魔術試験④
「次、119番」
最初の受験生から、既に三時間弱。次からは遂にぼくらの出番だ。
いや、予想はちょっとしていたんだけど、やはり長い。
他の会場は終わったところもあるらしく、ベースライン家の黒服護衛姉妹が合流してきた。終わってしまえば、見学はオーケーらしい。
それにしても、待機時間が長かった。
すんなり穏便に試験を終えたのは、最初の受験生と他に7人くらい。
トゥルジロー様が偉そうに講釈を垂れ、時には叱りつけたり、怒鳴り出したりするから大変。
止める人もいないし、どんどんと時間が押していった。
護衛姉妹のうち、黒髪のパティエラさんにどんな試験だったか訊いてみると、
「魔法を使い、測定値を告知されて終わりです。あんなお話しは頂きませんでした」
太い眉を八の字にさせて、試験官を見ながら答えてくれた。
「三人はどうだったの、結果?」
もう次はモエの出番だ。でも彼女はけろりとしていて、特に緊張した様子はない。
何時間か前はやや強張っていた表情だったか、さすがに待ち時間が長すぎたのか、どこかで緊張の糸が切れたようだった。
「私は893」
「私は901」
「私は883」
それぞれ金髪のミモザさん、茶髪のシェーラさん、最後にパティエラさん。
声も体格もそっくりだから、本当に髪を染めていないと、誰が誰だか判らないな。
それにしても。
「凄いじゃないの、あんたたち。ベースライン家の護衛は伊達じゃない、てこと?」
「「「当然です」」」
モエの質問に、三人は呼吸をぴたりと合わせて、図ったように同時に答えた。
彼女ら全員が900前後なんて、凄いな。
この会場の受験生の結果を都度計算していたわけではないけど、平均は大体350くらいだ。
最低で104、最高で877。
本当に、流石は名家の護衛と言ったところだろう。
「なんだこの結果は! 魔力量97だと? 修練が足りぬ!」
そんなやり取りをしていたら、また怒声が聞こえてきた。
長時間の試験で緊張の糸が切れた、あるいは苛々してきたのは、高名なトゥルジロー様も同様らしい。
低い数値が出ると、ああして声を荒らげる。
なんかもう、待機している受験生は、ほとんどが恐れ戦いているよ。
「モエ、大丈夫か」
アキが小声で問う。でもその質問は、彼女には全く必要ないんじゃない?
「もっちろん! 絶っっっ対にあいつの鼻を明かしてやるわ!」
ぼくにとっては予想通りの返事だけど、アキはどこか安心したように、顔を前へ向ける。
――ぼくのときにも、アキは優しく言葉を掛けてくれるのかな? 掛けてくれるよね?
「次、127番!」
さあ、とうとうモエの出番が来た。
彼女は待っていましたと言わんばかりに、「うしっ!」なんて声を上げて、試験官の元に向かう。
「頑張ってね、モエ」
「クリウス。あんたは自分の心配でもしていなさい。あたしとアキの次で、あんまりにも酷い点数だったら、目立つわよー?」
「むっ。分かってるよ」
そんなこと、重々承知している。
周囲の受験生が気付いているかはともかく、大学校側は当然、モエが将軍家の出身だと判っている。
アキなんて当代ベースラインだ。
この二人、良し悪しはともかくとして、その成績は目立つだろう。
まさか『塵芥』なんて罵声を浴びるような成績だとは、ぼくにはどうしても思えない。
その直後に、またとんでもない結果だったら。
順番が採点基準にならないとはいえ、絶対に目立つ。
特にトゥルジロー様が見過ごすはずがない。
だから、どう頑張ったらいいか正直ひとつも解らないけれど、やってやるしかないのだ。
「次はエスピスト=クルガンが末子のモエか。父親は魔術が苦手であったがお前はどうか。自信のほどは?」
「とうぜん! あなたをぎゃふんと言わせて見せますことよ」
「覇覇覇っ。父と同じく威勢は良いな。
――よかろう、お前の魔術の実力、見せてみよ」
相手が誰であろうと物怖じしない、というのはモエの生来からの性格だろう。若干言葉遣いは乱れているけど。
対してトゥルジロー様は、笑い声を上げた。所詮は小娘、と侮っている態度が見える。
――まあ、相手は名高い神聖七賢人だからね。
トゥルジロー様の実力は解らないけど、きっととんでもなく凄いのだろう。
「では、位置につけ」
「はい」
頷きながらもモエは、既に魔法の準備をしていた。
アキも気付いているのだろう。眉根をぴくりと跳ね上げさせたのを、ぼくは見過ごさなかった。
ぼくはともかく、アキを注視させる大容量の魔素が、モエの周囲に集まりつつある。
「一!」
モエが所定の位置に着いたとほぼ同時。一の合図がなされた。
――瞬間、彼女の周囲を廻っていた魔素が、凝っと一ヶ所に集まっていく。
草木も大地も、目に見えないながらも震えていて、これから起こる現象を予測しているようだった。
「二!」
これまでの受験生と比べて、二の合図のタイミングが早いのではないか?
ぼくにそう思わせるくらいには、僅か数秒だけど、試験官の合図には違和感があった。
でもきっと、モエには関係あるまい。
彼女がこれまでどういう訓練をしてきたかなんて解らないけれど。
今ここぞという場で、最大限の実力を発揮できない、なんて醜態を晒すわけはない。
二の合図と共に、魔術は発動された。
それまで岸壁を打ち付けていた海原は、さっと引いた。
刹那、海上に巨大な岩柱が出現した。
海面から何立寸下に地面があるのかは知らないが、たぶんかなり深い。
試験前にちらりと見たときには、この海にここから落ちたら、身体は浮かんでこないだろう、と思うくらいの深さだ。
――一度海に身投げしてますからね、ぼくは。なんとなくわかるよ。前世で死んだとき、ここに落ちていれば、あんなに苦しまなかっただろうということは。
そんな海底から、モエは岩柱を隆起させてみせた。
いや、柱ではない。錐だ。先端は細く尖っている。何物をも穿ち、穴を開ける錐のような代物。
モエはひとつふたつの呼吸の合間に、それを出現させてみせたのだ。
――すごい、と。ぼくはなんの垣根もなしに感じた。
高さはおよそ5立寸。ぼくの視線からの高さだから、海底から、崖の下から、ということを考えれば、実際の高さはそれを遥かに超えるだろう。
こんなのを身体で受けたら、ぼくがついこの間に倒した飛竜なんて、ひとたまりもない。
大の大人が20人いたって、即座に殲滅させられるような威力だった。
これでモエの魔力は77なのだ。他の受験生がどの程度の数値かは知らないけれど、たぶん彼女より高い数値のひともいたはず。
どれほど厳しい訓練に耐え、どんな強い志を持っていたか。
測定結果を見るまでもなく、モエの現出させた魔法は、それをありありと証明するものだった。
「8237――見事だ、モエ=クルガン。君を秀才と認めよう」
トゥルジロー様はモエの魔法を見るなり、器械にとんでいった。
そして画面を見て、驚いた顔をして、紙ぺらを取り、モエに渡す。
そしてモエに掛けられたトゥルジロー様の言葉は、これまでの受験生のうち、最大の賛辞だった。
「当然ですわよ。どう? ぎゃふんと言ってみてもいいですわよ?」
ただモエ。その言葉遣いはだいぶ怪しいなあ?
敬語、という概念を初めて覚えた子どもが、親に対して使うみたいな言葉じゃない、それ?
「ぎゃふん」
で。
え、まじ?
トゥルジロー様は、真剣な顔をしたまま、立派な鬚をまさぐったまま、確かにぎゃふんと言った。
まさか本当に言うとは思っていなかったモエは、つい先ほどの笑顔のまま、理解できずに固まっている。
ぼくももちろん、アキも、おそらくは他の受験生も、はあ? というクエスチョンマークを頭に浮かべて、硬直していた。
「タカノはね、あれで結構、冗談が好きなんですよ」
一部始終を一緒に見ていたリン少年が言う。
いや、でもさ。
冗談が好きなら、もうちょっと冗談みたいな顔をして欲しいよねえ?
そんなこんな、モエの出番は終わり。
次は、トゥルジロー様と肩を並べる、神聖七賢人がひとり。
当代ベースライン、アキのお出座しだ。