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〔廿〕勝者こそ正義。手段は選ぶな。

「ん?」


 刀を強く握り締め、亡き祖母に心の中で祈りながら、床の間を一歩踏み出した。その背に有無を言わせぬ視線を浴びつつ。


 途端、露出している皮膚を冷気が撫でた。まるで空調の効いた暖かい部屋から、寒い外へ出たように。事実、吐き出した息まで薄っすらと白く、これは紛れもなく真冬の空気だ。


 まあいい。それは。年の瀬である。ぼちぼち陽も傾きはじめ、幾ら晴れ上がった小春日和といっても、それに伴い、気温が下がるのは当然だ。何ら不思議なことはない。


 が、これまでもずっと床の間の障子戸は開いていた。なのにどうして、これほど気温に違いがあるのか…。


 なんてことを不可解に思いつつ、軽く首を傾げたときである。


「っ…!」


 ぞくり、なんてものではない。仰け反るほどの衝撃が僕の全身を隈無く駆けた。それこそ、頭のてっぺんから足の裏まで。


「あら? 声を上げないなんて、可愛気がありませんわよ?」


 …いっ。いきなり何ちゅうことをっ…。


「立花さん。ごめんなさい。でも、嫌なことは。その…」


「そうさね。さっさと済ませちまったほうが良いじゃないかさ」


 だからって、六人同時に取り憑くか、普通。


 たしかに一瞬ではあった。けれども、その一瞬が問題である。


 電撃でも食らったかのような、痛みにも似た痺れる感覚。それが首やら腰やら、あちらこちらに残っているのだ。


 くそ。おめいら本当に、妖鬼を退治させる気あんのか。


「それにしても、無意味に勇敢ですわね?」


 何が。


「まさか、正面切って乗り込む気ですの? 馬鹿? 死ぬの?」


 あ?


「キミ。逆よ。逆。向こうを見なさい」


 向こうとな?


「壁伝いに扉があるでしょう」


 あるね。やたらと立派な観音扉が。


「だけど、出入りは出来ないわ。妖鬼も人間もね」


 どういうことか。


「妖鬼を惑わせる仕掛けにござるよ。おびき寄せ、足止めると同時に体力を奪い、弱ったところを一気に叩く。これは、兵法の基本も基本。卑怯だ何だと、つまらぬことは申されるな」


 卑怯? ああ。何と甘美で素敵な響きだろう。理屈こそ全然()()らんが、卑怯な手段は望むところ―――いいや。むしろ、卑怯な手だけで戦いたい。あわよくば、戦わずに済んじゃうくらいの卑怯な手だけで。


「小僧。扉の少し先に燭台があるでの。蝋燭に火を灯せ。然すれば道は開かれる。妖鬼を封じている本堂。そこへ繋がる小径(こみち)がの」


 …もういい。これ以上、下手に想像するのはよそう。想像すれば想像するほど、おかしな妄想が膨らむだけだ。


 それに、幼女は言っていた。臆さず慌てず言われたとおりに行動すれば、然程の労なく倒せると。ならば、()()に徹するまでだ。


「立花さん。靴下では滑ります。先に脱いでしまいましょう」


 そうか。本堂ってことは、畳か板敷き。素足が何より最適か。


「さあて。小僧さん。準備万端、整ったところで、ちゃっちゃと退治に行こうじゃないかさ」


 軽く言ってくれやがる。いいのか。そんな調子で本当に。


「…は。はい。では。その。何卒、よしなに…」 


 飲み食いしたのが効いたのか、幻影を見ることもなくなった。


 が、未だに耳を突く異様な怪音。僕は言われたとおりに、音とは逆方向へ縁側を進み、観音扉の前を素通り。壁に設けられている、左右が対の燭台を見た。


 何てことはない。蝋燭の立つ燭台の他にはこれといった物もなく、古びた漆喰の壁があるだけだ。ここに道が出来るというのか…?


「あの。ところで、どうやって火―――」


「そこの火打ち石にござる」


 こいつ、ふざけてやがるのか。


「心配ござらん。すでに、()()()()済みにござるよ。石にも蝋にも」


 そうして赤々とした炎が灯ると、突然、壁の向こうが透けるかのように、黒々とした、何とも怪しい渦が顕われた。


 初めは盥程度の大きさだったが、やがて壁一面にまで広がって、そこへ及び腰になりつつも覚悟を決めて踏み込むと、ぽつりぽつり、不規則に蝋燭の灯る、湿気と黴臭い空気を孕んだ、闇の小径が延びていた。


 つい今しがた、下手な想像はしないと決めたばかりである。


 なのに頭の中では、悲しげにすすり泣く声で《童謡・とおりゃんせ》が―――と思ったら、日傘が意地悪をして唄っていた。


「何してんだい。もたもたしてっと、妖鬼に勘付かれちまうよ」


 行けというのか。この闇を。


「あら? 心細いなら、もっと唄って差し上げますわよ?」


「行きます行きますっ! 行きますからっ!」


 心許ない蝋燭の灯りを頼りに恐々と、僕の()()()()()()三十分くらい? やたら長いこと手探るように歩み進むと、横木が閂に通った観音扉へ行き着いた。


「キミ。扉を開けたら直ぐに護符を貼りなさい。それで内からは開かなくなるわ。貼った者が剥がさない限り」


 その一言に、ふと素朴な疑問が頭に浮かんだ。


 それを知ってどうする。そう思いながらも、やはり訊かないわけにはいかない、とても重要なことである。


「死んだ後もですか?」


 ところが化学は即答せず、しばし黙して間を置いた。


「…さあ。それはどうかしら。だけど、あるいは…」


 何となく、茶を濁しているような。しかし、確信が持てないというのも、正直なところなのだろう。


 ならば、だ。仮に死後でも有効ならば、その札一枚で、人身御供の出来上がりである。それって、つまり…。


「あの。もしかしたら、美咲先生は()()っから―――」


「小僧。いつまで喋くっとるつもりか。早ようせい」


 どうして。どうして、僕が。何故、こうなる。


「あの。まだ間に合いますよね? やはり、連絡してから―――」


「何度も同じことを言わせる気かの。くどくどと」


「立花さん。()()られては意味がありません。行きましょう」


 この三つ編み。冷静というか何というか、靴下のときにも思ったが、かなり戦い慣れている?


「じゃあ。あの。行きますから。行きますよ? 行きますからね?」


「早よせい」


「ちゃんと指示してくださいよ?」


「キミもね。ちゃんと指示したとおりに動きなさい。死ぬわよ」


 死ぬわよ、…か。


 はて。人身御供は御免だが、果たして本当に死ねるのか?


「なら、開けますよ? 開けますからね? 開けちゃい―――」


「早よせいっ!」


 僕は釈然としないまま、観音扉の閂を抜いた。


 そこに見た巨影は、見紛うことなく異形である。妖鬼だ。


「キミ。護符を貼り付ける用意をしなさい」


 こいつらみたいに行き場を失い、魂だけで現世を彷徨う。


 やれやれ。それはそれで、生き地獄だな。

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