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〔参〕歴史の六割方は創作である。

 本能寺の変から三年。時代が秀吉に味方していることを悟った家康は、恭順こそしないものの、とくに反発の姿勢を見せることもなく、すべてを流れのままに任せました。


 その一方で、拠点にしていた岡崎周辺の各城を大改修。家臣に厳命し、西三河と呼ばれる地域一帯に、盤石な砦を幾つも築かせました。


 何故ならば、不撓不屈の三河武士に併せ、()の戦闘集団・甲斐武田の残党までも吸収していた徳川軍は諸国最強の呼び声も高く、それを疎ましく思う秀吉が、いつ何時、何処から攻め寄せて来るか判らない。いつの世も出る杭は打たれるもので、家康としては、そうして強固な守りを築き上げ、それまで以上の臨戦態勢で防衛に当たるしかなかったのです。


 尤も、北条氏が無傷開城で降伏し、拠点である小田原を明け渡したことで事態は一変。そのような危険分子をいつまでも目と鼻の先に居座らせていては、落ち落ち世継ぎ作りに励むことも出来ず、強大な軍事力を恐れた秀吉の下知により、小田原征伐の最先鋒を務めた家康は論功行賞という名目によって、遠く箱根の向こう側、関東へ移封されてしまいます。


 尚、その際に家康が新たな拠点として選んだのが、荒れに荒れ果てた大湿地帯。寂れた寒村ばかりが目立つ、江戸と呼ばれる土地でした。


 むろん、戦の功を認められ、その褒美として関東八州を任されたわけですから、小田原でも鎌倉でも、より好い条件の調った、より好い土地を選ぶことも出来たでしょう。


 しかし、それでは秀吉の思う壺。ああだこうだと謂れのない言い掛かりを付けてくることは火を見るよりも明らかで、それを切っ掛けに、徳川を滅亡へと追い込む狙いの罠であることを、家康は見逃さなかったのです。


 小田原には、難攻不落と謳われる大要塞・小田原城。二十二万もの大軍勢に包囲され、最後の最後は開城こそしたものの、その実、一角たりとも落とされることのなかった、堅牢強固な巨城がある。


 また、鎌倉は三方を山に囲まれた天然の要塞。さらに言うなら、嘗て鎌倉幕府が栄華を極めた、武家にとっての古都でもあります。


 それらを選べば、やがては豊臣家の御旗に弓を引き、天下を狙う魂胆だろうと、つまらぬ難癖を付けられる。


 第一、何より秀吉は、家康に江戸を強く推したのです。もしも難色を示そうものなら、どんな因縁を付けてくるか、それこそ判ったものではありません。


 事実、信長の次男坊・織田信雄(のぶかつ)は、転封命令に不服を申し立てた結果、激怒した秀吉に、すべての所領を没収されてしまったのです。


 逆らっても損をするだけ。熟考に熟考を重ねた家康は、忍耐の上に忍耐を重ね、また、敵対の意思がない証として、関白・秀吉公から薦められたとおり、潮入りが酷く、日々の飲み水にも困るほど粗悪な地、江戸を選ぶしかなかった―――という感じで間違いないですか?





『へ…?』


『あのね。立花君。へ…? じゃないでしょう、へ…? じゃ』


 と言われましてもね。


『あなたも学生なら、当然、これくらいの歴史は授業で習っているでしょうに』


『…いや。まあ。その。多分。そういう感じで間違いないような気がしなくもないような気がしてしまう次第の今日この頃かなと思う次第で…』


『結構』


 つまり、どうでも良いんですね。


『が、実際の秀吉は、家康の手の平の上で踊らされていた猿でしか―――むぅ?』


『いやいや。実際の秀吉って。じゃ、何か違うんですか?』


『すべてとは言いません。ですが、ろくに記録手段もなかった何百年も過去の歴史などというものは、概ね六割が捏造です』


『まさか、六割も?』


『あのね。立花君。そろそろ理解なさい。いいですか。現在、語られている歴史の(もと)を正せば、当時の家臣達が主君の御機嫌を窺いながら適当に綴った走り書きやら書簡やらを、どこぞの学者やら研究者やらが、これまた縁のあった社寺やら資料館やらから寄せ集め、矛盾のない物語に編集しただけの、言わば、尾鰭背鰭に羽まで付いた創作物に過ぎないのです』


 …そ。そこまで言いますか。しかも、その口が…。


『小牧・長久手の戦いに於いても、徳川は豊臣軍を撃破していますからね。信雄が秀吉に篭絡されたりしなければ、そのまま勝利を収めていたでしょう。その後も、講和条約こそ結んだものの、秀吉は家康のことが恐くて恐くて、実母を人質として差し出したり、妹を正室に宛がったりと、あの手この手で形振り構わず。元より、信長の小者として奉公していた身分の低い秀吉に、矜持なんてものはありません。どれだけ浅ましく思われようと、どれだけ陰で笑われようと、天下人になれるなら何でも良かった』


『てことは、もっと早くに取れた天下を、家康は情を掛けて譲ったと?』


『そうですね。その気になれば、もっと早くに…。なので、譲ったのは確かです。けど、情を掛けたわけではありません。家康の目指す理想の国づくり。それを実現させるには、未だ時期尚早であるとの判断です』


『ほう。なるほど…。もしかして、それが先ほど言ってた、()()()()()()()()()()()()()()って台詞の、隠れた真意ってわけですか』


『結構。きちんと内容を理解しているようで、先生、嬉しく思います。うふふ…。ますますちょっぴり見直しましたよ?』


『なら、お替りと言っちゃ何ですが、もっと聞かせてほしいですね。是非』


『いいでしょう。その代わり、お味噌汁のほうもお替りしなさい。ほら。お結びも食べて食べて』





 身の丈に合わぬ分不相応な権力を得れば、それが亡き主君への鎮魂か、それとも単なる猿真似か、何れにせよ、代わりに野望を成すべく図に乗るであろう秀吉の、行く行く先々、その動向までも読んでいた家康。


 このまま岡崎におったれば、関白様は、参戦せよと強いるであろうな…。


 そう。秀吉が生涯忠誠を誓った亡き主君・信長の掲げていた野望とは、天下統一だけに(とど)まらず、果ては大陸制覇です。


 秀吉の天下統一まで、残るは関東の北条氏と奥州の伊達家くらいなもの。それが済めば、まず手始めに朝鮮半島への侵攻。それに伴う出兵が予見されました。


 だからこそ家康は、秀吉が天下統一を成すまでに、西三河一帯に頑強な砦を築き固めておくよう、家臣達に厳命をしたのです。そう。そこには、防衛という目的の裏に、もう一つ狙いがあった。


 …狡猾ながらも臆病者。否。臆病故の狡猾か…。眼前に、これだけの砦を並べてやれば必ずや、あの猿は、(わし)を箱根の向こうへと追い遣るはずよ。


 と、そうした狙いどおりに小田原征伐後は、秀吉から関東への国替を下知され、家康は律義な従臣を演じつつも、長きに亘り切望してきた江戸の地を、ごく自然な成り行きの形で、まんまと手中に収めたのでした。


 また、箱根の向こうへ移封されたことで、当然ながら出兵も免除。九州、四国、中国、山陰あたりの諸大名が疲弊してゆく間も、家康は家臣と共に歪な野山を切り拓き、大地を耕し、兵力を高め、財を築き、着々と野望に向かって邁進。


 儂の理想郷。そのための国づくりよ。それには、膨大な時間が掛かるであろう。ならば、天下人になってからでは遅いのだ。今はただ只管に下準備のため、持てる時間を無駄には出来ぬ…。


 そのように強い信念を抱く家康は、満を持して江戸という荒れ地の、まさに前代未聞、空前絶後な大都市計画に着手したのでした。


 その際、家康は多くの助言を、天海と呼ばれる僧侶から―――むぅ?





『すみません。単刀直入にお訊ねしますが』


『何です?』


『その天海とかって坊様が、じつは光秀なんですか?』


『むぅ? 立花君。それを誰から?』


『いや。誰からというか、前に紅頭の部屋でテレビを観てたら、その手の番組が』


『…あのね。立花君…』


『はっ。はいっ?』


 なんちゅう()()をしとるのか。


『先生に、二度と彼の名前を聞かせないで』

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