王都観光④
仕事が忙しく(言い訳)、更進遅れました。
「酷いじゃない、二人とも。一体どうしたの?」
怪力のモエに引き摺られること数分。
ぼくらは図書館を出て、次なる観光の地に向かうところ。
アキとモエの、ぼくにはよく解らない怒りに似た感情が、やや静まったのを見て、そう切り出した。
保健医のルーさんは、そりゃあ君たちなら大学校にも受かるだろうから、今後に会う機会もあるだろう。
でもぼくにとっては、たぶんない。
農家を継いだら、あんな美女とお話をすることなんて滅多になくなるんだ。
「――クリウス。君はあのときに伸びていたから知らないだろうが。武術試験のあと、気を失った君が医務室に運び込まれたとき。私たちはルーという保健医に、名乗りをあげたことはない」
「え?」
「なあんか、怪しいのよね、あのひと。当代ベースラインのアキを知っているならともかく、あたしの名前も知っていた。親が将軍とはいえ、四女で末子のあたしのことを見てすぐに判断できるなんて、有り得ないわ」
それが不思議なことなのかな?
ぼくの名前は、まあ当然。医務室とやらに行ったからには、名前とか素性は調べるだろう。
一緒についていった受験生も、気になれば調べられるんじゃない?
ぼくがそのことを伝えると、アキは難しそうな顔をして言う。
「では何故、ミモザやシェーラ、パティエラのことは知らなかったんだ?」
「えーと――気にならなかったのかな?」
「こんななりでか? 彼女らも医務室にはいた。言っては悪いが、第三者から客観的に見て、目立つのはモエよりも彼女らだ。
モエのことを調べたのなら、当然この三人のことも調べるだろう?」
そうなのかな。いや、言われてみれば確かにその通りなんだけど。
いかんせん、情けなくもそのときに気を失っていたぼくには、当時の状況を把握する術はないのだ。
だから、彼女らがそう言うのであれば、それを信じるしかない。
けれど。
「結局、二人はなにが言いたいの?」
問題はそれだ。確かにルーさんは、最後の意味深な言葉もあって不思議な雰囲気であった。
「あの女は変よ。近寄らない方が良い」
「ああ。どう変なのかはさておき。尋常ならざるは事実だな。解ったか、クリウス?」
うーん。そう言われてもねえ。
こちらとしては、ルーさんはミステリアスで、アキやモエと違う大人の色香を持つ女性としか認識していないのだ。
ぼくが両手を組んで、唸と頭を傾げていると、
「――ねえ、アキ。クリウスたら、納得してないようだけど――締めちゃっていいかしら?」
「許可する」
そんな物騒な言葉が聞かれた。
締める、て。ぼくは鶏かなにか? 怪力持ちのモエが言うと、冗談に聞こえないのですが。
ああ、冗談ではない?
「とはいえここも天下の往来だ。クリウスを糾弾するならば、夕餉のときにしておこう」
天下の往来であってもなくても、朝食だろうが夕食だろうが、無実の罪を糾されるのはごめんだよ。
ていうか、またみんなで飲み食いするの?
そろそろいいんじゃないかな。アキも、モエが酒飲むとどうなるか知っているでしょうに。
――もしかして、アキ。楽しんでるの?
「分かったわ。ああ、晩御飯が待ち遠しいわね、クリウス?」
ここはなんとか、ぼくに対する理不尽な怒りを抑えてくれたようだけど。
指を骨骨と鳴らすのは止めてくれないかな。晩御飯は殴り合いの喧嘩をする機会ではないのだから。
「あはは――どうかお手柔らかに」
しかしながらぼくからは、なにやら不敵な笑みを浮かべるモエを宥めることなどできない。
触らぬ神に祟りなし。なんて言葉は、この世界で通じないけど。
ぼくはどうか穏便に、折角の観光を過ごせますように、と祈るだけだった。
ところで。
ぼくはアキとモエの後ろについて歩きながら、ふと考えを巡らせる。
なぜぼくは、あの保健医のルーさんに、こんなにも心惹かれているのだろう?
美しくはあるけれど、いまになって思い起こしてみれば、絶世の美女でなければ、傾国美人てわけでもない。
もちろん、お美しくはあるんだけどね。普通にその辺の街中を歩いているようなひとではないんだけれど。
ただ、不思議な女性というだけで、ここまで心惹かれるものだろうか。
気になったのは、『高すぎる魔力は、他人をひどく惹き付ける』て言葉。
それが真実だとしたら、ある程度は頷ける面もある。
アキだって、最初に見たときはすごく気になった。ギルドの盛場で、護衛三姉妹と一緒になって食事していた、なんて異質な空気だったのもあるが。
モエにしてもそう。初めて会ったときは、まさか一目惚れ? なんて考えたりした。変なナンパ男とかもいたしね。
二人に共通
確かに高い魔力を持つひとは、ココロを奮わせるなにかがあるのかもしれない。
しかしながらそう考えると――あのルーさんは、やはりとんでもない魔力の持ち主なのだろうか?
そもそも他人の趣味嗜好に干渉できるほどの魔力って、一体どの程度のものなのか。それすら解りはしない。
「ではそろそろ次に移るとしよう。時間は有限だ」
「王都の東側には、他になにがあるのかしら」
「あと見るべき大きなものは湖だな。東湖。別名で巨竜の湖というところがある」
「巨竜?」
考え込むぼくは既に無視された。
マリンの手綱を握るモエは時々ちらちらと、不機嫌そうな視線をこちらに向けてくるけれど。
どうやら、いまは観光の方が大事であり、楽しまなければならないと理解してくれたらしい。
――早く済ませて、早めにぼくをけちょんけちょんに叩きのめすため。でないことを祈ろう。
「ああ。大災害の折りにできた湖で、当時は相当に巨大だったらしい。名の通り、巨竜がいるのではないか、というくらいにはな」
「いまはやっぱりいないのね?」
「いない。少なくとも500年前までは、とても大きな湖だったが、いまでは気候や地盤の変化で、かなり小さくなっていると言われている。まあ、私からしてみれば充分広いがな。
淡水魚の養殖や、温泉が有名だ」
その湖の名は聞いたことがある。というか、実際に見たことも一度だけある。
ぼくの住む村から王都に向かうとき、やや険しい四の山を迂回して進むと、湖の近くに出られる。近くと言っても、4陸里は離れているんだけどね。
四の山が土砂崩れなんかで通れないとき、森の中の小路をひたすら進んで、大通りに出た後で、さらに4陸里。
東の村方面からの通行者は、よほど暇か、観光目的でもないと立ち寄らない場所だ。
ただ、一度だけ父に連れてきてもらったんだ。
湖なんて、見るのはタダだからね。
「良いわね、温泉。あたしの地元にも結構あるから、小さい頃はよく入りに行っていたわね」
「私は苦手だがな。なかなかどうして、見ず知らずの人間と裸の付き合いとは、落ち着かない」
――うん。いいね、温泉。
ぼくはこの世界では入ったことがない。場所の関係か、村の近くでは温泉は湧いていなかったのだ。
前世が日本人のぼくとしては、温泉は数少ない癒しの場所だ。成人してからはほとんど行かなかったけれど。
温泉に浸かりながら、しとど濡れるアキとモエ。キャッキャッウフフと笑い合う様は、想像するだけで丼ご飯三杯分以上のおかずになろう。
「――アキせんせーい。クリウスくんがやらしい顔してニヤついてまーす」
「100叩きの刑だ」
「酷いッ!?」
やだなあ。温泉ですよ、温泉。むしろぼくのような健康で健全な男子が、そういう想像をしないとしたら、そりゃあそれは同姓愛者か、ある種の病気ですって。
だから、君たちは自分に自信を持って良いと思う。こんな妄想もされなくなったら、おしまいだよ?
だから、モエ。そんな拳骨を握り締めて、こちらを睨んでこないでくれるとありがたい。
ぼくらは図書館での出来事を、やや忘れて。
次なる観光の場所へと想いを馳せた。
ルー=シュバインシュヴァルツの正体が明らかとなるのは、これよりだいぶ後のことである。




