学力試験④
まあ、こういう入試問題なんてのは、満点を取らせない前提で作製されることが多いと聞く。
ぼくも前世では何校か大学を受けたけど、やはり、どう考えたって思い出したって、こんなの習ってないよね? なんて問題にはいくつか当たった。
――当時の不勉強さはさておいといて。
だからこの大学校も、はなから満点を取らせる気なんてないのだ。
こんなのもあった。
『問.【その他】この設問を答えるものは、両腕を高く掲げよ。その後は試験官の指示に従え』
取り敢えず最初は飛ばしたけど、なんだろうこの問題?
解答欄は結構広くて、用紙2枚分もある。
時間の掛からなそうな問題を順番に解答していると、そんな設問に出会した。
まず【その他】という分類が怪しい。ちょいちょいあるんだけどね。
なんだか雑学とか、時事問題とか、国語とか、そういうのが【その他】に宛がわれているようだ。
先ほどから数名、手を挙げている受験生がいると思ったら、どうやらこれを解くためらしい。
あ、余所見はしていないよ。
ぼくらの席は前の方だけど、最前列ではないから、ふと顔をあげれば受験生の背中は当然目に入る。
両腕なんて挙げたら、嫌でも目につくよね。
手が上がったら、試験官が席に行き、なにやら小さな冊子? みたいなものを渡している。あれが問題なのかな?
とにかく確かめてみるしかあるまい。
ぼくも両腕を高く掲げてみた。
すると、すぐさま近くにいた監督員が、やはり冊子を持って小走りにこちらまで来た。
そして何も言わずに机に冊子を置くと、元の位置に戻っていく。
ぼくは訝しんで、運ばれてきたそれを見る。
本、みたいだ。小説? いや、手記とか自伝の類いだろうか?
ある政治家の男の一生みたいなものが、淡々と書き綴られていた。
そして最後に、
『この男の行いは善か悪か。感想を交えつつ判断し、【800字以上】で論じよ』
なんていう問題がついている。
――本当にこの大学校の試験は、質が悪い。
こんなの、読み手の受け取りかた次第でどうにでも取れる問題、正解なんてないだろう。
加えて、無闇矢鱈に時間を使わせたがる。
読む時間もそうだし、考える時間も、書かせる時間も要求する。
いや、問題の意図はなんとなく解るんだ。
限られた短い時間で、状況を理解し、的確に判断する。
そんな判断力を訪う問題なのは把握できた。
だけどさあ、これだけで凄い時間が掛かるよねえ。
そうこう考えているうちに、遠くから号号と鐘の音が聞かれた。
もう13時らしい。時報の合図があった。
まだ、時間はある。
取り敢えずは目の前の問題を、さっさと片付けてしまおう。
さらにはこんな問題もあった。
『問.【その他】我が国の主食のひとつに小麦がある。代表的な調理品としてパンがあるが、その作り方を説明せよ』
え、家庭科なの? 前世でも今世でも、習ったような習わなかったような、そんな微妙な知識だ。
えーと、小麦粉に塩と水を入れて混ぜて、捏ねて、イースト菌で発酵させて、焼く? だったかなあ。
あ。もしかしたら、収穫から書かなければいけないのだろうか。
よくよく考えてみれば、何が起こるか判らない戦時中の我が国だ。
軍務に当たっているときに食糧がなくなったりしたら、当然パンを自分で作らなきゃいけない、なんて事態も発生するかもしれない。
うーん? 麦を振るって籾を取り出し、脱穀して、挽く。かな?
待てよ待てよ。もしかしたら、麦の育て方から説明しなきゃだめだろうか?――そこまで考えて、止めた。こんなの考え出したらきりがない。
満点ではないかもしれないけれど、多少の得点はくれるだろう。
ぼくは本当に、覚えている限りの作り方を書くことにした。
え? なんでお前は農家のくせにパンの焼き方も知らないのかって?
決まっているじゃないか。我が家は米農家だからだよ。
――二度目の時報があった。
現在は14時。解答は、まだ半分も埋まっていない。
だけど、まだ大丈夫。このままのペースなら、ギリギリ間に合う、はずだ。
そんなこんな、厄介な問題も次々に片付けていくと。
極めつけは最後の問題だ。
最初に見たときも、厄介だと思った。
それは小学校の教師が教えてくれた通りに、正確な解答なんて存在しない代物だった。
『問.【その他】あなたは医者である。戦争で、不幸にもあなたの家族と、国の高官が大怪我を負った。どちらも直ちに施術しないと助からないが、両方を助けられる時間はない。怪我を治せるのはあなただけ。あなたはどちらを助けるのか。理由も記せ』
これは、医者を志すぼくにとって、絶対に迎えたくない選択肢だ。
教えてくれた話では、『あなたはこの国の兵士。あなたの家族と、王国軍の上官が、別々な場所で人質になった。片方だけを助けられる。どちらを助けるか?』みたいな感じだった。
これは初めに条件付けされているから、ある程度の点数が貰えそうな回答はできる。
けれど、今回のこれは違う。
『医者』という条件があるのみだ。
心情でいえば、もちろん家族を真っ先に助けたい。そりゃ当然、人の子なら当たり前の選択だ。
でもこれは、国営の大学校が出す問題。より高い点数を稼ぐには、高官の方だろうか?
――三度目の時報が聞かれた。
解答は、ようやく6割程度が埋まったところだ。
もう、時間はない。
やばいやばいやばい。
ていうか、鐘鳴るの早くない? 嘘でしょ? 体感ではまだ30分くらいしか経ってないよ!
ぼくは焦る。まだまだ全然、解いていない問題がある。
このままでは、仮に100点満点だったとして、60点くらいしか取れない。
書き間違いや計算違いもあるだろう。
正答率60パーセントで、最高学府に受かるのか? 受かるわけがない。
最後の問題は無視して、他の問題を取るか?
あと15分あれば、いくつかは解答できる。こんなどう答えて良いか判らない最終問題よりも、確実に得点できる。
――いや、だめだ。この問題から逃げてはいけない。
何故だかぼくは、そう思った。
前世で死ぬほど後悔したぼくは、今度こそ、みんなの役に立つために、医者を志したのだ。
これに目を背けることは、いけない。
こんな問題に答えを出せない程度では、きっと誰の役にも立てない。
ぼくの決意は、嘘じゃないんだ。
馬鹿な考え? それは自分でよく解っている。
これに回答するより、他の問題の方がよほど確実に点数に繋がる。
みんなの役に立てるお医者様になるには、農民のぼくにとって、大学校に受かる他はほとんど見込みがない。
だから、こんなへんてこな問題、捨て置いて構うまい。
解ってはいる。
――でも、ぼくは必死で考えて、答えを書くことにした。
『家族を助ける。身近なひとを亡くすなんてことはできないから。
しかし、どちらも助けるために、戦争をなくす手段を考えたい』
それが回答だった。
直に終了の合図が掛かろう。
ぼくの大学校の試験は、これで終わりだ。
最後に空欄を殴り書きで適当に埋めていった。正解か不正解かなんて考えず、とにかく反射的に。
結局時間内に埋められたのは全体の8割ほど。
そのうち2割は、たぶん間違っていて得点は期待できない。
学力試験が最後の望みの綱だったが、それもだめ。
なんの見せ場もない3日間だった。
でも、悔いはない。後悔なんて、前世でそれこそ死ぬほどしたんだから。
――とは言え、いまは早く、家に帰りたい気分だよ。