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〔玖〕火事で怖いのは、火よりも煙。

「むぅ? 立花君。ぶつぶつと何を。どうかしましたか?」


「…い。いや。べつに。お気になさらず」


 なんちゅう地獄耳をしとるのか…。


「そんなことより、殿様です。天啓とやらで、そいつが何かやらかしましたか?」


「そういうことは、とくに。あなたが思っているようなことは何も。攻め込まれ、現在で言うところの川越まで逃走した後、幾度となく江戸城奪還を試みましたが、それも叶わず。齢五十にて、その生涯を閉じました」


「五十ですか。若いですね…。ま、殺し殺されの戦国時代。半世紀も昔、五百年も前なら、それほど早死にってわけでもないのでしょうが」


「そうですね。日頃、当たり前のように思っている我々は、もっと食の豊かさや、医学の進歩に感謝しなければいけませんね」


「ん? それはつまり、戦で死んだわけではない?」


「病死でした。ついでに一つ言っておきますが、半世紀は五十年。五百年は五世紀です。恥を掻きますよ。気をつけないと」


 …もう、やめようかな。余計なこと言うの…。


「なら、恥のついでに訊きますが、その江戸城ってのは、皇居にある江戸城のことですよね? あれって、徳川家康が建てたんじゃないんですか?」


 問うた途端、美咲先生の目が物語る。…あのね。立花君…、と。


「拠点を遷した後に様々な改築は施しますが、築城したのは扇谷上杉の家臣・太田道灌。家康公が生まれる九十年ほど前の話です」


「どうかん? …ああ。美濃の蝮とか呼ばれてた…」


「それは斉藤道三です。立花君。あなたは本当に高校生ですか?」


 それが担任教師の言葉ですか。


「出る杭は打たれるもので、諸説多々ありますが、あまりにも優秀だった道灌は、下克上を恐れた当時の扇谷上杉家当主・定正の謀略によって暗殺されたと言われており、その道灌の孫である大田資高は、そうした恨みを晴らすべく朝興を裏切ったというのが定説です」


 何と、そんな因縁が。


「因果応報…、ってことになるんですかね。そういうのも」


 すると、真贋不明な━━━いや。まあ、真贋は判っちゃいるのだが、一応、真贋不明な侍姿が、遠い目をして口を開いた。


「あまりにも時代に隔たりのあるが故、参考程度に聞かれよ」


 左拳に右肘を乗せ、その指先で、ありもしない顎髭を抜く素振りをしているってことは、もしかして、まだ騙せていると思っているのか。


「武家とは、()よりも()に重きを置くもの。道灌暗殺に、朝興が直接関与したわけではござらぬが、それでも、扇谷上杉という()として見れば、やはり、因果応報にござろうな。また、大田家にしても同じくで、頭抜けた才覚を持ち、家臣としても武将としても飛ぶ鳥を落す勢いだった道灌が後々まで健在であったなら、さらなる一家一族の繁栄が望めたはずでござる故、資高が寝返ったのも、()という立場から見れば至極当然。蒙った因果に対する、純粋な報復と見るのが妥当」


「どろどろとした話ですね。まさに、血で血を洗うような」


「まったくでござる。けど、武家の社会なんてのは、どの時代も似たり寄ったり。やれ暗殺だの陰謀だの、大抵、どろどろとしてござるよ。当主たる者、御家第一。政略結婚は当たり前。時には、実の母親であろうと我が子であろうと、盟約の証に人質として差し出すことも。それが武家に生まれた者の宿命なのだと、毎夜毎晩、子守唄代りに聞かされて育つのでござる」


 いいです。もう。そういった血生臭い類の話は。


「で? 幼女に神の姿を重ね見て、そこで得た天啓ってのは?」


「さあ…。それは誰にも。終ぞ、最期の最期まで、朝興が口にすることはなかったので」


 ひょっとして、ものすごく恥ずかしい内容だったりしてな。


「戦国乱世。一国を治むる、扇谷上杉家・当主という立場にあった朝興にとって、それは軍神にも守護神にも成り得る存在。戦時に於いて最も重要なのは、兵士達の士気ですからね。幾ら武器や兵糧があろうと、それが、どれほどの大軍だろうと、その士気が低ければ、勝てる戦も負けてしまう。そもそも、兵士と言っても所詮は農兵。言葉どおりに、平時は田畑を耕すだけの農民ですから、お飾りだろうと何であろうと、そうして神の加護があると思い込ませることは、士気を高める上でも、非常に効果的なのです」


「殿様の号令一つで繰り広げられる狂気の宴。まともな神経じゃやってられんか。それを思うと、何とも酷い話ですな…」


「不敬ではありますが、我々は愚かな先人の築き上げた、愚かな歴史の上に生きているというわけです。尤も、自ら戦争を仕掛けるつもりのなかった朝興にとって、優先すべきは民草の安寧。事実、ばたりばたりと原因不明に()()が乾涸び、それを多くの者が目撃していますからね。ならば、先ずは鎮守の神様を社に祀り、領民の暮らしに平穏秩序を取り戻してやることが、領主たる者の責務というもの。朝興は社を水災害から守るため、高台の地を選んで再び建立。満を持して、そこに少女を祀ったのです」


 ふうん。少女には気の毒だけど、意外と立派な殿様じゃないか。


「しかし、その傾倒ぶりは相当なもので、結果、愚像崇拝をする朝興の下した命により、大勢の血が流れることになりました」


「は? 血? 何故です?」


「言ったでしょう。社は、ひっそり内々に建立されたと。ですが、それには多くの人手が必要ですし」


 おいおい。やっぱ、確信犯だろ。そいつ。


「大勢の人間が関わり、出入りをする以上、情報の漏洩は必至。何とも悲しいことですが、社殿の内部構造を知った者、坑道掘進に従事した者は悉く。二度と娑婆(しゃば)の空気を吸うことはなかったそうです」


「娑婆か…。たしか、仏教の言葉でしたよね。それ」


「むぅ? 先生、ちょっぴり感心しました。どうしてそれを?」


 娑婆とは本来、辛く苦しい、煩悩俗世の意味だとか。


 遊郭にて楽しくも泡沫の()()を過ごした男達は、後ろ髪を引かれる思いで、娑婆には戻りたくないと漏らし、けれど、遊女からすれば、逃げたくとも逃げられない囚われた籠の鳥でいるよりも、煩悩にまみれながら、娑婆で思いどおりに生きたいわけで…。


「ほら。家の裏手が、すぐに吉原ですからね。いつだったか、観音様へ御参りしたときに母が。明暦の大火。振袖火事のことを話すついでに、そんなことを言ってたような」


「なるほど、そうでしたか。流石ですね。先生、とても尊敬しています。お若くも聡明。尚且つ、同性から見ても美しく、その悠揚たる物腰は、日本女性の鑑です」


 そう言や、すっかり意気投合してたっけ。()()ぞやの三者面談で。


「ありがとうございます。当人が聞いたら照れるでしょうが」


 褒められたことは、倅としても鼻が高く、もちろん悪い気はしない。 


 しないが、倅なればこそ、そこに無鉄砲も付け足したい。


「あの。坑道ってのは、もしかして?」


「そう。あなたも通って来ましたね。ここまで」


 そいつ、絶対に頭おかしいって。


「…はい。通って来ちゃいましたね。そんなこととは露知らず…。んなら、ここは件の洞窟の中。この本堂ってのも、相当に血塗られているわけだ」


「それは想像に任せます」


 想像したくないから訊いたのですが。


「それにしても、結局、何がしたかったのか。そこまで直隠しにしながらも、一方では自ら噂を拡散させたり。そんなの、ただの()()()でしょう。そういう奴こそ、暗殺されたほうが━━━」


「まあまあ。気持ちは理解(わか)りますが、あまり熱くならないで」


 と美咲先生、軽く笑いを混ぜながら憤慨する僕を窘めると、べつに庇うわけではないと前置きをしてから、それら、事の次第を静かに語り始めるのであった。


 …ちゅうか、いつまで続くんだ。これ…。

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