試験の夜に②
今回も三人称です。
「その番号を奨学生とするには、承服しかねますな」
「その根拠は?」
トゥルジローは当然の如く異議を申し立てた。
129番は、武術試験で敗れはしたものの、その戦略性には目を見張るものがある。一介の農民という出自でありながら、どうやって鍛練を積んだか、128番と互角に渡り合った。
学力試験でも、あの戯けた問題数を前に、要点は抑え、及第点を出している。
それは良い。トゥルジローにとり、129番が入学するのは、さして問題でない。精々が、あの若造が大学校の生徒になれるのかと驚くくらいであろう。
だが。奨学生となると話は別だ。
彼はあまりにも、魔術師としての出来が悪い。
能力では魔力の値は一桁だった。魔術試験でも、測定値5という塵芥という評価を下した受験生だ。
魔術試験の採点が、この大学校の入試でさして高い割合を占めないにしても。トゥルジローにとり、マグマ=リンの提案には、即座に首肯くことはできなかった。
「――129番は、能力には魔力に瑕がある。魔術試験でも最低レベルの成績だった。その性格にも難あり、あまりに女々しい。この国の将来を背負って立つ人間とは、程遠い」
審議会に列席する面々は、クリウスの資料に視線を落とした。
なるほど確かに、異常に魔力に関する項目だけが、平均を大きく下回っている。
『女々しい』という、トゥルジローの主観が多分に折り混ざった意見はともかくとして、奨学生とするには難がある。彼は武術試験で高評価も、敗けは敗け。減点の要因だ。また学力試験では、合格点に達しているものの、特別に高得点ではなかった。
「むしろ、なぜマグマ=リン殿下がこの者を推挙なさるのか。その根拠を知りたいですな」
トゥルジローは訪う。それは当然の疑問だ。
ともすれば不合格の烙印を押されても文句の言えない、ぎりぎりな点数のクリウスに肩入れするのは、おかしい。
「殿下は、暫しの間に129番と行動を共にされていた様子。魔術試験のときも然りである。
よもや、個人的な意図がおありか?」
個人的な意図、特別な計らいなどは、この審議会では唾棄されるべき概念である。
ましてマグマ=リン=ウィングルド本人も、能力値が総じて低いながら、大学校に入学できた経緯があった。それは当時この場にいたであろう国王の、私的な配慮があったからではないか?
「――ロンボルク卿」
「はっ?」
「昨日の昼頃、魔象台に変化はありましたか?」
暫しの沈黙のあと。マグマ=リンは唐突にロンボルクに話を投げた。彼は突然の問に目を白黒させて、ああ、とか、うん、とか唸っている。
魔象台とは、先史文明の器械を用い、天候や自然災害などを観測するものである。
万物全てに魔素は存在するのだから、当然、自然現象が発生したときには、魔力も発生する。その現象の魔力量を計測し、地震・台風・豪雨などへの対策や注意換気をなすのが、魔象台だった。
ミュゼリオン=ロンボルクは、器械研究の第一人者である。もちろん魔象台は、彼の管轄にあった。
「――詳しい資料は手元にありませんが――確かに、昨日の昼過ぎには、シュタッケルベルン岬で、約11億エーテライズを観測しました」
「なんだと?」
トゥルジローは自身の鬚をぐいと引っ張り、怒りのような表情をして、報告をする神聖七賢人のひとりを睨んだ。
睨まれた方は、怖ッと声を上げて、座りながらも竦み上がる思いだった。
この世界の自然現象における魔力量は、大体にして以下である。いずれも規模により値は大きく変動する。
雷 ~ 5千万から5億。一筋の雷を観測できる時間は一瞬であり、ほとんどの場合が発生前の魔力量だったり、群発する場合に計測される。
台風 ~ 3億から50億。発生からの時間、経路によって規模が大きく変わる。また観測する場所によっても魔力量は異なる。
地震 ~ 10億から10兆。こちらも台風と同じく、規模によって計測値に大きく変動がある。半径10陸里に有感地震1が起きた際に必要となる魔力量が、約10億である。
「――観測結果では、雷にしては魔力量が大きく、発生時間が長時間でした。また地震にしては魔力量が少なく、短時間で収まっていて。
なんの前触れもなく観測されたため、台風や集中豪雨ではありません」
「ではなんなのだ?」
「――わかりません」
一度はトゥルジローの表情に狼狽えたものの、気を思い起こし、続きを報告するロンボルク。その言葉に、トゥルジローは表情の険しさを増加させていった。
「よもや、殿下。この原因が判然としない現象が、あのなよなよしい129番の仕業であるとお考えか?」
身体をわなわなと震わせながら、トゥルジローは訊く。そんな冗談、ありえない。
魔力量測定値が『5』であるのと、『11億』であるのは、どちらが信じられるものかなど、この場に居合わせる者たちならば瞬時に判断できる。
昨日観測された巨大な魔力量の原因は不明なれど、人間が発端ではない。そんな冗談は受け入れられない――そんな冗談みたいなことをやってのける人間が、この十数年間で何人もいてたまるものか。
「度々すいません、ロンボルク卿。大学校入試で使用する、魔力量計測器の上限は?」
「わが国が保有する最大の兵器械である魔力砲が、辛うじて計測に耐えうるものです」
「魔力砲の最大出力が、確か10億でしたか? それを超える魔力を量ったら、どうなるんです?」
「――おそらくは、数値が反転します」
会議室に、沈とした静けさが漂った。
誰もが理解している。そんな戯けたことが起こるわけないと。
たったひとりの人間が、中の国の最大兵器よりも巨大な魔力を持つだなんて、考えるだけでも嘔吐感を伴う虚言である。
しかしながらその場の誰もが、即座に、『ありえない』以外の理由を思い浮かべることはできなかった。
「――能力を計測する器械にも同じことが言えますか?」
「おそらくは」
沈黙を破ったのはマグマ=リンと、引き続き問答を受けるロンボルクだった。だがふたりの会話は、さらに沈黙を深くさせるものとなる。
それはクリウスの懸念が実現したものだった。魔力量が『5』か『11億』か。あるいは魔力が『6』なのか『6兆』なのか。どちらが冗談かなど、まともな神経をしていれば疑う余地もないのだ。
だから、ここでの疑問や反対意見は、ひどく遠回しであるものの――マグマ=リン=ウィングルド王太子の正気を疑うことと同義である。
「沈黙は了承の証でしょうか?」
応えるものはない。
みな一様に黙りこくって、徒に時を過ごしていた。
ここである種の違和感を得るのは、審議会の面々をよく知らない者には考えられることだ。
たかだか人間が、それも一介の農民の子が、自然災害にも匹敵する魔術を使うなど『ありえない』。ならばその『ありえない』ということは、なぜクリウスを否定する根拠とならないのだろう。
ありえないとは、前例がないということに他ならない。
過去に類を見ない出来事は、いつどの世界においても、たといそれが真実だったとして、まずは否定と批難の矢面に立たされる。
かつてどこぞの世界で、地動説を唱えた偉人があった。そのときにも、天動説を提唱する人々の否定の論理は『ありえない』でなかったか。肯定も否定もできる証拠などないにも関わらず、過去にそんな馬鹿げた考えを持ち得た者がなかったから、当初は否定されたのでなかろうか。
だから、審議会に列席する人間たちも、前例がないという証拠を盾に、クリウスの偉業を否定することは可能なはずである。
それがないのは、いかなる理由があってのことか?
――つまりは。その場に居合わせる誰もが、知ってしまっているのだ。
『ありえない』ことをしでかす人間が、既に目の前にあることを。
※
第一日目の審議会は終わった。
時間にして30分ほどである。採点はまだまだ始まったばかりだ。
明日はもっと多くの受験生の審議をせねばなるまい。
誰もがそう願い、ひとり、またひとりと会議室を辞していった。
後に残ったのは、示し合わせたかのように、マグマ=リン王太子とシオーネ=ラル学長である。
「――兄は、教育を間違った」
ぼそりと、叔母は漏らした。それに甥は答えない。ただ、笑っている。
「いい歳をして、新しい玩具を手にした子どものように、周囲に見せびらかして、引っ掻き回す――自分の子どもを、こんな風に育てるなんて」
学長は、深く刻まれた額の皺を歪め、苦渋の表情である。彼女が育ての親ならいざ知らず、ほとんど他人の、甥の生き方を悔いるのはなぜだろう。
それでも甥は笑っている。
昨日や一昨日に、クリウスらに見せていた、愛想の良いにこにことしたものではない。
彼の笑顔は、沼地の底に何年も溜まったどろを掘り起こしたみたいな、得体の知れぬなにかのようだった。
「それは、父とぼくに対する誉め言葉ですよ、叔母さん」
にやつきながら、マグマ=リンは言った。叔母が比喩で言う、『新しい玩具を手にした子ども』のようには全然見えない、悪い笑顔であった。
こうしてクリウス=オルドカームの入学は決められた。
何かしらの企みが働いているとは、その場にいない人間が知ることは不可能だった。
次回からは普通にクリウス視点に戻ります。