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〔参〕水に浮くには脂肪が必要。

 季節は、暑い真夏の盛り。奇しくも、あの日と同じように、茹だるような気温でした。


 近くに船着場はなく、流している船も見当たらず。


 しかし、元々それほど大きな川ではないし、先だっても言いましたが、しばらく日照り続きでしたので、水嵩は低く、流れも穏やか。少女は引き抜いた竹を浮きの代りに、川を下ることにしたのです。


 果たして思惑は的中し、やがて前方から、ただならぬ気配を感じ取りました。


 顔を沈めて様子を見ると、どうやら横穴が開いている。


 正確には、穴というより裂け目のようなものでしたが、水草の様子から、そちらにも水が流れていると判りました。


 水草が引き寄せられている。それはつまり、行き止ってはいないということ。


 また、異様な気配も色濃く強く感じられ、そこが魔窟の出入り口であることに、少女は確信を得たのです。


 かといって、そのまま進むのは、あまりに無謀。どうしたものか逡巡しました。


 その横穴が何処へ何処まで続いているかも判らず、もし水流が激しければ、退き返すことも出来ずに溺れ死ぬかも知れ―――むぅ?


 あのね。立花君。確かに異能は宿していますが、べつに魔法使いというわけではないのですよ? 転べば肘や膝小僧を擦り剥くし、そこから赤い血の流れる人間。所詮は生身の肉体です。息が続かなければ、それきり終い。そうそう何度も何度も蘇るわけがないでしょう。


 なればこそ、不安も恐怖も当然あるし、また、自分に何かあれば、それこそ本末転倒。万一のことがあった場合、誰が娘を、誰が妖鬼から守るのか。


 そうです。そういうことも含め、可能な限り、無謀な行動は避けるべきですし、少なくとも妖鬼の脅威を完全に取り除くまでは生きなければならない―――という二律背反に悩んだ結果、虎穴に入らずんば虎子を得ず。結局は無謀と知りつつも、賭けに打って出るのですが…。


 少女は腰帯を解き、娘を近くの雑木林まで連れて行くと、きつくきつく、何度も言って聞かせました。何があろうと起きようと、ここを動いてはいけないと。仮に妖鬼を見たとしても、けっして声を出してはいけないと。怖がらず、じっと隠れていなさいと。


 そこで、幼くも我慢強い、聡く賢い娘は思いました。見なければ、その姿に恐怖することも、声を上げることもないと。


 娘は、母である少女の手をそっと離すと、静かに瞳を閉じたのでした。


 少女は胸が張り裂けそうになる思いを押し殺し、独り、愛娘を残して再び川へ。


 竹を使って上手に潜り、主流から横穴へと逸れ、少女は流れに身を預けました。


 が、すると突然、下降をはじめ、それはまるで滝のよう。一体、何が起きているかを知る由もなく、そのまま滝壺のような水面へと、真っ逆さまに叩き付けられてしまったのです。


 少女は嫌というほど水を飲ん―――あ。たしか…。





「ん?」


「たしか、立花君は泳げませんでしたね?」


 どうしても浮かないのだ。どれだけ深く息を吸い込んでみても。


「それが何か」


「結構。ならば尚さら、想像に難くはないでしょう」


「はあ…」


「着物が身体に纏わり付いてしまい、泳ぐどころではない。藻掻きに藻掻き、半ば溺れ掛けたところでようやく、少女は緩やかな流れに拾われました」


 難くない分、あまり想像したくはないな。

 




 水面へ浮上すると、そこはじめじめとした空気の漂う、黴臭い洞窟―――と思いきや、ところがしかし良く良く見れば、ただ黴臭いだけの洞窟などではなかった。


 天井には、息を飲むほどの見事な鍾乳石が連なっており、少女は緩やかな流れに身を任せながら、しばらくの間、その大自然が造り上げた壮観美に目を心を奪われたのでした。


 どれくらいの間そうしていたでしょう。そこで少女は、ふと不可解な点に気付きました。何故なら、何処からも陽は射していないのに目が利くのですから、それはやはり不自然というもの。だけど、その疑問もすぐに―――むぅ?





「鍾乳石って、あの氷柱(つらら)みたいなやつでしたっけ?」


「そうです。ちなみに、鍾乳洞へ行ったことは?」


「ないですね。子供の頃、絵葉書で写真を見たくらいかな」


「結構。天井から垂れ下がるものを鍾乳石と言い、鍾乳石から落ちた水滴が、気の遠くなるほどに長い年月蓄積し、筍のように伸びたものを石筍と言います」


「ああ。出来損ないの雪だるまみたいなやつ」


「ちょっと違う気もしますが、まあいいでしょう。あの日あの晩、すらりと川岸に伸びた一本竹が、星や月明り以外には光源のない闇の中にありながらも眩い輝きを放っていたように、その石筍もあちらこちらで、まさに黄金さながらに、眩く光り輝いていたのです」


「なるほど。だから、陽も射してないのに明るく―――って。いやいや。ちょっと待ってくださいよ。何故、そうなるんです?」


「何故と言われても困ります。仕方ないでしょ。そんなの。光っていたんだから。その石筍には、大量の純金が含まれていたのです。金太郎が竹の中で埋もれていた金粒と同等の」


 そもそも、どうして勝手に光る。純金だから? …って、んな馬鹿な。


「なら、その石筍とやらにも妖鬼の子が?」


「それは判りません。それでも、鍾乳洞全体を明るく照らすほどですからね。一杯沢山。夥しい数でした。また、その夥しい数の石筍がすべて、もしも妖鬼を宿していたのなら、さすがの少女も、(さぞ)や手を焼いたことでしょう。そこで一計を案じ、少女は、それら石筍の成長を止めることにしたのです」


「成長を、…止める?」


「何せ、びっしりと根を張った一本竹を片手で引き抜くほどの力持ちなので、破壊するのは造作もないですが、しかし、それだけの数を一つずつ壊していたら切りがないでしょう。仮に、その石筍が妖鬼の子を宿していたとしても、それ以上、成長させなければ良いわけですし、また壊す際、うっかり力加減を誤れば、鍾乳洞そのものを破壊し兼ねず、大崩落の恐れもありますので」


 それ。力持ちとかいう次元ですかね。


「で、どれくらいなんです? その数は」


「一杯沢山。夥しい数です」


 だから、どれくらい。


「百本とか?」


「そうですね。あるいは、もっと。千本、万本かも」


「そんなに?」


「かもです。かも」


 つまり、うんざりするほど沢山ってことか。


「けど、一言に成長を止めるったって、その一杯沢山をどうやって。魔法使いじゃないんでしょ? それとも、あれですか。窮地に立たされた途端、何故か不思議と新たな能力(ちから)が開花して…、とか?」


「あのね。立花―――」


「いやいや。違いますよ。思ってませんから。紅頭の小説みたいに、やばくなると都合良くとか、ちっとも全然これっぽっちも一切まったく本当に」


「…………。」


 何故、睨む。


「石化です。石化」


「せきか?」


「鍾乳洞全体の表面を、さらに強硬質な石で塗り固めたのです。そうすることで、地上から染み入る雨水の浸入がなくなり、鍾乳石から水滴が落ちることもなくなります。それと、すでに伸びている石筍も、地表ごと硬質な石化で被いましたから、それ以上の成長がないだけでなく、もし妖鬼の子を宿していたとしても、そのまま封じ込めるという一石二鳥」


 もう魔法使いで良くないか?


「ちゅうても、そんなことをしたら、真っ暗になっちゃうんじゃ?」


「中々、意外と鋭い指摘をしますね。先生、ちょっぴり少しだけ、あなたのことを見直しました」


 そいつはどうも。


「少し言葉が足りませんでしたね。正しくは、結晶化です。石英のように透明度が高く、ある程度なら光も通します」


「水晶みたいに?」


「まあ、似て非なるものですが、想像としては充分でしょう」


「そいつは見物(みもの)だったでしょうね。幻想的で」


「けれどもそれでも、異様な気配はなくならず―――ううん。むしろ、辺り一帯に充ちていた余計な邪気が失せたことで、根源たる根源の気配を掴めたのですから、一石三鳥かもしれませんね。その後、少女は導かれるように歩みを進め、思いの外あっさりと目的へ辿り着きました。少女は、その根源を眼前にし、背筋が寒くなるような恐怖と、筆舌に尽くし難い怒りが込み上げ、感情が制御できなくなり、ついには、自然と涙が零れたのでした」


 何となく()()るぞ。その複雑な気持ちは、僕も闇側で経験した。


「てことは、いよいよ妖鬼に繋がる何かを見つけた?」


「お察しのとおり。宙を浮くように、ぽっかりと口を開けていたのです。禍々しき暗黒を渦巻いて」


 やれやれ。どうにも重なるね。一年前の、あの日の自分と…。

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