お受験③
「あ、あ、あ、貴女は――」
「私が何者でも関係ない。なんの騒ぎだ、と訊いている」
つい先程までの猫撫声はどこへやら。ナンパな男は、その少女の顔を見るなり、勢いをなくしていった。
この界隈では有名なのだろうか? 村から出てきたばかりの田舎者のぼくには、彼女が何者なのかさっぱり分からない。
テレビもインターネットもないからね。
アイドルも芸能人も、首相も国王も、誰の顔も知らないよ。
でも都会に住んでいたりしたら、入ってくる情報量も違うのだろう。
「聞いてよ! こいつときたら、しつこく口説いてくるのよ! あたしが嫌だ、て言っているのに」
「そんな人聞きの悪い。へへへ、俺は単に、今夜の食事を一緒にと誘っていただけですぜ」
確かに、ナンパ男の言い分は間違いではない。ないけれど、大変に長い時間、あれを続けていたかと思えば、嫌がらせだよね。
「まあ、君らの騒ぎを聞いていた者はここにたくさんいる。同時に、私がくるまで知らぬ存ぜぬを決めていた者たちが、たくさんな」
言って赤髪の少女は、細い腕を胸の前で組んで、凝と周りにいた無言の観衆を見回す。
ぎくり、とした。
見兼ねて助太刀を、とは考えていたものの、実際にはぼくも観衆のひとり。
『いま助けるところでした』なんて、誰でもできる言い訳だよねえ。
ぼくは逃げ出したい衝動に駆られながらも、どうかここは穏便に、ナンパ男がさっさと謝って、場がまあるく治まるように願った。
「――で、どうなんだ、実際のところは。クリウス=オルドカーム」
げえっ!
直でこっちに来たよ!
昨日のあのときに、あの場にいたから、ぼくの名前は知っていて。
しかもこの騒がしい一団は、ぼくのすぐ後に来たから、群衆の中にいるのならともかく目の前にこんなちびっ子がいたら、そりゃあ目につくよね。ぼく。
あ。周りにいた、他の知らぬ存ぜぬを決め込んでいた受験生たちは、一斉に逃げ出し――というか、こちら側と距離を取った。
ざざざー、と音でも聞こえそうなくらいに、周りからいなくなった。
結果として、ぼくとナンパ男と、美女と、厳つい三人組を従えた少女。この六人がその場に残った。
「クリウス=オルドカーム? どうだったのか、と訊いている」
「ひ、ひゃい! か、男の言い分はあながち間違いではないかと存じますが、些か粘着し過ぎだったかと。あれでは嫌がられても文句は言えません。ぼくは細やかながら美女に助太刀しようと存じておりました候」
冷たい印象のある翡翠色の瞳で睨まれた途端に、ぼくは反射神経のごとく言葉を並べ連ねた。
冒頭で声が裏返ってしまったのと、後半は言葉遣いが怪しくなってしまった。
しかも咄嗟に、『美女』とか言っちゃったよ。
なにあれ、あの瞳。睨まれると心境を全て吐き出さなければいけなくなる魔眼かなにか?
「――よく分かった。おい、おまえ。自分では善かれと思っていても、他人にとっては迷惑なこともある。分別はつけるように」
「はい!」
あれ。
ぼくのあの変な返答だけで、少女は事を丸く治めちゃったぞ。
ナンパ男は気を付けの姿勢をして高らかに返事をした。
それからそそくさと足早に、ぼくの前方、観衆がいる輪のなかに逃げていこうとする。
「後で覚えておけよ、このチビ」
彼は逃げ出すとき、ぼくの横を通り過ぎるときに、小さく言った。
うん、全然丸く治まっていない。
あと、後から来たおまえがそっちに逃げたら、それは横入りだ!
「ありがとう! あいつしつこくて困っていたんだ。なんせ宿を出てからずっーと声を掛けてこられたからね。助かったよ」
「なに、当然だ。礼は要らん」
ナンパ男がいなくなった後、美女はそう言って笑い、許可もなく少女の手を取った。
少女はその瞬間に、やや顔を顰めたが、すぐに平静に戻って言葉を繋げていた。
「あたしの名前はモエ=クルガン。あなたは――当代ベースラインよね」
「ああ、そうだ。アキ=ベースラインが私の名だ。
自己紹介の手間が省けて嬉しい。
そしてそういう君は、クルガン将軍の子息か?」
「ええ。将軍エスビスト=クルガンが四女、モエよ。よろしくね!」
うわわ。
なんだかよく判らないけど、とんでもなく高貴な御家の面々だったようだぞ、この二人。
ぼくは将軍の名前は知らないけれど、当代ベースラインは知っていた。
小学校で習ったのだ。
大災害の後、人々は文明の復興のために働いた。それはそれは、大変な仕事だった。
その際に真っ先に陣頭指揮を執って、平穏な日常を取り戻さんと奔走した人物。それがベースライン。
正確にはベースラインという家名を持った誰か。
先史文明の生き残りであり、優秀な可学者であり、魔術師だった彼は、高い指導力で、滅び行く人類を救った。
家名は子々孫々に受け継がれ、現代にまで続く、いまの世界で現存する一番古い家名、それがベースラインである。
――以上、丸暗記した教科書の引用終わり。
そこにさらに付け加えるなら、家長は当代と名乗る(まあどちらもほとんど同じ意味だけど)。
当代は兄弟のうちで最も優れた魔術師であり、可学者である。
そして、当代は総じて、紅い髪をしている。
紅い髪の人間を見たら、それを真っ先に疑え。
こちらは、小学校での教師の一言だった。
確かに、前世でも赤色の髪をしたひとなんて、ほとんど見かけなかった。染めているのは別として。
古き名作で『赤毛のアン』なんてものもあったけど(そしてぼくは読んだことがなかったけど)、実際にはかなり珍しい髪質だ。
この世界でも、お目にかかるのは今日が初めてだ。
そんな、田舎者のぼくでも知っていることなのだから、ナンパ男も当然知っていたのだろう。紅い髪がどういう存在なのかを。
そりゃあ、突然畏縮してしまうのも無理はない。
というか。昨晩のぼくが、なんでギルドで見掛けて、それに気付かなかったのか、という方が問題だよね。
「ところで――彼、知り合いなの?」
モエ、と名乗った美女が、こちらを指差して問うた。
自己紹介はすっかり終わって、謝辞もたっぷり済ませたらしい彼女は、じとりとした視線でこちらを見ている。あまり良い印象を、彼女はぼくに対して抱いていないようだった。
当然だけどね。
なにが『助太刀しようと存じておりました候』だ。実際に助太刀していなかったらなんの意味もない。
アキ、という当代ベースラインがこちらを名指ししてこなければ、もしかしたら何もしない傍観者のひとりだったのかもしれないのだ。
「いや。私は知っているが、互いに知り合いではない」
「じゃあ彼、クリ、なんとか君。アキに対して自己紹介もしてないわけ?」
うん、なんだか段々と、美女の怒りがこちらに向いてきた気がする。
違うよね、悪かったのはあのナンパ男であって、ぼくではないよね?
そこのところ、勘違いして欲しくないなあ。
「私が知っていたのは偶々だ。クリウスが私を知らないのも無理はない」
「当代ベースラインを知らないのなんて。未開拓文明の先住民じゃないんだから」
おいおい。
ぼくはインディアンかアボリジニかなんかですか。
――いや、決してインディアンもアボリジニも馬鹿にしているわけじゃないよ。
この美女、モエ=クルガンさんも、さっきからの話口調で察しはついていたけれど。
彼女は彼女で、ナンパ男とはまた別の方向で、厄介そうな人物だなあ。
ぼくがそう思い、頭を悩ませていると、
『お集まりの受験生の皆様、これより受付を開始します。
押し合わず慌てず、静かに入校しなさい』
そんな大きな声が聞かれた。
受付と思われる華奢な女性が、拡声器で呼び掛けを始めたのだ。
静かに、と言われていたが、それなりの時間を待っていたであろう数百人の受験生たちは、やや騒々としながら歩き出した。
「受付が始まったようだ。お前たち――は、別々で入れ。私はモエと行く」
女子二人の注意がぼくから離れた。
助かった。いいタイミングだよ、受付のお姉さん。
そして、背景と化していた三人組のお兄さんたちに指示を出す、当代ベースライン。
え。なんで彼らがいるかと思っていたら、護衛とかではなくて、もしかして受験生?
全く同じ年齢とは思えないんだけど。
言われた三人は、揃って頷き、ぼくらとは別々の列に紛れ込んでいた。
紛れ込むとはいえ、その三人、すごく身長が高いから、どこにいるかすぐ分かる。便利だな、あれ。
「では行こうか、モエ」
「ええ。受験なんて堅苦しいの、不安だったけど、あなたと一緒なら心強いわ。アキ」
なんか知らないけれど、二人は仲良くなっているようだ。
身長の高いモエ、という美女と、当代ベースラインのアキ。彼女らは並んで歩いていく。
アキは身長が低い。まあ低いとは言っても、たぶんぼくと同じくらいだろう。
そんな凸凹コンビが、並んで試験を受ける。
大層奇妙な光景だ。片や大きい方は将軍の娘だし、片や当代ベースラインというから、知っている人間からすれば、それはそれは奇妙な光景だった。
だけれど。ひとつだけ言ってみても良いだろうか。
「二人とも、横入りだよ」
ぼくは溜め息を吐きながら、とぼとぼとついていった。
紆余曲折はあったけれども、いよいよ、受験が始まるのだ。




