学力試験⑤
また少し短いですm(_ _)m
「それではー、そこまででーす。ペンを置いてー、用紙を裏返して下さいー。係が回収しまーす」
終了の合図は、今まで忘れていた疲労がどっと沸き上がるような、気の抜けたものだった。
ぼくはペンを置き、用紙を裏返す。
最早為すすべなし。
監督員が回収に来るまで、ほんの数分だろう。そんな時間で解けるような問題は残していない。
終了の合図の後も、必死で解答を書き込むような悪足掻きはしないよ。
「どうだった、モエ」
隣のとなりから、そんな声が聞かれた。ちらりと横を向く。
ぼくにとって辛い三時間は、アキ=ベースライン様には日常となんら変わりがないものなのかもしれない。
そう思えるくらいには、彼女の様子は冷静で飄々としていた。
「話には聞いていたけど、なにこれ。この問題量。最後まで辿り着くのがやっとだったわ」
対するモエも、三時間前の怒りは流石に収まって、平然とした態度だ。彼女もどこか手応えがあったのか、取り乱す素振りはない。
そうか。ダメだったのはぼくだけか。
「どうだった? 変態農民クリウスくん?」
うわ、ここで話を振ってくるのか。
彼女らにとってなんの障壁でもない239問も、ぼくにとっては到底乗り越えられない高い壁だったのだ。
たとえ『変態農民』という紳士にとり最大限の侮辱を受けたとしても、彼女らが望むであろう返答をする気概は、既にない。
監督員と思わしきひとが、台車を押しながら問題用紙を回収しに来た。
ぼくは相変わらず無言で、その台車に自分の分を乗せる。
「えーと――どうだったの? クリウス?」
モエは改めてぼくに回答を求めた。
ぼくに対する蔑称が行き過ぎたと反省してか、にやにや笑いは態を潜めて、真剣な表情で、でも口調は優しく問い掛けてくる。
――これはきっと、反省したとかではない。ぼくの様子に、試験の出来を心配しているのだ。
「――駄目だったよ」
「え?」
「駄目だった。半分とちょっとしか、自信がないんだ。これじゃあたぶん、学力試験は受からない。
能力には傷があり、武術は負け、魔法は見かけ倒しで、学力もなかった。
――モエの言う通り、明日からは変態農民として生きることにするよ」
ぼくの言葉に、モエだけでなく、アキも目を瞠いて驚いている。
その表情には、『あんな簡単な問題も解らなかったの?』という蔑みの感情があるように思えた。
だからぼくは、一瞬だけ二人を見たあと、項垂れて、視線を下に逸らす。
まだ解散の合図はない。
早く席を立ち、宿に戻って、帰る荷支度をしたい。
このままアキとモエの傍にいたままでは、余りに自分が惨めすぎる。
「――そんなのって、ないよ」
「え?」
「あんただって、それなりに頑張ったんでしょう?」
「もちろんさ。ぼくはぼくなりに、精一杯取り組んだんだ」
なにを今更、そんな当然のことを訊くのか。
ぼくは若干の苛立ちすら覚えて、モエの顔を見た。
彼女はこちらと目が合うと、途端に美しい顔を歪める。
そして綺麗な瞳から、ボロボロと大粒の涙を流し始めた。
「それで、だめだったなんて、あんまりよ。
折角、同年代の友だちが二人も出来ると思ったのに――。
取り消しなさい、取り消しなさいよ、クリウス。『完璧だ』て、自信満々で言い直しなさい――!」
モエが何をそんなに悲しむのか、あるいは憤るのか。ぼくには理解出来なかった。
おそらくは『友だち』という単語が鍵なんだろうけれど、彼女の涙の理由を知るには、ぼくはあまりにも彼女を知らな過ぎた。
まあ、性格としては、なんとなく、友だちが凄く多いか少ないかに別れるのかもしれないな。
なんて考えていると、頑ッと両肩を掴まれて、激しく揺さぶられた。
「言い直してよ! あんたは絶対に大学校に受かるの! アキと一緒に、ついでにミモザとシェーラとパティエラも、みんな一緒に、通うんだから!」
ちょ、ちょっと待ってモエ。
泣きながら顔を真っ赤にして、何を言っているのかよく判らない。少し落ち着いて、深呼吸して、頭を整理してから話し合おう。
あと。極度の緊張から解放された脱力感のあるぼくに、急にそんな刺激を与えないで! きみ、力強いんだからさ。出る、出ちゃうよ? 具体的には朝とか昼に食べたものが。
「落ち着け、モエ。試験の出来栄えを評価するのは、私たちでもクリウスでもない、教官だ。クリウスがなんと言おうが、採点者には関係ない。自信がない問題も、正解しているかもしれんからな。
――ただクリウス。モエの言うことも一理ある。きみは己を過小評価し過ぎるきらいがある。それは望ましくない。自分はこの程度、などと思えば、やはりその程度にしかなれない。
もっと自信を持て、クリウス=オルドカーム。
ここに受かるにしても受からないにしても、きみには自信を持つことが肝要だ」
こちらの様子を見かねたアキが、モエを引き剥がす。
それからよしよし、と、モエの頭を優しく撫で、なだめすかした。
これでは、どちらが年上か判らない――間違った、身長差がかなりあるけど、二人は同じ歳だった。
「――分かったよ、アキ。モエ。次からは、もっと自信を持てるようにする」
ぼくが未だに揺れる脳を動かして、やっと出た言葉がそれ。
今さら、一度下した自己評価を覆すなんて出来ない。
だから『次から』と言った。その次を、彼女らが見ることはないのだろうけど。
「それではー、これで試験はー全て終わりですー。この後はー、軽く今後の説明をしてー、解散でーす。お疲れ様でしたー」
ぼくら三人の会話の合間をぬうように、気の抜ける声が聞かれる。
あの巨乳もこれで見納めとは、ほんの少しばかり悲しい。