魔術試験⑤
「クルガンの次は当代ベースラインか。成人と共に世代が引き継がれると聞いたが、それは真か」
「子が成人になると共に、先代は座を辞し、後代に譲る。それは私がどんなに若輩だろうと変わりません。
先代の父ナッシュは病で亡くなりましたが、祖母は健在です」
「ふむ。これはすまない。
だが、そなたは随分と謙虚な性質であるな。誰が教育者か?」
「放蕩だった父に代わり、祖母から教育を受けました故」
「覇覇覇ッ! それは良い。あの祖母なら教育に間違いはあるまいて」
――なんだか大人の会話がされているなあ。
モエとは大違いのやり取りだ。是非ともクルガン家の出身として、見習って欲しいところ。
「なによ?」
そんなことを思いつつ横を向いたら、モエと目が合った。
凝、とした視線がこちらを射ぬいている。
なんにも話をしていないのに、そんな視線を向けてくるてことは、モエ、君も自分がどう思われているか自覚しているんじゃない?
ぼくは「なんでもない」と首を横に振る。
当然。ぼくはモエほどのしっかりした教育なんて受けていない、一介の農民だからね。
将軍家のご息女を掴まえて、教育が云々なんて説教を垂れる資格なんかこれっぽちもありはしないのだ。
「では、当代。位置につけ」
「はい」
挨拶が済んだのか、トゥルジロー様はアキを促し試験の開始となる。
アキもやはり平然としていて、その顔色だけでは緊張は窺い知れない。
まあ、この試験は魔力の高低はともかく、今までの修練の成果を測定する場だ。
アキもモエも、きっと誰よりも厳しい鍛練を積んできたと自負しているのだろうから、ぼくみたいに『結果が悪かったらどうしよう』なんて微塵も思っていないのだ。
それはとても凄いことだけど。平民のぼくとしては、彼女らと今現在肩を並べていることが不自然でならない。
同じ受験生と言えばそうだけれど、こんなひとたちと知り合えるなんて、ぼくにとっては正直、重荷だよなあ。
「アキ=ベースラインのこと、どう思います?」
「ええ?」
試験開始を目前に控えたアキの姿を見ていたら、急にリン少年が話し掛けてきた。目をきらきらと輝かせながら。
え、なに。ぼくが彼女に惚れ込んでいると思っているの?
「彼女の魔力、ですよ。クリウスくん。彼女の測定はどうなると思います?」
ああ、そういうこと? なんだ、お兄さん焦っちゃったよ。
「うーん。能力は文句なしに高かったからなあ。きっと物凄い数値が出るんだと思うけど」
モエにしてもそうだった。魔力77という値は、この国の平均値の遥かに上をいくとは言っても、天才とはいかない、はず。
それでも数値結果は、トゥルジロー様を唸らせる程度には高かった。
どんな想いを込めて、どんな訓練を積んで、とは想像が出来ないけれど。
魔術師としての最高峰たる神聖七賢人がひとり、ベースライン様の鍛練が、将軍家に劣るとは思えない。
「じゃあクリウスくん。あなたは、自分の試験はどうなると考えていますか?」
「うーん? 願望としては、アキやモエほどではないにしても、ちょっとは良いと思うけど。800くらいが出れば御の字かな?」
正直なところ、他の受験生の結果を聞いていると、そのくらいがぼくにとっての及第点だろう。
モエの前までの最高数値を出した受験生は、火を起こした。抵抗数値が高いと思われる海の上で。
それを蛇のようにうねうねと空中で動かして見せていた。
器用なことをするものだ、とは最初の率直な感想だ。
ぼくにもできたりするかな? なんて次の瞬間で思ったね。
それで結果が877だった。ぼくにも可能かもしれないことでその数値なら、そこまで高くはないにしても、肉薄できる程度の結果は期待できよう。
モエ? あれは規格外だ。ぼくが『地』の魔法がてんで駄目で使えないことを差し引いても、たぶんあれほどの魔法は現出できない。
八千超の数値なんて、ぼくには夢のまた夢だ。
「いいですか、クリウスくん。魔術とは心の在り方です。気の持ちようで、威力は上がりもすれば下がりもする。他人の結果を見て、『あのくらい』とは考えないで下さい。800までと思えば、800までの結果しか出ませんよ?」
いや、うん。800も出ればありがたいんだけどな。
魔力6のぼくとしては。
ああそうか。リン少年は知らないのだ。
ぼくが魔力がとんでもなく低いということを。
あれ? でも、なんでだろう。
ぼくは魔力6なはずなのに。どうして800も出せれば、なんて大それた希望を持ったのだろう?
「大切なのは己と世界がどうあるか、です。
試験で800までと思えば800までしか結果は出ない。
人生でも、王様になりたいと思えば、どうあがいても王様までにしかなれない。もっと他にいろんな可能性があったかもしれないのに。
クリウスくん。あなたは人が良さそうだから、もう一度言います。
クルガンもベースラインも関係がない。あなたはあなただ。思いきりやりなさい」
――リン少年が、いったい全体何歳なのか、ぼくにはさっぱり判らない。
きっとこんな見た目でも歳上なのだろうけれど。
その口からは、どこか年齢の上下を抜きにした、得体の知れない、重みのある言葉が吐き出されたのだった。
「一!」
そうこうしているうちに、一の合図があった。
ぼくらは会話を一時中断し、試験場を注視する。
途端、膨大な量の魔素が、アキの元に集中する。
あまりの量に、海水や草木、岩石や空気まで、その身を震え上がらせるのではないか、と思うほどだ。
――これは、炎だ。
ぼくは直感した。
今までの受験生は、モエも含めて、魔法は現出するまで、何を操るのか判らなかった。
水なのか風なのか地なのか。それが判断できなかった。
でも今回は違う。はっきりと理解できる。
これまでの受験生たちは集める魔素が少な過ぎた。だからなにが出てくるのか判らなかったのだ。
でもアキは違う。集中する魔素の量が桁外れだ。
そして、その魔素たちが口々に言っている。
これから炎が出ると。
「――二!」
どこか震えを感じさせる二の合図だった。
ぼくも端から観ているに関わらず、背筋に汗が流れるのを感じた。
隣でモエが、うわあ、なんて声を漏らしたのが聞こえた。
ぼくらはみんな揃って、当代ベースラインたるアキが、どういう実力を持っているのか理解した。
――ただ。さらに隣では、リン少年が、相変わらずにこにことしていた。
海の上に現れたのは竜である。
炎を身に纏った、巨大な竜だ。
先ほども蛇のようにうねる火を見たが、これと比べてしまうと、まるで大火の前のマッチ棒としか思えない。
そいつが、こちらを一瞥する。
受験生はみな一様に、短い叫び声を上げた。
あんなのに襲い掛かられたら、ひとたまりもない。
誰もがそれを理解していた。
実際に襲い掛かってくるはずがないというのに、たぶんここにいる全員が、己の身が竜に食われ、炎に巻かれるのを想像した。
アキの放った魔法は、そんな代物だった。
当然、炎竜がこちらを襲撃することはなかった。
彼は周囲をぐるりと見渡したかと思うと、とんでもない速さで、海原の遥か彼方に飛んでいった。
離れていても身を焦がすような熱さは失われ、ただ潮風が吹く、つい先ほどまでの試験会場に戻っていた。
「すごい――」
モエがほとんと独り言のように呟いた。
他の受験生は、ぼくも含めて、声すら上げられなかったから、彼女の立ち直りの早さが伺える。
そのモエの声に、はたと気を取り直したトゥルジロー様は、急ぎ器械に向かった。
果たしてどんな結果が出るのか?
「は、8万912――」
うん、なんていうか。
このときぼくは決心したね。
アキだけは絶対に敵に回しちゃいけない、て。