〔拾捌〕慣れるって怖い。いつしか癖になっている。
「何故だ。何故。どうして。天吹さんはともかく、三矢まで」
物に当り散らしたところで、何が変わるわけでもなし。
なのに、役立たずな三矢に腹を立て、ついつい、強めに受話器を下ろした僕は、それを傍らで見ていた美咲先生から、何とも優し気な声で諭された。
「まあまあ。立花君。いけませんよ? 乱暴にしては」
「…す。すみません…」
「その方は常に彼女と、天吹さんと行動を共にしているのでしょう?」
二十四時間、四六時中。それが唯一の目的ですから。
と、それでは危ない変質者にまってしまうので、僕は黙って肯いた。
「でしたら、当然。天吹さんに繋がらないのなら、その方とも繋がらないのが道理というもの。圏外。あるいは、電源を切っている。共に行動し、共にそうした状況なのでしょうから」
「それじゃ、携帯してても意味がないだろ、あの糞ったれがっ!」
「立花君。糞は誰でもたれますよ。あなたも、わたくしも」
…あの。想像しちゃうから、やめてください…。
「気持ちは理解りますが、罵ってみても詮無きこと。そのように腹を立てただけ、怒り心頭になった分だけ損というもの。ね? 少し落ち着きなさい」
何だかな。出来の悪い、癇癪持ちの弟が、姉からお小言を貰っている気分だ。
「あ…」
「むぅ?」
「ところで、美咲先生は?」
「はい? わたくしが、何か?」
「携帯電話。今どき、お持ちではないのですか? この時世に」
ふとした素朴な質問に美咲先生は、ああ…、と若干の間を置いてから、あなたに言われるのも心外ですが…、と苦笑した。
「そうですね。以前は持っていたのですが、今は…」
何でも、携帯電話に限らず、電気製品が苦手らしい。
ただ、苦手なのは美咲先生ではなく、電気製品のほうだとか。
「丁寧に扱っているはずなのに何故か、すぐに壊れてしまうのです。とくに、電子制御されているような精密機器は」
何度も買い直したが無駄なので、結局、解約したらしい。
「なるほど。そうでしたか」
まあ、当人が何も言わないので、電子制御されているような精密機器、その親玉みたいな義手については、僕も言及しないでおいた。
「立花君。何れにせよです。一先ず、今日のところは帰りなさい。あまり遅くなる前に」
「へ?」
「車を呼んであげましょう」
「ですが、しかし…」
この人は、自分の置かれている状況を理解っているのかな。
「刀を届けてくれた御駄賃として、車代は先生が支払います」
「いや。そんなことはどうでもいいです。僕が言いたいのは―――」
「大丈夫。心配ありませんよ。あなたが護符を貼ってくれたので」
と屈託ない笑顔で言った美咲先生に僕は、それでもしつこく確かめた。そりゃ、確かめずにはおられまいよ。
「本当ですか? 本当に大丈夫なんですか? あの薄汚れた紙切れが? そこまで信頼に足りるほど? そんなに?」
「あのね。立花君…」
と美咲先生。心配はとても嬉しいが、妖鬼だって、そうそうほいほい顕われたりしないと、かなりの自信を持って言う。
「しばらくの間は、件の護符が有効ですし、念には念を入れ、扉の外側にも結界を施します。ですので、心配ありませんよ。万一、余程のことがない限り」
やれやれ。そうした台詞の一言一句が、既に何かの布石みたいだな―――と変に勘ぐってしまうのは、単に、僕の杞憂だろうか。
「小僧…」
「ん?」
僕を自宅まで送り届ける車を呼ぶため、職種別の電話帳を取りに美咲先生が席を外したところで、何やら不満気たっぷりな表情の座敷わらしが、幾分、小さく声を掛けてきた。
ちょいちょい、と細っこい指先で手招かれ、廊下の角を曲がるとそこには、例の六人が勢揃い。何だ何だ。
「小僧よ。まずは礼を申すでの。あれを救ってくれたこと、じつに大儀であった」
どうにも、礼を言われている気がしない。
「の割には、満足って感じでもないですね。あんまし」
「当然よ。わらわとしては、お主をこのまま足止めて、まだまだ妖鬼についてを、みっちりと語り聞かせたいところでの。しかし、あれが帰すと申しておる。みつやだかみちやだか、その事情通を伴い、また明日にでも出直すがよかろう。むろん、朝一番での」
相も変わらずの尊大さだが、巫女で幼女な座敷わらしの姿に、僕は可愛らしさのようなものを感じるようになっていた。しかも困ったことには、むしろ、そういう小生意気な物言いや振る舞いが、ちょっぴり癖にもなっている。
「まあ。はい。そのつもりではいます。ただ、僕としましては…」
まだまだ訊きたいことが沢山あるのは僕も同じだし、もし仮に、このまま三矢と連絡が付かずとも、仔猫のような少女、または、少女のような仔猫が今夜は帰って来る。差し当たり、事情と顛末を聞いてもらう分には、彼女だけでも充分だ。
第一、美咲先生に憑くことが出来ないのなら、ぶっちゃけた話、おめいら全員で雁首並べてたって、何の意味もないだろう?
「ふん。小僧が。中々どうして、言うてくれるの。じゃが、そうも行かぬ。わらわ達は、ここに張り巡らされた結界の外へは出られぬでの。お主の妙案に乗ってやりたくとも、そうしたことが儘ならぬ」
「それって、地…」
地縛霊などと言おうものなら、きっと、烈火の如く叱られる。
「…自由がなくて窮屈ですね。敷地から一歩も出られず、この中だけで生活? をしなけりゃならないわけだし。退屈そうで気の毒だ」
「うむ。何やら微妙に間があったのは気になるがの」
「気のせいですよ。気のせい」
呪いやら祟りやら、そういうのは勘弁だぜ、おめいら。
「ま、よかろう。ちなみに、お主が思うほど退屈ではないがの。忙しいほどじゃ」
すると、座敷わらしの隣にいる女子が、言いたくてうずうずしていたように口を開いた。
「で、ござるな。何せ、美咲殿に依頼した録画分だけでも時間が足りぬのに、ここ最近は海外ドラマシリーズもお気に入りコンテンツでござる故、寝る間も惜しんでいる次第」
普段、何やってんだよ―――ちゅうか、寝るのっ?
「それと、窮屈についても、あるにはあるでござるぞ?」
「ある?」
「この敷地より、結界より外へ出るだけでござれば、それを可能にする奥の手も」
何ですとぉ?
「すでに聞き及んでござろう。条件こそあれど、我々は人間でも物でも憑ける故」
「おお。そうか。つまり、僕に憑けば一緒に出られる?」
と安易に思ったが、それほど単純な話ではないらしい。長煙管の柄を左右に振りながら、ちっちっ…、と姐御が舌を打った。
「理解ってないね、小僧さん。そいつが出来れば、何も苦労はないじゃないかさ」
「なら、どうやって。他にないでしょう?」
と僕が眉を顰めるや否や、少し離れたところで聞いていた毒舌の令嬢が、まるで満を持したように顎を上向け、白い日傘をぐりんと回した。
「あら? あなたって、急っ勝ちとか早合点とか以前に、ろくすっぽ相手の言葉を聞いていませんのね? 馬鹿なの? 死ぬの?」
…くそ。まずいな。こいつのも、ちょっぴり癖になってきた…。




