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アキの婚約者①


 この世界には、テン・ユィという魔物(モンスター)が存在する。

 テンとは貪る、欲深いなんて意味の形容詞であり。

 ユィは、油を意味する。しかもその油には程度があって、オーリルが一番搾りでまだ使われていない上等なもの、ガスリルが二番搾り以降の油。ユィは使い古して棄てるしかないような、汚れた油を指す。

 その魔物は、貪欲な汚い油、なんて不名誉な名前を持つ生き物だった。

 ぼくは実際に見たことがないけれど、姿見によると、顔はまんま豚。

 でも身体は二足歩行する太ったゴリラみたいな感じだ。

 考えるだけで、ゾッとするねえ。


 彼らはとにかく食欲旺盛であり、なんでも食べる。魔物なんだから人肉はもちろん食べるし、家畜も、農作物も食べる。

 食料がなくなって飢えてくると、そこらの石や樹木など、口に入るものならなんでも食べてしまう。

 さらには食欲に加え性欲も旺盛だった。

 飢えたテン・ユィが近くの村を襲い、女子どもが拐われる事件が、数年に一度くらい起きるらしいけど。

 誘拐された人間は、総じて凄惨な最期を遂げる。

 何をされるかなんて、ぼくの口からは論じることができない。

 つまりは、そういうこと(・・・・・・)らしいのだ。

 ただ、大災害(ブラツクエンド)の後に現れ、この国の至るところで出没した彼らは、当然に害獣であり、討伐され、いまでは南の一部地域にしか生息していない。

 それでも大人たちが語る昔話には度々現れて、悪い子どもはテン・ユィに拐われてしまうぞ、ていう脅し文句を付けられる。

 そんな魔物が、この世界には存在するのだ。



 ――なんでそんなことを思い起こしているのか?

 ぼくらの目の前にいる人間が、そんなイメージにぴたりと合致してしまったからだ。


「紹介しよう。これ(・・)が私の婚約者だ」




  ※



 ぼくはまたしても二日酔いの頭を振りながら、7の日の観光に出掛けた。

 ぼくが乗るのはマリン。今日もやっぱり、モエとの二人(こいびと)乗りだ。そしてもちろん、手綱を握るのはモエである。

 昨日の今日で、なんでまたそんなことをするのか? 散々振り落とされそうになっていたのに。

 モエ曰く、乗り心地が良いから、とのこと。

 まあ、マリンは頭も良いし、体躯も良い。ぼくが愛情いっぱいで育てたのだから、間違いはあるまい。

 たださ。やっぱりモエが手綱を握っていると、格好がつかないんだよなあ。


「ここからが大学校街だ」


 集合した中央広場から、()に乗って30分ほど。

 小さい川の橋を二つばかり越えたところで、アキが言った。

 それまでは閑静な、高級そうな住宅地だったのに、川の向こうからは、いやに大きい建物がいくつも建ち並んでいる。

 アキは『街』なんて表現したけれど、そんな感じはしない。

 休日だからだろう、道行くひとがひとりもいなかった。

 どこかから鳥の鳴き声や、武術の訓練でもしているのか、男性の奇声みたいなのは聴かれる。

 でも、それ以外は大変に静かだった。


「――随分静かなのね」


 周囲の空気に釣られてか、モエもどこか小声で言う。

 それを聞いてアキは、ああ、と短く頷いた。


「休日だからな。この日にこの辺りを彷徨(うろつ)くのは、余程の暇人か物好きか、私たちのような見学あるいは訪問者と、向上心溢れる学生に、仕事の終わらない教職員くらいだ」


 うーん。

 アキの言葉通りならば、もっとひとが多くいて然るべしだと思うけど。

 見た限り、暇人も見学者も学生も教職員もいない。お散歩している貴婦人なんかも見当たらない。

 不思議な雰囲気の街だ。

 まあ、ぼくも前世で大学生の頃なんて、学校に近寄らなかった。

 なにが悲しくて、良い歳した健康な男子が、授業のない学校に行かねばならんのか、と思っていたものだ。

 ――普段でも、そんなに真面目には通っていなかったけどさ。


「国営じゃない大学校て、勝手に入っても大丈夫なものなの?」


 ぼくは自分のかつての姿を頭から振り払い、訊く。


「きちんと受付さえして、通行証を携帯しておけばなんら文句は出ない。授業を受けるとなると有料になる場合がほとんどだが、休日だからな。関係ないだろう」


 アキは平然と、いつもの顔色をして答えてくれた。

 そういえば、アキは婚約者を会わせてくれるというのに、なんら普段と変わった様子はない。

 こういうときは、もうちょっとそわそわ(・・・・)するものではなかろうか。

 少なくとも前世のイケ(・・)てたときのぼくは、彼女をみんなに紹介して、どんな反応があるのか気になったものだ。

 

「婚約者樣って、どんなひとなの?」


 おっと。

 モエもぼくと同じく、アキの彼氏がどんな男性か、気にしているらしい。

 ぼくも訊いてみたかったんだけれど、なんか、アキがいつもの態度過ぎてできなかった。

 なぜか? いや、理由はない。ただなんとなく、訊き辛かったのだ。


「――モエは、可学(カガク)の創始者を知っているか?」


 アキは前を向いたまま、振り返りもせずに、モエの質問に対して質問を返した。

 そのときの彼女の背中は、なんとなく、悲しそうだった。これまた本当に、なんとなくそう思えた。


「それって、6歳の小学生でも知っていること? 可学の創始者はリン=シメイヤ。若くして亡くなったから、志を受け継いだ息子のコーキ=シメイヤが、可学を世に広めた。

 この当たり前のことが、なにか関係あるの?」

「これから会いに行く私の婚約者の名は、ゴゥト=シメイヤ(・・・・)。可学の創始者の家系を名乗る者のひとりだ」


 この世界は、一介の農民であるぼくにはほとんど関係ないけれど、上流階級は家系というものを気にする傾向が強い。

 かつてのご先祖樣が偉くて凄いのであって、当のご本人は凄くないのにね。

 そんなこと、ベースライン家当主と、クルガン家令嬢の前では、口が裂けても言えないけどさ。

 まあ本人たちも自覚はあるようなニュアンスのことを言っていたから、自分自身が偉くないのは解っているだろう。

 

 え? どうしてそんなに家系を重視するのか?

 明確な答はたぶんない。けれど、ぼくの憶測で良いのならば――この世界が戦争をしているからだ。加えて、魔物なんて化物が現れるようなところだからだ。

 いつ大きな戦闘が起こって。はたまた強い魔物が現れて。

 いつ人死にが出たっておかしくない世界。少しでも、優れた子孫を残そうと思うのは当然だよね?

 だから――たぶんだけれども、より優秀な子どもが生まれる可能性の高いひとや家系を重んじるのは、ある程度は当然なのだと思う。

 けれど。問題は、結婚するもの同士が、それを納得しているのか、という点に行き着くんじゃないかな。


「名誉ある家柄に、本人も高い魔力を有している。加えて大変に勤勉な性質だ。将来は国営の大学校にも招かれることだろう」


 アキが言うのは、ともすれば身内の自慢話だ。

『うちの父ちゃんすげーんだぜ!』なんて子どもがするものと変わりはない。

 でも。腹立たしさとか、羨望とか、そんな気持ちはひとつも湧いてこなかった。

 どうしてか?

 ――簡単だ。アキの背中が、あんまりに悲しそうだったから。


「素敵な、男性(ひと)なのね?」

「ああ。祖母が選んだのだ。間違いはない」


 それは本当に間違いがないのだろうか。

 ぼくは二人の問答に、幾ばくかの不安を抱えながら、マリンに跨がっていた。



  ※



 向かった目的の大学校は、周囲よりも一際大きかった。

 敷地面積は他と比べて倍以上ある。縦にも高さがあり、青一色で塗られた清潔感のある壁面は、窓の数から見て5階建てだ。

 その大学校の名は、ブレイトン=ウッヅ記念学校。かつて存在した、いまの文明の発明王の名を冠しているという。


 ぼくらはすんなりと、入ることができた。

 それは当然。過去にも未来にも(やま)しいことなんてないのだ。

 アキの言葉の通りに、受付で手続きをし、通行証を首に掲げていれば、なんの咎めもない様子。

 一応は警備員らしき、剣をはいたり、槍を抱えたりする筋骨逞しい姿があった。けれど彼らは、ちらりとこちらの通行証を一瞥するだけで、特にはなにも言ってこなかった。


(あれ)は、三の棟の一階の、自分の研究所にいるはずだ」

「いるはずって――ぼくらが会うことは知らないの?」

「知っている必要はあるまい」


 そんなことはない、はず。

 少なくともぼくなら、休日出勤をしているなら、早く家に帰って休みたいと思う。

 アポイントメントなしに訪問したのでは、仕事の邪魔ではなかろうか?


「――ひとつ、付け加えておく」

「なにかしら?」

「ゴゥトはやや(・・)気難しい性格だ。あまり万人受けはするまい。だから、多少の苦言は、多目に見てやってくれ」


 アキはそう忠告をして、三の棟とやらに入っていく。

 ちなみに、ぼくらの乗ってきた阿は、校内を連れて回れないとのことで、入口近くで待機している。

 ぼくとモエは、一瞬だけ、目を合わせた。

 そしてどちらからともなく頷いて、アキの後に続く。

 ぼくの嫌な予感は消えていない。どころか、一歩ごとに強まっている。


「ここだ」


 棟内に入り、最初の三叉路を右に折れて、あとは真っ直ぐ。突き当たりにその部屋はあった。


『――だっ! そん――は、あり――ない! ――謀に決ま――る!』


 ふと、扉の前に着いたとき。部屋の中から怒号のような声が聞かれる。

 何を言っているのかは判然としないけれど、とにかく部屋の中の誰かは、大変に不機嫌そうだった。

 ぼくとモエが訝しんで今一度顔を向き合わせていると、


「ゴゥト。私だ、アキ=ベースラインだ。入るぞ」


 なんて言って、アキは返事がある前に扉を開けてしまう。

 待ってよ、まだ心の準備が!

 ぼくは慌てて、一応には衣服を整え、背筋を(しやん)と伸ばした。

 どんな男性なのか。うーん、緊張するなあ。




 ――ここで話は冒頭に戻る。

 案内された部屋の真ん中で、(でつぷ)りと椅子に腰掛ける人間のその樣は。

 話にだけ聞く、テン・ユィの姿が重なって見えるほどであった。

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