表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

46/70

〔陸〕自覚はなくとも、罪は罪。

「兄上? そのような物を」

「一体、どうなさる―――」


「しっ…」


 かちりと右手で鯉口を切った僕は、諸捻り巻の柄を左手に掴み、二尺三寸五分の刀身を、(ほお)の白鞘から一度に抜いた。


 重畳、重畳。相変わらずの美しい刀文。僅かな煤けも翳りも―――っちゅうか、粉打ちしてから日も浅く、早々、錆びてもらっちゃ困るが。


 ちなみに、刀剣の手入れをする際は、懐紙を口にするのが作法。うっかり喋って唾を飛ばさないための心得で、昔ながらの仕来りである。


 尚、本来は(くろ)()色塗(いろぬり)刀拵なのだが、わざわざ、そいつを白木の素鞘に納めていたのは、漆塗りの鞘だと気密性が高く、その()()が錆を誘うから。


 折り返し鍛錬によって不純物が弾き飛ばされ、可能な限りの純粋無垢な鉄で()()られた真剣とは、つまり、それくらい錆び易く、僕が二号の言葉を制止したのも、その息や唾が刃に掛かれば、それだけでも、錆の浮く()()となるからだ。 


 僕は従来の黒鞘に刀身を納め、ふと、だらしなく口を開いて天井を仰いでいる、何とも寒々しい姿の由良に視線を落とした。


 ま、風邪くらいは引くかも知れんが、このまま放置で問題ない。


 むろん、これは、きちんとした根拠あっての判断だ。


 そう。妹達(ふたり)()であるように、そもそも、僕のような人間自体が、極々、極めて稀少な存在。つちのこ―――いや。まあ、こうして実在している以上、つちのこは言い過ぎだとしても、天然記念物並みには稀少。また、だからこそ妖鬼は()()()()来た。稀少な()を探し求めて。


 であるからして、懸念は一切何もなく、今すぐ、さっさと逃げ出したい。


 いいや。一心不乱、一目散に、是非とも逃げ出すべきなのだ。


 けれども、()の出所が判らない。妖鬼は、家の内なのか外なのか、何処から姿を顕わすのか、皆目、見当も付かないのだ。判っているのは、近くにいるということだけ。そんな状況で下手に動けば、蜘蛛の巣に掛かる蛾のように、飛んで火に入る夏の虫。末路は言うまでもないだろう。


「おい。お前達。由良を―――」


「いけません、兄上。幾ら屑でも」

「殺めれば、罪は罪ですわ、兄様」 


 昏睡するほど蹴り飛ばすのは罪じゃないのか。


「お前達の兄は、頭のおかしい殺人鬼か。馬鹿を言っていないで、()()()()由良のことを看ろ。お前達が蹴り飛ばしたんだろう?」


「はあ…」

「まあ…」


「なら、少しは責任を感じたらどうだ。ほら。意地悪をせず、布団くらいは掛けてやれ。それと、無闇やたらに蹴り飛ばすんじゃない。腹が立っても、なるたけ我慢するように。いいな?」


「…兄上。何やらよくわかりませんが、本当にお疲れのご様子で」

「少々お待ちください。すぐに寝床の用意を致しますわ、兄様…」


 僕の台詞の何処を聞いたら、そういう結論に達するのか。


「いや。構うな。寝床の用意よりも」


 留守を頼むという発言に、鳩が豆鉄砲な一号・二号。


「は? 留守? 今から何処かへ」

「お出掛けになられるのですか?」


「…ああ。どうしても、退っ引きならない事情でな…」


「もしや…」

「まさか…」


 と姉妹は、兄の不審な行動言動に、鋭く何かを察したらしい。途端、表情を硬くした。


「兄上? もしかして、またもや闇の者達が?」

「ちょっかいを出して来ているのでは? 兄様」


 闇の者達、…か。たしかに、()()()()()()には違いないが。


「いや。()()()関係ない。知っているだろ。闇側だったら、三矢達が黙っちゃ…」


 …そうだ。これだけの危機的状況になっても未だ、どちらも姿を見せやしない。

 てことは、やはり闇側は関係ないのだ。でなきゃ、気づかないはずがない。僕を放っとくはずがない。何を放っても駆け付ける。


 なら、何だ。結局、妖鬼って何なんだ。


 ()にとって、そこに妖鬼は存在しない? それは、妖鬼の側も然りである?


 んじゃ、あれか。二次元の存在は三次元の存在を認識しないとかいう、馬鹿げた架空の理論ってやつが、現実に目の前で起きているってのか?


 …ったく。仮に、そうならば、これから必ず矛盾しますと断言した美咲先生の、予告どおりというわけだ。


 ()である僕は、妖鬼と同じ次元の住人。


 故に、妖鬼の姿も認識可能。歯軋りの音も鼓膜が拾うし、物理的干渉に於いても問題ないのは、すでに実証済みである。


 その点、()である一号・二号は、妖鬼を認識していない。何故なら、同じ次元にいないから。


 まあいい。ここまでは。


 しかし、だ。だとしたら何故、妹達(ふたり)は僕という存在を認識している?


 とまあ、矛盾も矛盾。架空の理論云々どころか、屁理屈にすら成らないし。




 “ ここっこっこっこっこここっこっ”




 ぎょっとして僕は、慌てて部屋を飛び出した。


 幅一間ほどの、薄暗い板敷き廊下である。そこへ乾いた音が反射(こだま)する。 




 “ こっこっこっこここっここっ”




 間違いない。妖鬼の鋭い鉤爪の先が、床板を小突く音である。


 良くも悪くも、何れにせよ、歯軋りのような曖昧さはなく、明確に鼓膜へと届くその音で僕は、妖鬼の位置現在を把握した。


 もう、すぐ()()。妖鬼は、回廊を折れた先にいる。


 あ。駄目だな。この位置じゃ間に合わん。どうあっても逃げ切れんぞ…。


 と状況を瞬時に理解した僕は、唖然として見る一号・二号に厳命した。


「お前達。絶対、何があってもだ」


「は?」

「ほ?」


「部屋を出るな。一歩たりとも、そこを動くな。絶対、僕に近寄るな」


「あの。兄上? それは一体」

「どういうことです? 兄様」


「それが、不慮の事故であったとしてもだ。お前達だって…」


 剣の達人なら、いざ知らず。大刀を振り回せるような広さはない。


 僕は、柄を握る左手ではなく、鞘を掴んでいる右手のほうを、やや後方へと引くように抜刀した。


 次いで、空いた黒鞘を腰の右側に挿し、怪訝な表情の妹達(ふたり)に続ける。


「…嫌だろう? 兄に刀で斬られるのは」




 “ ぎぎっぎっぎっぎっぎぎぎっぎょりっ”




 もういい。何故とか、どうしてとか、そんなことは些事である。


 美咲先生の安否は気になるが、そいつも現時点(いま)は、どうでも良い。


 来やがった。身の丈、およそ七尺。本堂で討った妖鬼を漆黒とするなら、今度の奴は、薄っすらと()()味を帯びている。しかも、圧倒的な威圧感と存在感は遥かに格上。恐ろしい()()、が表情なのか顔立ちなのかは判らんが、こちらを睨んで仁王立ち。これがアニメや漫画なら、描写は【ゴゴゴゴゴゴォ…】といったところか。


 はて? ところが、どうしたことだろう。緊張しまくる僕の警戒心とは裏腹に、聞いていたような電光石化の動きは見せず、じぃっと立ち止まったまま。


 …何だ。こいつ。こいつは何をやっている。どうして動かない。


 んんっ? ひょっとして、もしかしてだが、何かを待ってやがるのか? まさか僕のほうから? 攻撃するのを? 待っている?


「天松くん」


「っ…!」


 やれやれ。こんなことばかり続いたら、心臓が幾つあっても足りないぞ。


 背後から不意に声を掛けられた僕は、素で飛び上がるくらい愕いた。


「あ。これが有名な生剝(なまは)げね?」


「へ?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ