魔術試験⑥
「他の神聖七賢人はともかく、この私すら超えてくるとは――やはりベースラインとは末恐ろしい。
いや、違うな。そなたは、魔術に関しては先代や先々代の上を既に行く。ベースラインであるというより、そなた、アキ個人の才能と努力を讃えるべきか」
「かのトゥルジロー=リン=タカノ閣下よりのお言葉、恐縮です」
アキの結果を前にして、トゥルジロー様は存外素直に感心して見せた。
もっと悔しがったりとか、器械の故障だ、とか喚くと思っていたけれど、違った。
立派な鬚を触りながら、うんうんと何度となく頷いている。
普段は尊大な態度であっても、認めるところは認める。誉めるべきは誉める。
意外に、トゥルジロー様は大人な性質をしているのかもしれない。
対してアキは、全く恐縮していない様子で、平然としている。
それはそうか?
彼女からしてみれば、この結果はさも当然だったのだろう。
というより、どんな測定値であっても、最初から全てを受け入れる、と決めていたのかもしれない。
そんな決意があれば、結果がどうあれ、受け入れられないものとはならないのだから。
「あたしの測定値の約10倍? あはは。なんだか、知り合いがここまでくると、驚きや畏れを超えて、笑えてくるわねえ」
モエは結果を端で聞いて、そんな感想を述べた。
いやいや、絶対にそんな、笑いごとじゃないよね。
周りの受験生もみんな驚愕の表情を張りつけたまま、元の顔色を忘れたみたいに硬直している。
平然としているのは、黒服の護衛三姉妹と、リン少年だけだった。
「三人は、アキのあれを見ても驚かないの?」
ぼくは気になって、三姉妹に訪うた。驚愕も歓喜もない平静とした様子が気になったから。
「当然です」
「我々はアキ様の護衛であり、友人を自負しております」
「アキ様が驚かない、喜ばないことに、動じるような神経は持ち合わせておりません」
打ち合わせていたかのように、三人は綺麗に声を合わせて答えてくれた。
ううむ。それはそうかもしれないけどさ。
やっぱり、どう考えても、凄すぎると思うんだよなあ。
「クリウスくんはどう思ったんですか?」
ぼくが首を捻っていると、リン少年が声を掛けてきた。
やはりこの少年も、驚いた様子はない。
試験官だから、これまでにもたくさんの好成績を見てきたのだろう。
これで動じるはずもない。
――あれ? でも、トゥルジロー様は、普通に驚いて感心して見せていたけどなあ?
「ぼくは――素直に凄いと思う。あんなの、ぼくにはとてもじゃないけど真似できない」
その感想は、紛れもない本心だ。
つい口から出た、疑いようもなく、隠し場所のない、ぼくにとっての真実である。
でもリンは、いつものにこやかな表情を一瞬曇らせて、首を傾げた。
「これは異なことを言いますね。クリウスくん。
あなたは真似なんかする必要がない。まして、他のひとを気に留める必要すらないのです。
アキ=ベースラインがそうであるように、あなたはあなた、クリウス=オルドカームなのですから」
――いまいち、彼の言っていることに理解ができない。
それはぼくが、彼を少年と侮っているから?
違う。リンの言っていることは確かに抽象的だ。けれど、間違ってはいない。
その言葉の全てを理解し受け入れるには、前世のろくでもなかった40年と、世間知らずに育ったこの世界の15年は、あまりにも難しい気がした。
でも、どこか、心は少しばかり晴れやかになったよ。
そうだ。所詮、ぼくはぼくでしかない。
アキの真似事なんて、クリウス=オルドカームは出来やしない。
ぼくは精々にして、一生懸命ぼくを演じるしかないのだから。
「ありがとう――ございます、リン」
「分かればよろしい」
ぼくはリン少年に、軽く頭を垂れた。
明らかに年下――に見えるリンに、礼をするぼく。周りからどう見えているのかな?
というか、リンはいくつなのだろう?
まさか本当に、見た目通りに10歳くらいの少年ということはないはずだ。
剣術の試験官なんてやっていたし、言葉にはなにやら裏があり、得体のしれない含蓄がある、と思う。
だから、周りにどう見えようとも、ここは礼をするのが、当然だと思った。
「では、次。129番」
「は、はい!」
遂に来た。ぼくの番だ。
モエとアキが凄すぎて、すっかりと自分の試験を忘れていたよ。
ぼくはやや声を上擦らせながらも、トゥルジロー様の元に参ずる。
途中、すれ違うアキに、
「君なら上手くやれる」
とありがたいお言葉を頂戴した。
ふと思うんだけれど、アキは、こんなぼくのどこに、激励を送れるような要素を見出だしているのだろう。
自分のことだけど、ぼくにはそんなの微塵も思い付かない。
「クリウスー! 適当にがんばんなさーい!」
さらにはモエからも、言葉があった。
この二人に励まされるのって、もしかして、いやもしかしなくても、凄いことなんじゃないかな。
彼女らの魔術試験を間近で見て、改めて、二人の偉大さを感じたものだった。
「ベースラインの次は平民か。案ずるな、貴賤の差は採点に関係がない」
おっと。
点呼を受けて馳せ参じたら、まさかの平民差別宣言ですか。
まあトゥルジロー様の言葉は全て真実だ。
ぼくが賎しい平民であることも、それが試験に影響しないことも。
――本当に、試験に影響しないよね?
「準備はよいか」
「はい!」
ぼくは力一杯頷いて返事をする。
変な緊張や興奮は、アキやモエ、リン少年の言葉で解れている。
いつでも魔法を撃てる、万全の状態だ。
「一!」
合図と共に、ぼくは全神経を集中し、世界と心を通わせる。
使うのはもちろん、得意な光の魔法だ。
考えてみれば。と、ぼくはほんの僅かな時間で述懐する。
この人生で、本気で魔法を使ったことがあっただろうか?
小学校で必修の教科だった。全員が習うもの。全員が練習をした。
でも、少なくともぼくの小学校の魔術の先生は、各生徒が必ずしも全力で、とは求めなかった。
程ほどに授業を受けて、程ほどに試験を受ければ、いい点数を付けてくれた。
だから小学校では、本気で魔法を使う必要がなかった。
では魔物相手にはどうか?
ジャングルみたいな通学路には、熊や猪みたいな魔物が現れた。
住んでいる村の近くにだって、頻繁に魔物は姿を見せた。
ぼくが初めて魔物を倒したとき。確か、独りで森の入り口辺りまで行ってしまったときだったかな? 歳は6歳だった。
現れたのは大熊。体長3立寸にもなる巨大な熊だ。
そいつとばったり鉢合わせて、いきなり襲いかかられた。
ぼくは驚いて、必死で魔法を使った。まだ小学校で覚えたばかりの、光魔法だった。
そのときのぼくは、必死でこそあれ、全力ではなかったと思う。あの状況で全力を出せるほど、ぼくの技術は発達していなかった。
運良く現出した光の矢が魔物の眉間を貫いて、助かったのだ。
それから何度となく魔物と遭遇し、何体も倒してきた。
彼らとの出会いはいつだって突発的だった。いまだって、魔物が出る瞬間なんて全く判らない。
だから、全力を出すよりも、とにかく素早く対応するように、身体も心も慣れていった。一刹那でも早く、襲い来る魔物を倒せるように。それもまた、全力で、とは程遠い。
もしかしたら、この場は人生で最初の、本気で全力な魔法を使う機会かもしれない。
そして、下手を打って受験に失敗したとしたら、これが人生で最後になるかもしれないのだ。
――いや、まあ。それを言えば、剣術試験だって、明日の学術試験だって、おんなじなんだけどさ。
とにかく、前世で死ぬほど後悔して反省したんだ。今度の人生こそ皆の役に立ちたいという願いが嘘ではないと、示したい。
想像するのは一条の矢。
――光の魔素の騒ぐ声が聴こえてくる。
ただの矢ではない。この世の有象無象を真っ直ぐに全て穿つ、強力な鏃を持つ。
――魔素を宥め、すかして、彼らを一ヶ所に凝縮する。
弦も矢に負けぬよう、よっぽど頑丈でしなやかでなければならない。
――やがて光の魔素は、押し合い圧し合いしながら、ぼくと共にあり。
周囲が騒がしい? 辺りが薄暗くなっている?
当然だ。光という光を、片っ端からぼくが集めているのだから。真っ暗闇にならないだけ、太陽に感謝すると良い。
――一条の光の矢は、強靭な光の弓に宛がわれる。
次第に、ぼくらの周りの世界も、落ち着きをなくす。
空気は震え、大地は戦慄いている。
すぐ近くにいるトゥルジロー様が何事か呻いているが、特に気にすることはない。
――弦は限界まで引き絞られて、次の合図に備えている。
ぼくの集中力はこれで限界。アキやモエ、リン少年の声は、既にこちらに届いていない。
そもそも彼らが何事かを言うわけがない。ぼくのなけなしの集中力を害することを、発するはずがなかった。
光の魔素は、最早肉眼でもはっきりと確認される程度に集まった。
一ヶ所に固まり、今か今かと、その瞬間を待ち望んでいる。
さあ、泣いても笑っても、これがぼくの全力だ!
「二!」
トゥルジロー様の合図の瞬間。
矢は放たれる。
「光 よ!」
鏃が向かう先は、まだ見ぬ敵国發――の恐らくは上空。
光の魔素は、それ自体が高濃度のエネルギー体だ。
他の魔法属性のように、何かの干渉を受けたりはしない。
火の魔法は水で消え、水の魔法は火で蒸発する。地は風で砂塵となり、風は地に行く手を阻まれる。そんな干渉を、光は受けない。
そのエネルギーがなくなるまで、ただ一直線に疾走り続けるのだ。
この世界のこの惑星も、前世と同じように球体だとしたら。
この矢は大気圏を出て、暗黒の宇宙空間までを貫くだろう。
ぼくが使ったのは、そんな光の魔法だった。
文字通り光の速さで射出されたそれは、細い直線を描き、海の上のそのまた上まで、あっという間に消えていった。
薄暗かった周囲の空間は、魔法の現出と共に、もとの明るさを取り戻す。
沈とした沈黙は、時間が経つに連れて、また騒々とした雰囲気を取り戻していった。
先ほどまで驚天動地といった世界も、すぐに落ち着いていて、何事もなかったかのように、ありのままであった。
些か勿体ぶって溜め込んだにしては、呆気のない魔法だったかもしれない。
ぼくは思った。
何せアキやモエのように、長いこと視界の範囲で留めてはいられないのだから。
いや、勿論やろうと思えば出来るんだけどさ、試験の内容が『海に向かって放て』だから、指示に従ったわけ。
「むう――これは――」
トゥルジロー様はぼくが魔法を現出し終わった後も、なにやら考えごとでもしていたのか、呆っと突っ立っていた。
けれど周りのざわめきではたと我に返ったのか、慌てて器械へ歩み寄った。
さあ、結果はどうか?
今のが、たぶんぼくの生まれて初めての全力全開な魔法だった。
これで数値が悪ければ、能力測定の結果通り、ぼくには魔法の才能はない――適正職が魔術師だったのは置いといて。
頼む。頼む!
ぼくは神に祈った。
普段は全然信じていない豊穣の女神に、心底から祈りを捧げた。
頼む! お願いします!
そして、結果が出た。
「なんだ。見かけ倒しか。
――魔力量たったの5。塵芥め」
ぼくは心に誓った。
やはり女神様なんか信じない、と。