武術試験③
闘技場の形状は円だった。
ぼくは実際に、前世の相撲の土俵をみたことはないけれど、たぶんあの土俵を、一回大きくしたような広さ。それが闘技場だ。
そこに試験官がひとり立つ。剣道の試合のように、審判が三人いるわけではない。
受験生が闘技場に入ったところで、円の外に置いてある、なにやら黒い布みたいなものが被せられた箱大きなから、ごそごそと無作為に武器を選んで渡す。
受験生は一礼をし、試験官の始めの合図で、試験の開始となる。
試験時間は3分しかない。
そんな短い時間で、なにを採点しているのか。ぼくにはさっぱり判らないけれど、たぶん明確な指標でもあるのだろう。
試験が終わると、試験官はなにやら受験票に書いていた。点数だろう。
ほとんどの受験生がダウーさんのことを知らないから、彼がまさかここの在校生だとは思わない。たぶん教師かなにかだと考えているだろう。
うーん。ペーパー試験の採点ならともかく、教員でもない一生徒が、この試験の採点をするって、どうなのさ?
ダウーさんのことを疑っているわけじゃないよ。
ギルドにも登録していて、きっと上位ランク者だ。でないと、あのとき――ぼくがギルドを訪れたときに、あんなに人だかりができるはずないからね。だから実力はしっかり折り紙つき。
ただ、他の闘技場もきっと試験官は生徒なのだ。ダウーさん以外の生徒は知らない。だから、少し心配だよね。
「そこまで。3分だ」
ぼくが思考を回らせていると、二選目の試験が終わった。
考えごとはしていたけど、ちゃんと見ていたからね?
「なるほど。ああいう戦い方で良いのか」
アキがうんうんと頷く。
「一撃で首元を叩き、昏倒させるわけね。相当な実力差がないと無理かもだけど、戦略的にはありか」
モエも感心していた。そしてちらりとぼくを見て、にやりと笑う。
――もしぼくと当たったら、おんなじことをやろうとしているのだろう。ぶるぶる。
なにがあったかと言うと。
片方の、おそらくはかなりの手練と思われる受験生が勝った。
いや、厳密には勝ちではない。相手は降参もしていないし、も場外にもなっていないから。
ただ気を失っただけ。
手練れの方は、開始と同時に、相手の呼吸が整わないうちに前へ踏み込み。
それから相手の剣の中線を揺さぶった。
可哀想に格下の受験生は怯み、打ち込まれると思ったか、咄嗟に目を瞑ってしまったのだ。
その隙に後ろに回り込まれ、反応できない内に、首に一撃。
破って音がして、倒れこんだ。
それで勝負ありだけれど、さっきも言ったように、降参はしていない。もちろん場外でもない。
格上はそれでも、少しも油断することなく、倒れた受験生に剣を向け構えたまま。
で、3分が経過して試験終了。格下は目覚めることはなかった。
「わざわざ待っていなくても、担ぎ上げて場外に連れていけば、もっと早くに終わったのに」
「クリウス。それは違う。場外に引っ張り出すとして、もし何かの拍子で目を覚ませば、彼は必死で抵抗するだろう。体術の使用は許可されているからな。そうなれば、振り出しには戻らないにしても、余計に戦わなければならない。だからあれは正解だ」
「もしかしたら怪我はしているかもしれないけど、このまま目を覚まさないのなら、関係ないわね」
ぼくの素朴な疑問に、優秀な二人は答えてくれた。
個人的には、冷たい床で、意識がないにしても、3分弱の間寝かされているのはどうかと思っただけなんだけど。
つまり。
勝ちを貰うには、気絶した受験生を場外に連れ出す必要がある。
あのやられ方からして、早々すぐに目を覚ますことはないだろうけど、万が一は考えられるよね。
で、もし目を覚ましてしまえば、そりゃあ必死になって戦おうとするだろう。
ぼくなら、あの力量差があれば、すぐに降参しちゃうと思うけど。あれ、すごく痛そうだし。
それを良しとせず、剣を構えたままで3分の経過を待った。
哀れ倒れた受験生は、目覚めることなく、武術試験を終えた。
もちろんすぐに、何人かの試験官ではない――たぶん在校生のお手伝いさん――ひとたちがやってきて、気絶している受験生を担架に乗せて、どこかへ行ってしまった。きっと医務室かなんかだろう。
「怪我を負った受験生は、必ずその試験の直後に、試験官に申し出ること。それが規定だ。直後がどのくらい後まで受け付けられるか判らないが、あれではしばらく目覚めまい。起きたときに異論を申し立てても、受理はされないだろう」
怪我をしているかどうかは、自己申告制だ。特にダウーさんが怪我の様子を確認しているわけではなかったし。
なるほど。相手を気絶させてしまえば良いのか。
よし、作戦はこれで決まりだ!
――ぼくがそんなことできると思う? アキとモエに、屈強な受験生たちに?
ああどうか、ぼくより剣が下手で、ひょろひょろで、弱い受験生と対戦できますように!
――この闘技場の周りに、そんなやつはひとりもいないけどね。
さて。
そろそろぼくの試験の番だ。
いまのところは順番通り、受験番号の若いほうから呼ばれている。
その法則通りいくなら、次は127番のモエと128番のアキの試験。
はっきり正直に言って、とても興味深い。
片や当代ベースラインと、片や末妹とはいえ武術に秀でた将軍家のご息女の対戦だ。
田舎育ちのぼくにはなかなか実感の沸かない肩書を持つ二人だけれども、それぞれの物言いからは相当な自分に対する武術への自信が垣間見える。
きっと凄い試験になるだろう。
「あ、あなたは――」
そんな風に考えていると、なにやら闘技場で動きがあった。
先ほど気絶した受験生を担架に乗せていったお手伝いさんが戻ってきて、なにやらダウーさんに耳打ちする。
するとダウーさんは顔色を驚愕に変えて、そのお手伝いさんを見ていた。
「あの方は――いやまさか、そんな、こんな場所には――」
すぐ近くにいるアキも、なにやら動きがある闘技場の様子を見ていたが、次第に表情は平常から驚きと疑いの色に変わっていった。
「あの子がなにかあるの?」
モエが訊く。アキの視線の先には、お手伝いさんがいた。
彼はこの世界ではかなり小柄だ。
小柄なぼくが言うのだから、きっと間違いはない。
仮にぼくが12歳くらいに見られるとしたら、彼は10歳かそこらだろう。ぼくより頭半分くらいは背が低く、加えて痩せた身体をしていた。
髪は栗色で、赤い瞳の大きな目は、どこか少女ぽさもある。
「――なんでもない。間違いだろう」
アキは頭を振って、モエに返事をした。
でもその顔は、なんとなく合点がいっていない、と言っているような気がするなあ。
「――畏まりました。では、ここはお譲り致します」
闘技場の二人は、小声で何かを話し合っていた。
何を言っているかは聞き取れない。読唇術なんて大層なものを持ち合わせていなかったから、なにが話されているのか、ぼくには分からない。
やや暫くして、ダウーさんはほんの一瞬、ぼくの方を見た――気がした。本当に僅かな時間だったから、気のせいかもしれない。
その視線のすぐ後で、ダウーさんは手にした書類を、お手伝いさんの少年に渡して、闘技場を辞した。どこかに歩き去ってしまったのだ。あれれー?
闘技場に残ったのは、にこにことどこか愛想が良さそうな、お手伝いさんと思わしき少年だった。
「お待たせしました。これよりの試験は、僕が試験官となります」
はいー?
闘技場の様子を窺っていた受験生の大半が、驚きの顔になった。
ダウーさんは解る。年齢はもちろんぼくらよりも上だし、風格があるし、試験官らしい。
でもこの闘技場に残った彼は、どう見たって、幼く見られるぼくよりも若い。頑張っても同年代だ。
その少年がにこにこ顔で試験官をする、と宣言したのだから、事情を知らない受験生は、当然に疑問を浮かべている始末である。
「あんな子どもが試験官?」
分かる、分かるよモエ。ぼくも同じ気持ちだから。
綺麗に整った眉を歪めて、訝しんで少年を見据える彼女は、全く納得がいっていない様子だった。
「――仕方あるまい。この試験に限らず、大学校の受験はあらゆる事態を想定し行われるのだからな。
軍士官となったとしたら、ときには上官が年下、なんてことは往々にして起こりうる。出世をするのは、いつだって実力のある者だけだからな。
モエ。君は上官が若輩に見えるからと言って、至極真っ当な命令を無視するのか?」
「――しない」
「そうだろう。
クリウス。君は、救うべき患者が年端のいかない少年だったとして、その生命は軽んじるのか?」
「そんなことありません」
「そうだろう、二人とも。私たちは自分が国王や首相とならない限りにおいては、常に誰かの部下となる。そして上官や上司が、年下になる可能性は高いぞ。おそらくは、かの少年――らしき人物は、そういう状況を想定させているのだろう」
真顔で説教をするアキに対し、ぼくらはまだまだ納得がいっていないが、理解はして、頷いた。
うん。理解はした、納得はしていないて感じだ。
だってさ、アキ。その喩えは無理があるよね?
彼女がなにを知っているのかは分からない。まあ、あの少年のことなんだろうけれど。
ただ、なにを匿おうとしているのかは、ぼくにはさっぱり予想できなかった。
「では、次の試験に移ります。
――127番と203番の方。闘技場に」
三人で顔を見合わせていると、そんなことは全く関せず、新しい試験官が言う。
手にした書類に目を通したかと思うと、呼んだ番号は、これまでのように若い順でなくなっていた。
モエは大変なしかつめらしい表情だったが、文句を言っても仕方ない。なんて思っているのだろう。「行ってくる」と短く告げて、闘技場へ進んでいった。
ぼくとしては、モエと当たらず良かったと胸を撫で下ろした。
次は番号の若い順だと、ぼくはアキと当たってしまうのだが、この調子であれば、それは回避される。
もしかして、知り合い同士の試験は回避されたりするのかな?
まあそんなことを判別するのはきっと不可能だし、ここの試験なら、たぶん逆に、知り合い同士を対戦させようとするよね。
ぼくはモエの背中を見ながら、そんなことを考えていた。
なにはともあれ、彼女の応援はしないとね。