。でもまあ、モエもそんなに大柄というわけではないんだけどね。あれはもう、力任せなのかな。
ぼくはモエの後に続いて前進する。その姿は情けないたらありはしない。
でも。お陰で、掲示板のすぐ前まで進むことができた。
これで、どんな結果であれ見逃すことはない。
【以下の者を一般合格者とする。
該当者は受験票を持参の上、速やかに事務にて手続きを行うこと。
8番
41番
96番
|
・
| 】
特待生と違い、名前の記載はない。探すのが億劫だ。見間違えて空喜び、なんてのは御免被るところだよ。
ただ。ぼくの番号はないだろう。望みがないことは解っている。
それでもなお、ぼくはなにものかにすがる気持ちで、掲示板の番号を、見間違えや見落としがないように、凝っと見ていた。
そこで見つけた番号は――
【127番】だった。
それはモエの受験番号だ。何度見ても、目を擦っても、掲示板には【127番】の表記がある。
やった良かった! モエ、君は受かったんだ。
――その番号が判ったということは。うん。もちろん、ぼくの番号の【129番】がないことくらいは、すぐに見て取れたよ。
「やった! あったじゃないの、モエ! 合格だよ!
自分の番号がないなんてことは理解していた。
――まあ理解はしていても、今日の夜はきっと、悔し涙で枕を濡らすんだろうけれど。
ただいまは、そんなことよりモエの合格を喜ばなければなるまい。
前世の後悔の多い人生では知らなかったんだ。大切な友人の喜ばしい出来事が、こんなに嬉しいことだったなんて。
「――――ないじゃない」
だっていうのに。
モエにとっては大変な吉報が目の前にあるのに。
彼女は目の色を失くして、ぼそりと、呟いた。
「なに言ってんのさ、モエ。あるじゃない、モエの番号! ああ良かった。たぶんモエにとっては当然の結果なんだろうけど、ぼくは一安心だよ」
「――違う――違うわよ! ないじゃないの【129番】! あんたの番号が!」
それまでぼくと同じく掲示板に注がれていた視線が、急にぐるりとこちらに向かう。
そして白い手が、頑りとぼくの肩を掴んだ。
すぐ近くにあるモエの瞳は、なぜだか潤んでいた。
「なんでよ、なんでないのよ!?」
「そりゃあ、ぼくが不合格だからじゃないのかな」
「なんでよ、なんで! 不合格なのよ!」
すぐにその瞳からは、大粒の涙が流れ始めた。
モエの問いの、なんで、はぼくに向けられたものではないだろう。
そんなことをぼくに訊いたって仕方ないからね。
でも本来問い質したい、大学校の人間がここにはいない。
いたところで、採点内容は非公表なんだから、答えられるはずがない。
「あたしたち、ずっと友だちだって言っていたじゃない!」
まるで幼子の駄々だ。そんな論拠はなんの当てにもならない。友だちだからって合格にしていたら、全員が満点の合格になっちゃうよ?
モエは泣いて喚くけれど、思いのほか、ぼくは冷静でいられた。
この結果である、と充分に覚悟ができていたらしい。
「勿論だよ、モエ。まあ、同じ大学生同士ではないから、なかなか会えないかもしれないけど。ぼくらは友だちさ」
「――クリウス!」
遂に感極まったか。モエは泣きながらぼくに抱きついてくる。
もうそりゃ、力一杯。
折れる折れる、折れちゃうよ? ぼくだって力の能力は高いはずだけど、モエには敵わないんだから。
「――と、とりあえずさ。モエ。ここは一旦離れて、ひとの少ないところで、落ち着こう? 痛で!
きみはこれから手続きもしなきゃいけないんだから――ぐえっ」
話し掛けても力の弱まることはない。むしろ強くなっていった。
骨骨と、身体から軋む音が聞かれる。
ねえ、モエ? このままぼくを絞め殺すわけじゃないよね?
「――なにをやってるんだ、ふたりとも?」
少しの間ぼくらが抱き合っていると。
後ろから呆れた声が聞こえてきた。アキのものであるようだ。
モエは慌ててぼくから離れる。いやもう、遅いよ?
世が世なら、殺人未遂の現行犯で逮捕されてるからね、きみは。
モエはアキの姿を確認するなり、ごしごしと涙を拭く。でも相変わらず瞳は真っ赤に充血していた。
「だって――クリウスが――クリウスは、落ちちゃって――!」
しかしながら、言いながらもすぐにまた、目に涙を溜めていく。
普通ぼくと逆じゃないかな?
あと、アキの合格を喜ぶ声をあげても良いと思うんだ。
まあ、ハナから諦めていたぼくと、ずっと受かると信じてくれていたらしいモエ。その差なのだろう。
ただ。モエは些か感情の起伏が激しすぎる気がする。
彼女の将来が少し心配なのは、たぶんぼくだけでないはずだ。
と。
ぼくがモエを宥めているとき。
アキは大袈裟に溜め息を吐いてから、言うのである。
「見たのは一般合格者だけか?」
「え?」
「奨学生の発表は見たのか、と訊いている」
確かにぼくは、奨学金を希望していた。
一般と比べてほんの少しだけ受験料が高くなるけれど、大した額ではない。
ならば、特別に裕福でない家のぼくが、希望しないわけはない。
でも、ねえ? 一般ですら受かるはずがないと信じて疑わなかったのに、よりハードルの高い奨学生に受かっているはずないでしょ?
ぼくは無意識に震える声を抑えながら、アキに言った。
すると赤い髪の少女は、呆れを通り越した、怒りに似たような形相で――
「戯けたことを言っていないで、さっさと見に行け。一秒でも早くだ。言ったじゃないか、私はもう、君らの結果を見てしまったんだ。
――これ以上を言っても察しないのなら、私だって怒るからな?」
いや、もう十分怒ってますよね?
ぼくはモエを宥めるのを一時中断。
はいぃっ! なんて返事をして、走り出した。
人波を掻き分け掻き分け。どこに奨学生の掲示があるかも訊かずに。
まあ、すぐに見つかったよ。それなりに目立つ大きさはしているからね。
たた、特待生と一般合格より少し離れた場所に設置してあるのは、何者かの悪意を感じるなあ。
「待って――待ってよ、クリウス! あたしも見る!」
すぐにモエが追い付いてきた。
なかなか人混みを抜けられていなかったから、追い付くのは簡単だった。
ぼくらはまた、ふたり並んで件の掲示板を凝視する。
先ほどよりもひとの数は少ない。
すぐに、内容が見て取れた。
【以下の者を奨学生とする。
該当者は受験票を持参の上、速やかに事務にて手続きを行うこと。
3番
129番
324番
|
・
| 】
――あった。あるじゃないか。
これは夢かなにかでなかろうか?
信じられない。信じられないけれど、何度見たって、そこにはぼくの番号が書いてあった。
こういうときは頬っぺたをつねるんだっけ? 夢じゃないのかな――
「――て、痛い、痛いよモエ! あだだだだだ!」
隣にいたモエは、ぼくの脇腹を思いきり捻りあげていた。
いや、思いきりではないかもしれない。本気だったら、とっくにぼくのバラ肉は、骨から引き剥がされてるよね。
「痛い? 痛いの、クリウス?」
「痛いに決まってるじゃないの! どうしたの急に!?」
ぼくが非難の声をあげ、モエの顔を見ると――
彼女はまたしても、綺麗な顔をぐしゃぐしゃにしていた。
涙やら鼻水やら出ている。折角の美人が台無しだよ、モエ?
「よかっだ! よがっだー!」
泣きながらなので、変な言葉になっている。
やれやれ、また宥めなきゃいけないのかな。
「――もう、ぞんなに泣がないでよ、モエ」
ありゃ、おかしいな? ぼくの声も、なんだか濁って出てくる。
――当然か。ぼくだって、嬉くって、涙が止まらないんだもの――!
それからぼくとモエは、また抱き合って、おいおいと泣きながら、互いの合格を喜びあった。
アキと三姉妹が来ても、しばらくは止めることが出来なかった。
これはたぶん、将来は黒歴史になるなあ。
大学校の合格の時に、大の大人が抱き合って泣いてたなんてさ。
後から考えれば、恥ずかしいことこの上ないよ。
だけど。いまだけは許されるはず。
前世でも色々あって、涙したけど。
嬉くって泣くのは、ずっと気持ちの良いものなんだ。
ぼくはそんなことを、どこか頭の隅でぼんやりと考えながら。
ようやく冷えてきた頭で、次の言葉を捻り出した。
「――また、あの宿の予約をしなくちゃ」