ルー=シュバインシュヴァルツ
ミステリアスな女性が好きなんです。書く分には。
「なに見てるのよ、クリウス」
ぼくがその女医さんを凝っと見ていると。
急に押し黙った気配に、モエが訊いてくる。
ただぼくの表情を見た後で、その視線の先を追っていって――途端に不機嫌になったようだ。
声色が一段低くなる。
「――せんせーい。クリウス君たら、あたしたちのような美女を5人も侍らせておきながら、別の女を見てまーす」
「ふむ。死刑だな」
「ひどいっ!?」
アキとモエのとんでもない発言に、ぼくは慌てて視線を女医さんから外した。
そして手を振って、見ていないと否定する。
――大体さ、ぼくらってそんな関係じゃないでしょ?
これは観光であって、デートでない。ぼくが何を見ようが勝手なはず。
まあ、周囲の、ぼくらを知らない面々から見れば、ぼくは爆死に値するくらいの、羨ましい状態かもしれないけれど。
そうこうしている間に。
「こんにちは。クリウスくんと――アキさん、モエさん。それに――?」
「え、名前を覚えていてくれてたんですね。嬉しいなあ。
あのときはろくに挨拶もできずすいませんでした。改めまして、ぼくはクリウス=オルドカームです。
こちらの三人は、アキの護衛さんたちで、ミモザさん、シェーラさん、パティエラさんです」
女医さんは読書を途中で止めてまで、こちらに歩み寄ってくる。
読書の姿勢は、お世辞にも良いとは言えなかったけれど、こうして歩く姿は、凄く正としていた。
ファッションショーで舞台に立つ、モデルみたいだ。
そんな女医さんが、僅かに介抱したぼくのことを覚えているとは。
感謝感激、雨あられというやつだ。
ぼくが嬉しさのあまり、にこやかに、頼まれてもいない黒服護衛三姉妹の紹介まですると、
「イタッ!?」
強ッと、ふくらはぎに痛みが走る。
見ると、モエさんってば、殺意のような感情を孕んだ顔色で、ぼくを睨み付けている。
――いや、『ような』感情じゃない。これはたぶん、本気で殺意だ。
「なにするのさ、モエ」
「別に。あんたのそのだらしのない顔が、なんとなくムカついただけよ」
ひどいな、モエ。この顔は生まれつきだよ? 文句があるのなら、父と母に言って欲しいな。
そんなやり取りをしていたら、女医さんはくすくすと笑っている。
なんだかんだ、掴みはオーケーかな?
「お邪魔だったかしら、わたし」
「いえいえ、そんなことありません。ぼくらは観光で、たまたまここに寄っただけなんで――ええっと、」
「ああ、ごめんなさい。名前を聴いておいて、わたしの自己紹介をしてなかったね」
ぼくが、お名前は? 訊こうとしたら。
彼女は察してくれたのか、先を打って言う。よく心配りができるひとだなあ。
「わたしはルー=シュバインシュヴァルツ。見ての通り、しがない大学校の保健医よ」
いやいや、しがないなんて、そんなことはない。
大学校に保健医がいなければ、今ごろは全部の学生が、あらゆる怪我と病でのたうち回っていなければならないのだ。充分に尊ぶべき役どころだよ。
あと。そのご尊顔に加えて、その名前も素敵なものだ。
豊穣の女神と同じ名。女神様なんてひとつも信じていないけれど、目の前にいるルーさんは信じられる。
彼女の美しさは比類がない。前世も含めて、大した美女とお付き合いをしてきたわけではないけれど、それでも理解できる。
ルー=シュバインシュヴァルツは、ぼくにとっての女神であるようだ。
「あっ、ツぅッ!?」
ぼくとルーさんが話をしていると、急にお尻の左側に、強烈な痛みがあった。
まるで、ペンチで肉を挟み、捩り切ろうとしているような痛み。
ぼくはなにごとがあったか、首を捻って、痛む場所を確認する。
そこには、白い手があって。
少しばかり顔をあげると、憤怒の形相をしたモエかあった。
「――ああ。ルーと言っても、女神と同じ名前ではないの。
女神のルゥは、『恵み』とか『豊か』ていう意味の言葉だけど、わたしのルーは『源』『元素』て感じよ。発音はほとんど同じだけど」
お尻の痛みもなんのその。ルーさんのその言葉に、ぼくはすぐさま笑顔を取り繕う。
「それでも素敵な、良いお名前です」
「ありがとう」
ぼくは裏表のない、率直な感想を述べる。名前なんて、どうでもいい問題に違いない。瑣末なことだ。
この出会いの前では、名前など、単に相手を表現する固有名詞でしかない。記号だ。ここにアキとモエがいなければ。ぼくとルーさんの二人だけだったのなら、そんな固有名詞は必要性がない。
それにしても。ああ。なぜぼくは、こんなにも目の前にいる彼女に、心奪われるのだろう。
「ぴぃッ!?」
ルーさんに見とれていると、今度は背中の右側に鋭い痛みが走る。
鉛筆やボールペンを、無理矢理に突き立てようとした感覚。
思わず変な声が出ちゃったよ。
なんだ? と思い右側を見ると、そこには、無表情ではあるが、どこか白けた眼をした、アキの姿が見られた。
さっきからなにをするのさ、君たち。
「――高すぎる魔力は、他人をひどく惹き付ける。それが無意識であってもね。
魔力は世界を媒介に、心を操るための能力よ。心を持つもの同士が惹かれ合うのは当然ね。
ただ、気を付けて。
強い愛情は、強い憎悪と表裏一体だから。
――あんまり彼女たちを蔑ろにしていたら、そのうち殺されちゃうよ?」
ルーさんがなにを言っているのか、ぼくにはすぐに判断がつかなかった。
だって、ぼくは魔力6の落伍者だから。
それにルーさんは、まるでアキとモエが、ぼくに対して強い愛情を抱いているような口ぶりをしている。そんなはずはない。
ぼくみたいな一介の農民に。それこそ本当にしがないただの受験生に、彼女らが心惹かれるはずなどありはしないのだ。
ルーさんの言葉に、内心で冷や汗が流れる。
そんな的外れな発言に、気分を害したアキとモエは、どんな怒りをぶつけるのだろう。
アキはともかく――きっと、モエは烈火の如く怒り狂うに違いない。
「――――あなたは、何者なのだ?」
と。ぼくがこれより起こりうる、あらゆる災難に身構えていると。
存外に冷静に言葉を発する、アキの姿があった。
彼女は翡翠色の視線を、一点に集中させている。
さらにもう片側に注意を配ると、モエもまた、どこか警戒の色を含んだ気配を漂わせている。
「言った通りに、わたしはしがない保健医よ?」
そうだ。それ以外に、それ以上に、ルーさんが答える術なんてない。はずだ。
「――そうか。行くぞ、クリウス、モエ」
「え?」
「そうね。観光の途中なんだし。あたし、なんだか今度は、塩辛いものが食べたくなったわ」
何故だか二人は、急に退散を決め込んだようだった。
まだまだここは三階。広く高い建物の、ほんの一部を見たに過ぎない。
観光に戻るのは良いけれど、ルーさんとのお話が中断されるのは嫌だな。
君らはともかく、たぶんぼくは、もうほとんど会う機会がないのだから。
「ちょっと、どうしたのさ、みんな?」
ぼくは名残惜しくも、その場に踏み留まろうとするが。
力で勝るモエに、引き摺られるように――というか、実際に引き摺られて、ルーさんから離された。
嫉妬? 嫉妬なの?
ぼくは自分にそんな自信など全然ないにも関わらず、そんな自惚れた考えをしながら、図書館の三階を後にする。
「クリウスくん。ひとつ、忠告しておくね」
と。
ルーさんはぼくらを追うでなく。
その場に佇んだまま、真剣な顔をして言った。
「優柔不断は罪よ。あっちもこっちも、誰も彼も、なんて不可能。
このままでは、あなたは誰も救えない」
彼女の声は、小さく細いものだったけれど。
そして、やや距離が離れていたけれと。
なぜかぼくには、はっきりと聴いてとれた。
ずきり、と。胸が痛んだ。
なんでかは解らない。
解らないままに、ぼくは情けなくも、引き摺られていった。
やや強引な切り方になってしまったかしら?
のちほど書き直すかもですm(_ _)m