〔拾柒〕病は気から。
「駄目ですね。電波が云々と、そればかりです」
「そう…」
舞台は、黒光りするほどに年季の入った板敷き廊下、その一角。
場面は、三矢に連絡を付けるべく、そこに設けられた固定電話から何度も何度も掛け直しを繰り返しているところである。
美咲先生の献身的、且つ、手厚く情熱的な介抱が見事に功を奏し、倒れる前より元気とは行かないが、ほぼ全快を遂げたであろう僕は何よりも先に、まずは三矢へ連絡、電話をさせて欲しいと求めた。
すると、今さら拒む理由のなくなった美咲先生も、快く応じてくれたのだった。
まあいい。それは。だが、それからが少しややこしく、ちと説明をせねばならんだろう。
と言うのも、僕の立っているこの場所が、先ほどまで介抱を受けていた床の間の続き、その縁側から延びる廊下の一角ではないからだ。
鳩尾を突かれた僕が堪らずに思い切り嘔吐したことは、どうやら気付かなかったようである。美咲先生は、僕が何食わぬ顔で戻しておいた壷を床の端へずらすと、日々是好日と書かれた掛け軸に手を伸ばし、こちらへどうぞ…、と真面目な表情で促した。
『こちらへ?』
と僕は言葉の意味が解せず首を傾げたが、数秒後には心の中で、こっそり悪態を吐いていた。ほれ見ろと。そんなところに電話が隠してあったじゃないかと。この嘘つきめと。
『やれやれ。美咲先生も人が悪い。それならそうと言っ…』
ところがすぐに、こちらへという言葉の真意を理解し、またもや早合点であった自分を反省した。
掛け軸に隠れていた小さな窪み。その真横に通った桟木を引くと、何故か床壁が全開し、思わず後ずさりするほどの、べったり黒々と塗られたような、気味の悪い真っ暗闇が待っていた。
目を開いているのか閉じているのか、それすらも判らなくなるほどの深い闇。
およそ一年前の望まぬ経験から、その手の闇には慣れちゃいる。
が、だからちゅうて、恐怖をしないわけではない。美咲先生に手を引かれつつ、臆しながらも闇の中を進んだのだった。
斯くして辿り着いた先は、異様に天井の低い、やたらと狭い部屋である。
畳に炉。茶釜に茶器。その茶室と思われる狭い小部屋は、天井も低けりゃ出入口だって異様に狭く、殆ど小窓のような大きさしかない躙り口の引き戸を開けると、果たして冷たい真冬の空気が、部屋の中へ流れ込んだ。
『どうぞ。構いませんよ』
靴も靴下も持たない裸足の僕は、石段に置かれていた美咲先生の草履を借りて、日没間近、白い息を吐き散らしながら表へ出た。
周囲を見ると、茶室の背には漆喰の壁が立ちはだかり、野放図に生い茂った樹が幾本も無秩序に乱立。あの玉砂利の敷かれた美しい庭は見当たらず、少し離れに、やたらと古びた社が建っていた。
背高く分厚い壁で仕切られた、背中合わせの社と寺。そいつを繋ぐ隠し通路。
美咲先生曰く、そうした造りは陰陽道に基づくもので、方位学やら風水やらが、大きく関係しているとか。
妖鬼と対峙した例の本堂は、【陰の陽】に位置し、表向き、上杉何たらの殿様が母娘を鎮守の生き神様として祀った社は、【陽の陰】に位置。
その両極を、強固な石壁で隔てることにより陰陽太極図を具現化し、風水で言うところの地脈とやらを利用して、この一帯に強力な結界を張っているそうな。
正直、何が何やらさっぱりだったが、そこは黙って受け入れた。
聞くところによると、こちらも既に廃神社とのことであり、数十年前に廃されて以降、西園寺家の所有地となったが、その管理一切を美咲先生一人で担っているというのだから、まったく以て愕きである。
だが、特筆すべきは、それだけではない。
背の高い白塗りの石壁に囲まれ、門扉も固く閉ざしたまま。ここに社が存在するなんざ、世間一般、殆ど知る者はないだろう。
しかも、幾ら下町だ何だといっても東京二十三区内。寺側の敷地と合わせ、これだけの土地がこんな形で残っていると、誰が想像するだろう。
とまあ、そんなこんなで連れて来られた社の離れ。元は社務所だったらしいが、その屋内は古風な旅館といった趣のある、美咲先生個人の生活領域となっていた。
で、その廊下の一角にて僕は、苛々と電話を掛けているのだった。
まずは自宅。やたら待たされてからようやく出た双子の妹一号に、今夜は百合寧さんが北欧仕込みの腕を揮って茶碗蒸しに挑戦したから早く帰って来いと催促されるも、そいつを何とか適当に誤魔化し、以前、電話帳の端っこに走り書いた、天吹さんの携帯電話番号を訊いた。
ところが、どれだけ掛けても繋がらず、十度目を過ぎたあたりで諦めた。
なもんで再び自宅に掛け、やたら待たされてからようやく出た双子の妹二号に、今夜は百合寧さんが北欧仕込みの腕を揮って鯖の味噌煮に挑戦したから早く帰って来いと催促されるも、そいつを適当に笑って誤魔化し、前に三矢から受け取った、携帯電話番号の記されている名刺を、机の引き出しから持って来るように頼んだ。
ところが三矢にも繋がらず、もしかしたら番号が違っているのかも知れんぞと、確認のため再び自宅に掛けたら、誰が誰と話しているのか、通話中につき、今度は我が家と繋がらなかった。
苛々…。そうして苛立ちながらも少し待ってから掛け直すと、やたら待たされてからようやく出た母に、父と祖父が二人して群馬の救急病院に搬送された、留守を頼む、早く帰って来い、と催促されて絶句した。
ま、良く良く倒れた理由を聞いて、あまりの馬鹿馬鹿しさに呆れてしまうばかりだが、高崎だか桐生だか、そこらあたりの競馬場で博打に興じていた二人は、自棄くそで有り金すべてを突っ込んだという自棄っぱちな最終レースで、もろに超大穴馬券が的中してしまい、その配当額の大きさに、二人揃って卒倒したとか。
肉体的苦痛には、滅法強い父と祖父。さらに、悲劇的状況下に於ける精神的苦痛だって、ちょっとやそっとじゃ屁でもない。
ところが、歓喜的精神衝撃には、びっくりするほど不慣れであった。
何せ、食っていた氷菓子の棒に【当たり・もう一本!】と記されているのを見た途端、貧血を起こしてしまった父である。
年末に買った宝くじ、五等の一万円が当たっただけで失禁し、元日早々過呼吸で救急車の世話になってしまった祖父なのだ。
ということで、少なくとも生命に支障はなく、また、そうした馬鹿共は、触らず放っておくに限る。
僕は三矢への連絡を優先し、白く無機質な受話器を持ち上げた。
そう。半ば諦めつつも、ぶちぶち文句を垂れつつも、これから十三回目の電話を掛けるのだ。
「…くそ。何してやがる、三矢のやつめ…」