学力試験①
次の日の朝。
前日の酒も疲れも残ることもなく、爽やかに起床したぼくは、風呂に入り、マリンに挨拶をして、朝食を摂って宿を出た。
宿舎に繋がれ放しの阿のマリンは、大層不満げな様子だったけど、もうちょっとの辛抱。6と7の日には、一緒にお出掛けしようね。と言葉を掛けると、不承不承ながらも赦してくれた。
宿を出て、向かうは一路、大学校の学舎だ。
昨日の朝はてんやわんやだったけど、今回は違う。
反省を活かして、昨日の内に試験会場については下調べ済みだ。
学術試験は大学校の各教室で行われる。
特に体育館とか、野外の別会場とか使う必要がないから、取り敢えず本校舎に行けば迷うことはない。
「おはよう、クリウス」
その道の途中で、ばったりモエと会った。
まあ、泊まっている宿はすぐそこだし、行く道もひとつだからね。
時間さえ早すぎず遅すぎない程度で宿を出れば、ばったり出会すのも不思議ではない。
「おはよう、モエ」
「昨日はよく眠れた?」
「眠れはしたけど、やっぱり心配になって、勉強してから寝たよ。そういうモエはどうだったの? なんか、あまり顔色良くないけど」
挨拶の言こそ、昨日一昨日と変わらないものだったが、モエの顔色は悪い。
元々色白だったけれど、さらに白く見える。
目元には薄ら隈も認められる。昨日飲みすぎたんじゃない?
「あはは――なんだか昨日は寝れなくてねえ。寝酒を買ってきて、つい飲みすぎちゃった」
「大事な試験の前だよ? なにをそんなに悩んでいたの?」
ぼくは訊くが、なんとなくモエの心配は解る。
王太子殿下の一件だ。前日も前々日も、彼女がリンにしてきたことは王族にするべきことではない。
世が世で、人が人なら、なんらかの処罰を受けて然るべし行いを、モエはしていた。
後になって冷静に考えてみると、段々と不安が沸き上がってくるのは無理もない。下手すれば家族にまで累が及ぶ。
最初の飲み会のときに聞いたが、モエの家族愛はなかなかのものだ。兄弟姉妹が多く、みな仲が良い。
そんな家庭が、モエのせいで滅茶苦茶になってしまったら?
家族想いの彼女のことだ、そんな考えが、一晩中頭の中を廻っていたに違いない。
それは、眠られなくなるわけだ。
「別に、変態さんのクリウスに心配されるようなことではありませーん」
「ひどっ! 違うんだよ、昨日は昨日で、モエが暴走するからさ。それを押さえようとしたわけ。決して、疚しい気持ちがあったわけじゃないんだよ」
そんな会話をしながら、長い道のりを歩く。宿から大学校までは歩いて一時間は掛かる。
阿て行ければ早いけど、受験生用の阿の停まり場がないから、歩くしかない。
乗り合い馬車(この世界では阿車か)もない。なんでだろう。何千人と受験生が集まるこの時期くらい、臨時でも交通機関を用意して、少しばかりの運賃を取れば、絶対儲かると思うんだけど。防犯上の理由かなにか?
「おはようございます、クリウスくん。モエさん」
長い道のりを二人で馬鹿話していると、唐突に後ろから声を掛けられた。
あれ? ここってもう王都の外だよ? よく整備された街道と、僅かに生える樹があるくらい。
どこに隠れていたのだろう、この王太子殿下は。
「お、おはようございます」
「おはようございます! 昨日と一昨日は、王太子殿下とは露知らず、とんだご無礼を働きました!」
聞き覚えのある声に振り返ると、そこにいたのはマグマ=リン=ウィングルド王太子殿下。
王位継承権第一位、国王に次いで形式上のこの中という国のナンバー2である。
だっていうのに、今日も今日とてちょっと解れた白いシャツに、茶の外出着なんて軽装だ。
そこいらの受験生とほとんど変わらない、全然王族らしくない出立だった。もはや小学校に通う生徒といっても過言ではあるまい。
――もちろん、そんなこと言わないよ? 口に出しては。
「ありゃりゃ。アキさんてば、もうネタバラシしちゃうんだから」
ぼくは軽く頭を下げる程度の挨拶だったけれど、昨日やらかしたモエはそうもいかない。
振り返りリンの顔を見ると同時に、膝を折り地に座し、肘も地面に着けた。掌は仰向けにされ、『何も持っていない』と主張する。
それはこの世界での『ザ・土下座』であった。
そんな様子を、苦笑しながら見る王太子殿下。
まあ、昨日の今日で、突然態度が豹変した知り合いを見れば、苦笑いのひとつも漏らすだろう。
「当然です、マグマ=リン=ウィングルド王太子殿下。私たちは、あなたの道楽の玩具ではありません」
少し遅れて声が聞かれたのは、アキだった。後ろには当然のように黒服護衛三姉妹を侍らせている。
いやね、だから、あなたがたはどこに隠れていたの? 結構目立つよね、あなたがたの団体は。
え、それに気付かないほどお喋りに夢中だった? それは失敗したなあ。
「でも、こんな形をしていると、結構色んなものが見えてくるんです。普段王太子なんて面倒な役柄やっていると、周りのみんなはそれなりの対応しかしませんからね。変におべっか使ったり、余所余所しい敬語だったり。
でも、これだと皆さん、正直にありのままで接してくれるから便利なんですよ。王太子だと判っていたら、胸倉掴んだりされませんから」
「お、お、お許しをー!」
王太子殿下の言葉に、俯いているから顔色は窺えないけど、きっと顔面蒼白になったモエは、半分以上泣きながら許しを乞うた。
その様子に彼は、さらにひとつ苦笑いをして、
「冗談ですよ。僕は気にしていません。
モエ=クルガンの為人が知れて、嬉しく思っています。ただ――」
「ただ?」
「アキさんからも言われていると思いますが、人は見掛けで判断してはいけません。僕でない王族に同じことをしたら、一族郎党縛り首になっても言い訳出来ませんからね。気を付けて下さい」
「畏まりました!」
リン王太子殿下は、やや大袈裟に身ぶり手振りを加えて話す。
『縛り首』と言ったときには、前世でもそうだったように、親指を首に当て、横一文字に滑らせた。
王族がやったら洒落にならない手振りだ。
モエは相変わらず天下の往来で土下座したまま、声を大にして畏まる。
「それと、僕のことは変わらず『リン』と呼んでください。先ほども言いましたが、素性を隠しておいた方が、色々と便利なので」
「そんなことできませんよ」
彼のまさかの下命に、ぼくは震えながら答える。
一介の農民が、王位継承権第一位の、将来国王となる高貴な御人を呼び捨てなんてしたら、誰ともいえない誰かに誅されても文句が言えないよ。
「殿下。それは酷というもの。道楽が過ぎます」
「――ではこうしましょう。これは三人だけに与える勅です。反するのは逆賊とします」
うわっ。出たよ王命。きっとこの王太子殿下は、これからも都合の良いときだけ殿下になる気だ。
一体いつまでぼくらを道楽の玩具にして、付きまとうか判らないけれど。
「僕ら7人は、これから暫く、対等の友人ということで」
あ。一言も発していなかったけど、きちんと黒服護衛三姉妹も入っていた。
まあ、話を聞いてしまっているから、巻き込まないわけにはいかない。
三人のことだから、滅多にこの秘密を喋ったりはしないと思うけど。
「――勅とあらば仕方がない。いつまでの付き合いか判らないが、よろしく頼む、リン」
「ええ。よろしくお願いします、アキさん」
仕方ないとはいえ、アキは切り替え早いなあ。
やや眉を歪めながらとはいえ、平気な風で言葉を口にした。
「よ、よ、よろしくお願い致します、リン、さま」
「クリウスくん。君は減点だ」
「よろしく! リン!」
「はい、よろしい」
さて、と。
ぼくらの視線は、未だに土下座の姿勢を継続しているモエに向けられた。
彼女は『あ、あうあう』なんて、昨日一昨日では全く想像もできなかった態で、次に言う言葉を探している。
「まずは立ち上がりましょうか、モエさん。対等な友人同士ですよ? 片方がそんな格好をしているのはおかしいです」
そう言われて、モエは弱々しく立ち上がった。
顔は赤く、おそらくは色んな葛藤が頭の中を駆け巡っていることだろう。
でも、これは王命だ。彼女の心情がどうあれ、従わなければならない。
「よろしく――リン」
「大変よろしい。お願いしますよ、モエさん」
それからリンは手を差し出した。
畏れ多いその行為は、前世でもこの世界でも、意味は同じ。友情の証である、握手を求めるものだった。
恐る恐る、手を伸ばすモエ。震えてるよ、震えてる。
ぼくも握手を求められたらどうしよう? と思い、見えないように、ポケットに入れたハンカチで、手を拭いておいた。
やがてがっちりと二人の間で交わされる、友情の握手。
アキも、三姉妹も、ぼくも、周りのひとたちまで、拍手を送った。
紆余曲折あったといえ、この友情に、幸あらんことを!
――ん? 『周りのひとたち』?
ふとぼくは周囲を見る。そこには、いつの間にか、たくさんの受験生たちの姿があった。
まあね。天下の往来なんだから、人目につくよねえ。
「こらー! あんたたち、これは見世物じゃなーい!」
モエはそれに気付くと、再び顔を真っ赤にさせて、握手を振りほどき、怒りの声を上げる。
どうやら、少しはいつもの調子に戻ってきたようだ。よかった。
「さあ、さっさと行くわよ、アキ! クリウス! リン!」
そうしてぼくらは、やや足早に大学校へと向かっていく。
これから大切な試験だって言うのに、なんともまあ、悠長なやり取りだったことか。
でも、心の片隅にあった僅かな蟠りは、すっと消えていったように思う。
モエだって、このままリンに会わず試験に臨んでいたら、あれこれと気になって、本来の調子が出せなかったに違いない。
だから、本当に紆余曲折あったけど、これで良かった。いまはそう信じよう。
さーて。
それでは、学力試験に集中しましょうか!
このときは、試験のことで頭が一杯で気付かなかった。
後になって、ふと、頭の中に疑問符が浮かぶ。
その問いについて、解答がなされるのは、もっとずっと後のことである。
『なぜリンは、ぼくたちに近付いてきたのか?』




