合格発表①
大学校に合格する要素がない。
落ちる気は満々。むしろ受かる方がどうにかしている。
――そんな心積もりではあったのだけれども。
なんだかんだで、人間緊張はするものだ。
胃が切切と痛む。
もう希望は絶無なのに、こうしてストレスを感じるのは、たぶん心の奥底では、もしかしたら、なんて思いがあるからだ。
そんなのはない。解っている。
前世でクスリをやって逮捕され、裁判を受けたときと同じだ。
もしかしたら、なんてのは存在しない。
裁判にしても大学にしても同じ。悪か善かの違いしかない。己の犯した罪を、もしくは努力を、第三者が吟味して、結果を言い渡す。
どちらにしても、今後の数年か、数十年か、あるいは死ぬまでか。将来を決める重大な判定が、無慈悲に下される。いくら泣き喚こうが、目や耳を塞ごうが、結果は同じ。そんな意味では、ぼくにとって変わるものではなかった。
僅かながらお世話になった宿を出る。
広さおよそ8畳。風呂トイレ共用。朝食付。阿のお世話付。5泊6日。
代金は1万5千統一貨幣也。
決して上等な宿ではなかったけれど、お値段は破格だ。マリンを預けておけるのも良い。
仕事かなんかで来ることがあったら、またここにお世話になろう。
「おはよう、クリウス」
ぼくが女将さんに挨拶をして、会計を済ませて宿を出たところで。そんな声が聞かれた。
声の主はモエだ。
「おはようモエ――と、マリン?」
彼女はいつから待っていたのか。いや、それよりもどうして宿の前で待っていたのか。あと、なぜマリンの手綱を既に引いているのか。
突っ込みどころ満載な状態でモエは現れた。
えっと――もしかして、マリンに二人乗りで大学校まで行こうって言うの?
「昨日の夜にね。寝られないから盛場行ってたら、相席のひとから聞いたのよ。大学校にも阿を預けられるところがあるんだって。これで歩いて行かなくても良いでしょう?」
ありゃ。てっきり受験生は阿で行けないものかと思っていたら。そんなことはなかったらしい。
でもさモエ。その情報はありがたいけれど、独り盛場で相席なんてよくできるね。またナンパ男にちょっかい出されちゃわない?
「そうだったんだ――て、モエ。どうしてぼくの宿に来たの? 別に皆で合格発表を見に行こう、なんて話はしてなかったよね?」
「あんたが逃げ出すかもしれないと思ったからよ」
逃げ出す、なんてないですよ? 本当だよ? 胃は痛むけど。
この試験の結果からは逃げない、て決めたんだから、逃げ出すはずないじゃないか。
まあ、そんなことモエが知るよしもない。散々結果を見る前に、家に帰ろうとしていたぼくの姿を見ていれば、当然かもしれなかった。
「――あたしだって、これでも緊張してるのよ? 自信はあるけど、もし不合格だったら、なんて考えたらキリがないわ。
だから、あたしよりも自信のなさそうなクリウスの顔を見たら、安心するかな、と思ってね?」
ぼくの顔を見たモエは、続けてそんなことを言った。
照れ隠しなんだろうか? 不安のためだろうか? 彼女はやや視線を下げて、頬を赤らめていた。
どっちでもいいけど、手綱に力入れ過ぎてない? マリンが嫌がってる。
「こんな顔で良いなら、好きなだけ見てよ」
ぼくはモエの顔に、自分の顔を近付けた。
――近付けた。なんて言っても、彼女はぼくより背が高いから、あんまり様にならないけどね。
自信なさげなぼくの顔くらいでモエ=クルガンの心の平穏が得られるならば、この宿の代金よりもお安い御用だ。
て思っていたんだけど。
「ちょっ!」
何かを慌てたモエは、思いきりぼくの顔を平手打ちした。
――いや。思いきり、ではないだろう。今までの彼女の力強さを鑑みるに、本気でやられたら首飛んじゃいそうだもの。
ただ、なんでビンタされたのかは解らなかった。
二人でマリンに乗って(やはりモエが手綱を持って)、大学校に向かう道中でも、その解答は得られなかった。
『男子が不用意に、女子の顔に近付くものではない』
なんて答えがあるだけ。
この世界でもやっぱり、前世と同じく、男女の間では価値観の違いがあるらしい。
ぼくは痛む頬を擦りながら、また今日も情けなく、モエの後ろに跨がっている。
「もう発表の時間ね」
幾分か機嫌を戻したと思われるモエは呟いた。
聴くと、すぐ近くまで迫った学園都市ウィズダムから、時報の鐘の音が響いている。
もう間もなく大学校に到着する。
合格発表は9時から。今の時報は、9時を示すものだ。
着く頃には、もう結果が掲示されているだろう。
「ねえ、クリウス」
「なに、モエ」
「クリウスはやっぱり、大学がだめだったら農家を継ぐの?」
前に跨がるモエが、こちらを振り向くこともしないで訊いてきた。
結果を見る前から、ぼくは落ちる前提なの?
――いや、間違ってない。実際に落ちる前提で、ぼくはこれから結果を見に行くのだ。
モエの言葉になんら間違いはなかった。でも、少しは気を遣ってくれても良くないかな?
「うん。ぼくにはそれくらいしかやれることがないからね。お医者様になるのは――また次の機会を考えるよ」
次の機会。なんてものが多分訪れないのは、解っている。
この世界でもお医者様になるには、結構な高いハードルを越えていかなければならない。無免許の藪医者ならともかく。
ひとの命を預かる仕事だ。大学校で正規の教育を受け、数年にわたる実地研修の末に、医師の免許を頂ける。それは前世と大差ないのだろう。
免許を得るための前提条件は、正規の教育が受けられる大学校に入ることだ。
そのお金がない我がオルドカーム家では、王立大学校に入るより他に、選択肢がなかった。
だから、これでだめなら。父との最初の公約通り、農家を継ぐ他はないのである。
「じゃあ、もう王都には来ないの?」
「そんなことはないかな。うちの村からここまで、阿だったら1日で着いちゃうしね。そりゃ頻繁には来れないけど。
取引先も王都にいくらかあることだし、年に数回は来ることになると思うよ」
「そう」
じゃあモエは駄目だったら? なんて問はしない。公然と落第の申告をしているぼくと違い、モエは受かると信じている。少なくともぼくは、彼女は受かると思っている。
そんなひとを前に、もし駄目だったらなんて質問は、無粋にも程があろう。
それから。
大学校に着くまで、お互いに無言だった。
ただゆっくりと、マリンに揺られていた。
相変わらずぼくの胃は痛む。変な緊張感だ。
ぼくらはお互いに話をしないまま、堅牢な学園都市ウィズダムに入り。
おそらくはモエが昨日訊いたのであろう、阿を預けられる厩舎に向かう。
そこでマリンを預けて、歩いて5分。
大学校に到着だ。
「――なんか、出てくるひとたちのほとんどが暗い顔してるね」
「そうね」
合格発表が掲示されているのは、校門をくぐってすぐの正門であるらしい。
だから目の前のこの門に入れば、すぐさま結果が顕になる。
けれどそこから出てくる受験生のほとんど全部が、この世の終わりを想起させる表情をしていた。
何百人とすれ違うけど、浮いた顔をしたひとはいない。
「あ、そうか。合格したらそのまま入学の手続きになるんだっけ。そりゃあ、合格して笑顔のひとなんてここから出て来ないよね」
「そうね」
――なんだか、モエの様子がおかしい。
こちらの言葉に上の空だ。なにを言っても生返事。少し前から、そうね、としか喋らなくなってしまった。
もしや。モエ、緊張してるの? 普段の勝ち気な彼女からは、とてもじゃないけど想像できない。
ちらり、と横顔を伺うと――ありゃりゃ。完全に、硬硬に緊張している様子だ。
目付きは普段よりさらに鋭く一点を見詰め。頬は奥歯を噛み締めているように強張っている。
「さあ、行こうモエ。ぼくは覚悟ができている。モエはきっと大丈夫。そんなに緊張しないでよ」
「そうね」
まるで『そうね』しか言えなくなった器械人形のようだ。
なんとかして緊張を解してあげたいなあ?
まあ、結果さえ見れば良いんだろうけどさ。
「モエ。もし万が一、ぼくが受かっていたら。おっぱい触らせてくれる?」
「そうね――なんて言うと思ったの!?」
はい。思ってました。
殴られましたよ、拳で。
酷いなあ。ぼくは君の緊張を和らげてあげようと思っていただけなんだから。
決して下心があったわけじゃないよ?
え。下心がなかったらそんな変態的なことは言わない? ごもっともです。
「ほら、さっさと行くわよ」
「――――はい」
すっかりと調子を取り戻した風なモエの後に。
殴られた頭頂部を擦りながら続くぼく。
熟々思うけれど、彼女と並んでいると、絵にならないなあ。




