〔拾柒〕厳しさと思いやりは紙一重。
何やら儀式でも行っていたのか、神職のような装束に身を包んだ美咲先生。ぼんやり僕を見てから再び目を閉じ、少し間をおいてから絞り出すように、掠れ気味の声で弱々しく言う。
「…り。立花君。あなたが。あなたが無…」
無事で良かった。あるいは、無事で何より。そう言いたかったのだと思う。唇をへの字に結び、涙こそ見せないものの、感極まったように声を詰まらせた。そんな美咲先生のことが僕は、たまらなく、どうしようもなく不憫でならない。
「大丈夫。僕が来たからには、何も心配ありません。もう大丈夫ですからね」
きちんと確かめたわけではない。確かめられるか、そんなこと。
が、そんなのは、確かめるまでもないことだ。あのとき美咲先生は、人身御供になる覚悟だった。
だからこそ、あれほどだらだら時間を費やし、回りくどくも、妖鬼との始まりとその因縁、知られざる歴史の授業までもした。それは、自分が妖鬼に敗北した後、やがて狙われる僕のために。また、妖鬼を知り、妖鬼を語り継ぐ者を残すために。
きっと今回だって自分は二の次。僕に及ぶであろう危険を案じ、命懸けで妖鬼と戦ってくれたはずだ。
「はて。けど、何です? 僕が無事ってのは、何のことでしょう」
だから、僕は空惚けることにした。これ以上、美咲先生が自分を責めたりしないように。不甲斐ない自分のせいで妖鬼が封印の外へ逃げ、不甲斐ない自分のせいで僕が狙われたのだと思わぬように。
「僕は靴と靴下を取りに戻っただけですよ。ついでに、お借りした草履を返しに。したら、美咲先生が妖鬼に襲われたと皆に聞かされ、慌てて本堂へ」
「…よかった。立花君。無事でいてくれて。よかった。本当に。本当に…」
だよな。判っちゃいたけど、そんなの誤魔化せるわけないぜ。
まあいい。何れにせよ、あまり喋らせてはいけない気がする。
「こほん…。いや。まあ。その。はい。そのように無事を喜んでいただき、とても嬉しく思います。ですが、今は安静―――」
「な? あなたは。あなたは由良君の…?」
そうか。まだこの儀式が残ってたか。
「こんばんは。お邪魔しています。義腕の具合は如何ですか?」
「立花君? これは、どういうことです?」
「はい。甲でして」
途端、まあっ、といった感じに(以下略)。
「美咲先生。とにかく今は安静第一。妖鬼に二度も胸を衝かれたと聞きましたが、痛みませんか? 他に怪我したところはないですか?」
「…立花君」
「何です? どこか痛みますか?」
「ありがとう…」
やれやれ。何を言っているんだかな。
「困りますね。こちらの台詞を取られては。こうして僕らが無事でいるのも、あの握り飯のお陰でしょう。でなけりゃ今頃はどうなっていたことか」
「ううん。それ以前に、わたくしが妖鬼をきちんと食い止めていれば、誰も危険な目に遭うことはなかった。何もかも、すべてはわたくしの責任なのです」
…ったく、この素敵美人な担任教師は…。
「わかりました。わかりましたから、黙って。もう喋らないほうがいい」
くそっ。結局、自分を責めさせて、何をやっているんだ僕は。
「ほら。呼吸も苦しそうじゃないですか。しばらく喋っちゃ駄目ですよ」
「でも、不甲斐ない自分が許せな―――」
「喋るなっつってんだろっ!」
「……………。」
よし。これでいい。あとは、何処か安全に休めさせられる場所はないものか。
「百合寧さん。少しの間、美咲先生のことをお願いしても?」
「はい。お任せを」
僕は二人と距離を取り、例の六人に相談した。すると―――。
「小僧さんの気持ちは理解るし、あたいらだって同じさね。けど、絶対安全な場所なんてのは何処にもないね。ま、仕方ないさ」
「…はい。ですよね…」
ぴんと閃いたのだ。封印の御札を観音扉の外に貼り直し、二人を本堂の中に隔離する。その上で、やがて追って来るであろう妖鬼を、僕が坑道で待ち受けたらどうかなと。
でも、良く良く冷静になってみれば、それは現実的な案ではなかった。
数百年も前に人間の手作業だけで掘られた坑道。そこは、あまりにも狭く暗く、あの妖鬼と戦うなんざ、ましてや討ち取るなんざ、とてもじゃないが無理である。
それに、運悪くそこへ新たな妖鬼が顕われでもしたら、あれほど弱っている美咲先生は恰好の標的。仮に美咲先生が対象外だったとしても、その標的が百合寧さん一人に絞られるだけだ。
「立花殿。何にせよ、今は支度をするのが先でござろう。ないもの強請りをしても始まりますまい」
まったくの正論に僕は気持ちを改め、無言で首を縦に振った。
「百合寧さん。美咲先生を、なるたけ遠く離れたところへ」
「はあい」
ま、当然ながら、まだまだ立ち上がるどころか、ろくに手も足も動かせず、ぐったりしたまま静かに目を閉じている美咲先生。
その脇下に両の腕を滑り込ませ、引き摺るように隅っこへと運ぶ百合寧さん。
奥には、こちらに背を向けた観音像。見ているだけで吸い込まれそうな、黒より黒き深黒が渦を巻き、妖鬼は、そこからやって来るらしい。
そう。僕としては、新たな妖鬼が顕われないことを、切に願うばかりである。
「小僧。随分と余裕だの。言うとくが、わらわには人間が木乃伊のように乾涸びてゆく様を見て目尻を下げるような悪趣味はないでの?」
「立花さん。手鏡は美咲さんが持っているんです。急いで受け取ったほうが」
「懐中時計もね。キミに、休んだり惚けている暇なんてないわ。早くなさい」
「あたいの鉄砲もさね。言っただろう。ぐずな男は嫌いだよ。ちゃっちゃとおし」
「ま、仲間入りがしたいというのなら、わらわは歓迎してやっても構わんがの?」
おめいらには、頑張っている人間を労おうとか励まそうとか、そういう気持ちはないのかよ。




